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Twitchy  作者: 蒼原悠
10/11

#10





 翔の愚痴垢に、『COMAKER』というフォロワーがいる。

 中の人物は知らない。ここ最近はほとんどツイートもしていないようだったが、少し遡ればアカウントの正体はすぐに見当がついた。目一杯に愚痴ツイートの詰め込まれた、どこかの誰かの愚痴垢だった。

 つい数日前、向こうからフォローされた。自分からフォローしたのでないフォロワーは、愚痴垢を知っている数人の中でも彼一人だけだ。自己紹介のところに『KK』と書いてあったのを見、深く考えることもなく翔もフォローを返したのだが──。


「あれ、俺のだから」

 翔を布団に寝かせ、レジ袋の中身を開陳しながら、廉太郎はあっさりと真相を明かしてしまった。

 翔が驚いたのは言うまでもない。『COMAKER』のツイート内容は本当にきついものばかりで、廉太郎のイメージとはまるで似ても似つかなかったのだ。

「【バイト辞めて学生に戻りたい】とか【誰にも迷惑かけずに死にたい】とか、色々書いてたけど」

「全部、俺」

 何のためらいもなく肯定した廉太郎は、ほらよ、と市販の解熱薬を差し出す。それから立ち上がって、冷蔵庫の中身を覗き込んだ。

 翔はその背中の動くさまを、涙目のまま見つめていた。潤んだ視界で捉えているせいか、廉太郎が妙に思えるほど親切だ。

「お前が大学に来なくなったって聞いて、こりゃヤバいなって思ったんだよ、俺」

 廉太郎は茶のペットボトルを掴んで戻ってきた。「そんで何人かに聞いてみたら、愚痴垢にフォローされたってヤツがいてさ。アカウント教えてもらって俺もフォローしたってわけ。どうせ拒否されるだろうって思ったから、リア垢じゃなくて愚痴垢でな」

「なんで──」

「真面目なお前が授業を休むなんて、よっぽどの理由があるってことだろ」

 翔は胸を衝かれた思いだった。そんな、たいした理由などないのに。Twitterの人間関係が原因だなんて、カウンセラーにすら笑われそうだ。

 廉太郎に嘘はつきたくない。薬を一気に飲み込んだ翔は顔を上げて、掠れた声で弁明しようとした。

「怖かっただけだよ……。Twitterで嫌われてるやつに、授業で会うのが怖くて。ほんと、それだけなんだ」

 廉太郎は黙っている。こうして心配して来てくれた廉太郎さえ、リア垢を使っていた頃は敬遠の対象だったことを、翔は久々に思い出した。その根底にあったのは言うまでもなく、いつか嫌われるのではないかという恐ろしさだった。

「心配かけて悪かったけど、大丈夫だから。こんなの俺の問題だし。……俺自身で解決しなきゃいけない話だし」

 廉太郎がすぐさま言い返した。「自分で解決できんのか?」

 翔は答えられなかった。

 ため息をつくでもなく、呆れるでもなく、廉太郎は口の端を少し持ち上げた。その笑みの意味に辿り着く前に、立ち上がってしまったが。

 窓際に近付いた廉太郎はカーテンを開け放って、へぇ、と呟いた。

「いい眺めじゃん、ここ。Twitterに載せてた写真は嘘じゃないんだな」

 疑われていたのか。翔はごくんと息を呑んだが、廉太郎はただ振り返って、ほら病人は寝ろ寝ろ、と急かしただけだった。




 それからも廉太郎は家に押し掛けてきて、少し翔の相手をしては帰っていく、ということを繰り返した。

 二日後には熱が正常値にまで下がり、その翌日にはようやく関節痛も穏やかになってきた。廉太郎の持ってきた頭痛薬が効いたのかどうか定かではないが、その頃には長いこと悩まされてきた頭痛も少し、収まっていた。

 今でも目の奥に痛みが残る。おかげでスマホの画面を見るのが苦しくて、Twitterもまともに確認できなかったが、ちょうどいいんじゃね、と廉太郎は他人事のような顔で笑った。

「ブルーライトの浴びすぎて眼精疲労を起こしてんだよ、多分。あんまり気になるなら眼科に行って、あとはブルーベリーでも食べてりゃ大丈夫だろ」

 スマホのような電子機器のLEDディスプレイからは、ブルーライトと呼ばれる短波長の高エネルギー光が発せられていていて、それが網膜を傷付けてしまうのだそうだ。もっともだと思った。Twitter、もといスマホを使いすぎた自覚は翔にもある。

 廉太郎もいない、スマホやテレビやパソコンも使えない時間を、翔は目を閉じて過ごした。どのみち風邪が治るまでの間、安静にしていることは重要だ。じっと息を潜めていると、ひびの入った心の隙間に血液が流れ込む拍動の音を、骨を伝ってじかに聞き取ることができる。Twitterを開いて外の世界をうかがうことのできない胸のざわめきを、そうすることで少しは忘却していられる気がした。


