#5
ある時、タイムラインの流れで自分の好きなアニメのことをツイートした。“蒼空のファントム”。オタク層からも一般視聴者層からも支持の分厚い、ロボットアニメだ。
きっかけは誰かが、そのアニメの製作でメガホンを取っていた監督が新作に取りかかったというニュースリリースをリツイートしたのを、タイムラインの中に発見したことだった。そう言えばあんな作品も作ってたよな、あれ俺も好きだったな──そんなようなことを、思うに任せてツイートした。
翔も高校の頃、それなりにアニメや漫画に興味のある方だった。現実の友人関係が豊かでなかった分、興味関心がそういうものに傾きがちだった自覚はあったし、今でもある。けれど、自分のようなレベルで“オタク”を自称してしまったら本物のオタクに失礼だよな、と感じる程度の愛好の度合いでもある。
いったいどうやって見つけたのか。蒼空のファントムの名前をツイートに出してから三分もしないうちに、かの作品のファンだと自認するアカウントが翔をフォローしてきた。
【#同じ趣味の人と繋がりたい】
彼のツイートには、大学生たちの呟きの中には見られないようなタグがあった。事実、フォロワーの中にはアニメのファンが多いようだ。
「この人、分かってるなぁ」
翔は口に出して呟いた。彼の指摘している“ファントム”の良さは、翔の感じていたところと綺麗に重なっていたのである。
フォローしてみようかな、と興味が湧いた。慶興大学の学生でなくとも構わないと思った。別にフォロー対象を限定して、このアカウントを運営しているわけではない。
すぐに【フォローありがとうございます!】とツイートが送られてきた。またひとつ世界が広がったのを、翔は感じた。
大学に入ってめっきり見なくなったとは言え、翔のアニメ愛と閲覧経験はそれなりのものにはなる。彼との会話は弾み、やがてアニメやサブカルチャー関連のツイートを目にしたユーザーが次々に翔をフォローしてくるようになった。
大学生のユーザー層しか知らなかった翔にとって、新たなフォロワーたちの存在は新鮮だった。何せ、食事レポートをしない。学校の話をしない。ただひたすらに好きなもののことしか呟かず、盛り上がるネタも大抵がアニメ。経済学部のユーザーたちとは、ツイートを構成する内容がまるで違う。あまりに違うので初めは面食らったほどだ。
【声優の『HIBARI』って、中の人実はアイドルなんだってよ! 道理で声綺麗なわけだわw】
【うおおー! ファントムのヒロインかわええ! 自分が三次元なのマジで腹立つ!】
【暇な時間取れたから落書き。んー、なんか似てない……】
云々。
(同じ趣味の人で集まりながら、好きなものについてただ喋り合う。そっか、こういうTwitterの使い方もあるんだな)
翔は感心した。廉太郎の教えてくれなかったTwitterの使い方が、ここにある。
何より翔の気を引き留めたのは、彼らが実に楽しそうにTwitterを使っていることが窺えることだった。『いいね!』の数こそ多くなくても、誰もが好きなことを口にし、反応し、語り合っている。
「あー。そいつは趣味垢だろ」
またも田町駅前の定食屋で一緒になった廉太郎は、翔の話を聞き終えるや、さらりと口にした。
「なんだ、知ってたのか……」
「知ってたも何も、俺だってそのくらい持ってる」
え、と固まった翔をよそに、廉太郎は椀を一気に傾けて味噌汁を飲み干す。
「どうして教えてくれなかったんだよ」
「教えたって意味ないだろ。趣味垢はリア垢じゃねぇんだし」
リア垢──リアルアカウントは、現実に繋がりのある人を相手にする時のアカウント。趣味アカウントは同好の士を相手にするためのアカウント。そうやって使い分けるのが、正しい使い方であるらしい。
「でもなぁ、別にわざわざ分けるようなことをしなくたって」
箸を置きながら、翔は思わずそう口にした。
どちらも同じアカウントで運用するわけにはいかないのだろうか。大学の友達と趣味繋がりの友達が直接的に交わるわけではないのだから、弊害が生まれるようには思えないのである。
意味ありげに目を細めた廉太郎は、大事なことだぜ、と言った。
「他人の趣味を快く思わないやつも多いからな。考えてみろよ、お前。金杉みたくキラキラしてる連中が、アニメとかアイドルって聞いて眉をひそめないと思うか?」
