#6
洋もまた、授業への出席率が落ちている学生の一人である。
──『だってぶっちゃけさ、専門の授業とか出なくても何とかなるじゃん? あたしサークルの先輩からも過去問もらえる見込みが立っちゃったし、なんか必死に授業に出る意義が分かんなくなっちゃって』
五月の上旬あたりからそんなことを言っては、大学をサボってアルバイトに励んだり、図書館で好きな本を読んだり、友達と連れ立ってカフェに行ったりしていたらしい。本人のアカウントを辿ると、そんな履歴が見えてくる。
タイムラインの異変に悶々としていた、ちょうど矢先。その洋を久々に講義室で見つけ、よ、と翔は近寄った。
「珍しいな、授業前からちゃんと来てるなんて」
「あたしだってたまにはきちんとするからね」
口を尖らせた洋は、以前よりもさらに化粧や服装に磨きをかけているように見える。リア充という言葉が咄嗟に浮かんだ。【原宿なう♡】【渋谷のカフェでお茶! もーめっちゃ甘いし最高】──かつてのツイートは軒並みそんな調子だったものだ。最近の洋が何をしているのかはよく知らないが、さぞかし充実した毎日を送っているのだろうか。
「面白いくらい学生の数が減ってるねー。最初なんか、この講義室ほとんどぜんぶ埋まってたのに」
頬杖をつきながら呑気に笑う洋に、思いきって翔は尋ねた。「みんな最近、どうしてるんだろ」
「さーね。遊んでたりするんじゃない?」
「やっぱそうなのかな。Twitterでもあんまり見かけないし」
「見てるだけって人は多そうだよねぇ。あたしもそういうとこ、あるけど」
「なんで呟かないんだろ」
「面倒臭いからじゃないの? もう入学から二ヶ月近く経って、今さら友達作りってわけでもないだろうし」
洋の何気ない答えに、翔はもやもやと煙る心の内が少しばかり、晴れたのを感じた。
薄々、そうなのではないかと感じていたのだ。お互いをアカウント名で気軽に呼び合えるほどに仲が深まってしまえば、そもそも会話の手段や近況の確認にTwitterを使う必要なんてない。無料通話アプリで十分に役割は満たされる。
当の翔にしても元はと言えば、友達作りの目的でTwitterにアカウントを開設したのである。
「そっか。そうだよな」
小声でこぼした。そんな話題になど初めから興味がなかったかのように、ねー、と洋は手元の教科書を開く。前回の講義の範囲ってどこまでだったっけ──飛んで来た質問に答えるべく、翔は自分の鞄を置いた机へと駆け足で戻った。
教授が話を始める。
講義室中の視線が皆、教授や教科書のページへと振り向けられた。
──『面倒臭いからじゃないの? 今さら友達作りってわけでもないだろうし』
家路の途上にあるスーパーマーケットに立ち寄っても、夜の潮風をほのかに感じながら食事の用意をしても、狭い風呂に入っていても。
洋の残した言葉は翔の頭の内側で、延々とリフレインし続けた。
運河の対岸、ビル街の向こうに屹立するレインボーブリッジの白い塔。その下に書き加えられた白いハートのマークは、横に『4』という数字を侍らせている。
『いいね!』を押した人数が四人ということだ。昨日の夕方、家の前でいつものように撮影した写真を、いつものように投稿したもの。
「……友達作り、なぁ」
翔は布団の中にくるまりながら、その写真をしげしげと眺めた。“友達”とはまるで関係のない、こんなありふれた風景写真が、人間関係の醸成をいとも簡単にしてしまう。Twitterというツールは不思議なものだと感じるのは、別に今回が初めてではないが。
写真を投稿した時にしろ、文章を打ち込んだ時にしろ。自分のツイートを確認しようとすると、どうしても真っ先にリツイートや『いいね!』の数に目がいってしまう。
翔は寝返りを打った。
打ちながら、白々しく蛍光灯の光を反射する天井へ目をやって、苦笑いした。そりゃそうだな、と笑った。
(確かにあいつの言う通り、この時期にもなるとみんな仲間を作ってきてるし。わざわざTwitterで不特定多数の人間とつるむ意味も、価値も、ないのか)