 廉太郎は翔の家にいる間、色々な話をした。

 たとえば──翔がTwitterでトラブルを抱えているらしいことに気付いて以来、ずっと申し訳なさを抱いていたということ。

「Twitter初心者のお前に、あれを使って人間関係を広げればいいって提案したの、俺だったからな」

 廉太郎はその話の時だけ、翔と目を合わせようとしなかった。「俺はかなり前からTwitter使っててさ、あれ特有の文化っていうか傾向っていうか……そういうの、知ってんだよ。でもお前は、知らないだろ」

「文化って?」

「モラルって言い換えた方がいいかもな」

 廉太郎は説明した。Twitterのアカウントは、多数のフォロワーたちとともに、ある程度の偏りを持つ『社会』を形成している。その社会の性格を決めるのは、フォロワーたちの種類だ。大学の知り合いが多ければ、そのアカウントは『大学の知り合いたち』という社会の中心にいる。趣味繋がりの人ばかりがフォロワーなら趣味垢に、愚痴を言っても大丈夫な人たちが集まっていれば愚痴垢になるのは、そういう事情なのだと。

 そしてそれぞれの『社会』の性格が違う以上、そこにはそれぞれに最適な形の『モラル』がある。そのモラルを守ることで、フォロワーとの関係を平穏なまま維持することが可能になる。

「TwitterってのはそもそもSNSじゃないんだよ。本来は短文投稿型ミニブログサービス。他人と繋がるフォローの機能は、あくまでも付属品みたいなものでしかない」

 ああ、と翔は呟いた。前に定食屋で廉太郎が口にした言葉と、反応する部分があるのを感じた。

「でもそれじゃ、何を呟いたっていいんじゃないのか」

「その通り。だから履き違えちゃいけない。Twitterの中にあるものは本物の社会じゃなくて、それにとてもよく似た何かに過ぎないわけだ。そのことをよく分かってるやつは、常に自分のフォロワーを取捨選択してる。自分にとって居心地のいい、モラルを過度に意識しなくても済むような『社会』を、意図的に作り上げようとする」

 廉太郎の言いたいことが分かってきた。他人を気にしすぎるな、自分のやりたいようにやれる環境を整えろということか。

(ブロックされようともリムられようとも、気にするな……ってことか)

 翔は何だか寂しくなって、布団の中で少しばかり身体を小さくした。確かに割りきることができれば楽になれるけれど、それは同時にひとつの可能性を諦めてしまうことでも、あって。

「せっかく風邪引いてTwitterを手放したんだからさ。少し冷静になって、自分の周りを取り巻く『社会』のこと、考えてみな」

 廉太郎の面構えは柔らかかった。「必要なら俺も手伝うよ。……こう見えても俺、人並みに責任は感じてるつもりだから」

 ありがたいような、嬉しくないような、天秤のように揺れる思いを落ち着けられなくて、翔は曖昧に頷くばかりだったが。

 廉太郎は自分の身の上話も残していった。廉太郎の実家は相当に貧しいのだそうだ。おまけに浪人までしてしまったので、廉太郎は今、奨学金を受け取りつつアルバイトを詰め込んで生活費を稼ぐことで、どうにか大学生としての体を保っている。中にはかなりブラックな職場の経験もあって、数日連続の徹夜ですっかり疲弊したり……などということもあったらしい。

 それが、廉太郎が学業に不真面目な理由。そしてあの愚痴垢が生まれた理由でもあった。【バイト辞めて学生に戻りたい】【誰にも迷惑かけずに死にたい】──深い闇の存在を匂わせるあれらのツイートの意味を、翔もそれでようやく知った。浪人時代から使っていたものだそうで、それを作る前は廉太郎もTwitterとの向き合い方について、かなり深刻に悩んだ時期があったという。

 廉太郎もかつて、翔と同じ場所に立ったのだ。

 だから翔は失敗したんじゃないと廉太郎は繰り返し口にした。同意しなければ先にも進めない気がして、翔はそのたびに大人しく、首をたれた。




 寂しかったのだろうと思う。


 根っからの口下手な翔にとってTwitterとは、放っておけば誰の耳にも届かない自分の声を代弁し、叫んでくれるツールだった。

 だから友達もできた。だから人並みに頼られもした。そしていつか、そこへ与えられる反応に自分の存在の濃淡を見出しては、一人で一喜一憂を繰り返すようになった。……だから今、あらゆる世界を失ったような儚さに溺れ、寂しさに震えているのだと思う。

 その言葉ですべてが説明できるわけではないのだとしても、翔には見えていなかった未来が視界の先に現れたように感じられた。

 これで堂々と嘆くことができる──そんな風にさえ、感じられた。




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