洋のツイート内容を思い返した翔は、廉太郎の言わんとしているところを何となく理解した。
確かに、まるで興味のない話が自分のタイムラインに流れてくることを、不愉快に感じる人もあるだろう。その趣味がサブカルチャーであればなおさらだ。一部サブカルチャーを愛好する人がオタクと呼ばれて軽蔑される傾向にあることくらい、翔だってよく知っている。
「作るしかないか……」
「そうしとけ、そうしとけ」
ため息をついた翔の背中を軽く叩いて、廉太郎は朗らかに笑った。
『サクラダ・ファミリア @SF_hobbyman』
──その日のうちに趣味垢を作成した翔のもとには、たちまち同好の士が殺到した。
好きなアニメの画像を載せ、【アニメ好きの人たちと繋がりたい】などとツイートしただけだ。一夜にしてフォロワー数は五十を越えた。リア垢ですら見たことのない速度に、翔の方が困惑したほどだった。
【@SF_hobbyman フォローありがとうございます!俺もアニメ好きなんで、よろしくお願いしますね<(_ _)>】
【@SF_hobbyman フォロバ失礼しますー。そのアイコンいいですね!】
自己紹介欄に好きなアニメの名前を列挙して、アイコン画像もキャラクターのものを使って……。リア垢との差に翔も苦笑したくなったが、次々とフォローのあいさつを送ってくる他のユーザーたちと比べてみてもさほど異ならないのを見ると、心なしか少し、安心する。
(難しいこと考えずにツイートできるってのも大きいなぁ……。リア垢との関わりも一切ないし、あっちでは書けないような話題も趣味垢でなら書けそうだ)
翔はすっかり楽しくなった。リア垢のタイムラインと、趣味垢のタイムライン。全く性質の違う二つのそれを夢中になって追跡することが、それからの翔の夜の日課になった。
◆
タイムラインの進みが遅い気がすると感じるようになってきたのは、その少し後──五月も下旬に差し掛かった頃のことだったか。
早くも使い慣れてきた趣味垢の話ではない、リア垢の話である。タイムラインを流れてゆくツイートの数が、以前と比べてずいぶん減ってきているように見えたのだ。
とは言っても、相変わらず授業にきちんと出席している翔への注文は多い。
【@edoage_1932 今日の心理学のノート、あとで貸してくんね?】
【@edoage_1932 この授業マジ退屈……。ちょっとあたし寝てるから板書取っといてよ】
タワーマンションの林を抜け、運河を超え、気だるげに立ちはだかる大学の校門をくぐると、今日もそんな具合のリプライが飛んで来る。俺を便利屋か何かと思ってるんじゃないか、こいつら──。疲れている時はさすがの翔でも苛立つことはあるが、それでも滅多なことがなければ基本、言う通りにしている。それが自分の価値になっていると、翔自身がよく知っているから。
(ちゃんと授業に出ることは、俺のためにもなるし)
遠く眼下にちらつく教授の声を聞き取り、ホワイトボードや手元のレジュメに目を遠しつつ、ノートを書き進めながら翔はぼんやりと考えた。そして、ちらりとタイムラインを見た。
翔にとって懸念材料なのはむしろ、タイムラインの人口が減っていること。
(別に授業に出てる人数が増えたわけじゃないし。どこにいってるんだろうな、みんな)
疑問は浮かぶが、わざわざそれぞれの人たちに聞いて回るほどのことでもなし──。教授が居並ぶ学生たちに質問を始め、慌てて翔はスマホを伏せて前を向いた。
翔のツイートへの反応にも、変化は見え始めていた。
『いいね!』の数が明らかに減少してきているのだ。以前ならば簡単に二桁に達したのが、近頃は多くてもせいぜい五、六というところ。
これはやはり閲覧数が減ってきているということなのか。そう思うようになってから、翔はツイートアクティビティの確認をするようになった。ツイートアクティビティというのは、『ツイートを見た人の数』『反応の総数』『再投稿された数』などの情報を、ツイートをした本人にのみ見られるようにした機能のことだ。……そして、それを確認する限り、少なくとも翔のツイートを見ている人の数は大きく減っていない。
(ただ単に反応してない、ってことなのか……?)
毎晩、その日に受け取った反応の様子を見返しながら、翔は不思議に思うようになった。
見てはいるけれど反応はしない、自分から投稿もしない。
翔のフォロワーたちは何をしているのだろう。