事実、翔のよく会話を飛ばし合う相手も、最近はもっぱら固定メンバーと化しつつある。その人数が大きく減ったわけではない。全体的にリアクションが薄くなっただけで、翔への実害は少しも存在していないのである。
深呼吸をしたら気分が変わったように感じられた。スマホを充電器につないで、翔は頭から布団をかぶった。明日も朝から、授業だ。
(明日も、明後日も、Twitterには自分の居場所があるんだから)
そう言い聞かせた。
その夜は目が冴えて眠れなかった。
◆
フォロワー数や普段の反応数を大きく逸脱するレベルで、特定のツイートへの反応が殺到する減少を、『buzz』というマーケティング用語になぞらえて『バズる』と言う。
数千、あるいは数万も拡散されるツイートには、発信者がよほどの著名人でない限り、内容に関してある程度の規則性がある。共感や笑いを刺激しやすい文章・画像、あまり他に例のなさそうな興味深い体験談、そしていわゆる『炎上』を誘発するような喧嘩腰の文章などだ。大拡散するようなツイートを狙って作るのは難しいので、確実に『バズった』状態を作り出したければフォロワー数を増やすしかない。
逆に、一度でもバズったツイートを持っていれば、多くのユーザーにその存在が知られるところとなる。Twitter上の有名人の中には、こうした経緯で知名度を上げた人物も一定数は存在しているはずである。
どんなツイートならば人気を得られるか──。Twitterで大きな影響力を持つことを目指すならば、その分析を欠かすことはできないと言えるだろう。
【@edoage_1932 ワロタwwwwwそのツイート作んのに何分かけてんだよお前www】
渾身のネタツイートを投稿して五分。飛んできたリプライを見、反射的に翔は満足げな笑みを漏らしていた。
十分かけたと返信を打つ。【時間の無駄遣いしすぎだろ笑】と、至極もっともな言葉が返ってくる。同感だと口走りたくなるのをこらえて、だってネタツイだし、と返信をしたためた。
自虐や冗談で意図的に笑いを誘う、それがネタツイートだ。バズるツイートの中にはネタツイが非常に多い。時事問題や人気人物の発言、流行語、ネット上で話題になった構文、果ては炎上した他人のツイートまでも利用していて、思わず噴き出してしまうことが多い。
そこで翔も流行に乗って、自力で書いてみたというわけだ。結果として、それまでよりあからさまに反応が増えている。
(実際は二十分くらいの時間をかけてるけど。ま、バレるわけじゃないし)
スマホを机に置き、静かに口角を上げた。ハートマークの横に表示された『8』の数字が、驚いて大口を開けた人の顔のように見えた。
(どうすっかな、次)
翔はタイムラインに指を這わせながら、思案を巡らせた。無論、次のネタツイの内容について。
仲間たちがタイムラインを追わなくなり、反応が減っても、翔はTwitterを未だに手放していなかった。
と言うよりも、手放すことができなかった。自分のツイートを確認するたび、減る一方の『いいね!』の数を見つめるたび、胸の内がざわめいて落ち着かなかったのだ。それが当然の変化なのだと知っていても。
だいたい、本当に『当然』なのかどうかも断定できるわけではない。最近になって気付いたのだが、同じレベルの知名度を誇る廉太郎のアカウントへの反応数は、翔ほどには減ってはいないのだ。
二桁に達しようかという『いいね!』の数を眺めるたびに、翔の喉元には声にならない声が沸き上がった。
(俺だって何も変わってないんだぞ。むしろ俺なんて、わざわざ受けそうなツイートを研究してるくらいだっていうのに)
反応に差異が出る理由の見当はついている。ツイートの面白さ云々ではなく、単に廉太郎が大学内の人気者だからだろう。相も変わらず出席数の不足ラインぎりぎりで大学を休み、バイトや遊びにうつつを抜かす廉太郎の方が、翔よりも面白い人間に見えるのは当たり前だ。
(俺だって……)
負けん気、とでも言えばいいのか。翔をTwitterに駆り立てているのは、とにかくそんな感情なのだ。




