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(仮題)冒険者になりたいんですが?(威圧)  作者: からあげちゃん
プロローグ
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プロローグ1『剛腕球児』

初投稿です。文章がおかしかったり、誤字脱字があると思いますが、優しく指摘下さると幸いです。

 プロローグ



『剛腕球児』こと俺、西木 圭斗(さいき けいと)は世界の野球人から将来を嘱望されていた。


 小学4年生から野球を始めた。中学生の頃はまだ身長が155㎝しかなく、少し小さめの野球少年だった。


 だが、高校1年生の時に急に成長期がやって来た。成長痛は地獄だった。肩、肘、腰、ひざ、更には内臓までもが体の成長についていけなかった。高校は丸々1ヶ月休学して家で野球の勘を忘れないようずっとテレビや動画を見ていた。


 1ヶ月後学校に復学した。周りはグループが既に出来上がっていた。出遅れたことに自分の体の急な成長を恨みもした。だが、急成長により体格は195㎝、体重70㎏と、急変していた為、元同じ中学の野球部員がみんな心配して自分のクラスに話しに来てくれた。そこから他中の野球部員とも知り合いになり、野球部に誘って貰えた。


 そこから野球部に入部し、成長しすぎた体にも馴染んだ頃、ピッチャーをやってみろと監督に言われ、1ヶ月程ピッチング練習をした結果、制球力は二流だが球速は148㎞程のピッチャーになる事が出来た。


【6月中旬】


 しかし、その頃から先輩方に妬まれ始めていた。靴が隠されていたり、水筒に大量の塩が入れられていたり?(初夏だった為塩分補給に丁度良かった)とそこまで酷い事はされなかったが、妬まれている事は感じていた。


 高校一年生の夏、そこで俺に転機が訪れた。


 全国高校野球選手権大会予選、S県の我らK高校は、予選の一、二回戦で敗退する弱小校であり、対する相手は予選で何度も決勝まで残り、去年の主力が5人も残っている強豪校だった。先輩方も今年は一回戦敗退だと諦めていたが、俺はその日ピッチャーの先輩が肘の痛みを訴え、急遽先発で投げることになっていた。(今となっては、負けると思っていた先輩ピッチャーが打たれたくないから俺に投げさせようと仕組んだと知ったが)


 練習試合では何度か投げた事がある俺でも、公式戦ではこれが初めてだった。緊張はしていたが、守備に任せてのびのび投げようと思って投げた。


 その結果、制球力は二流程度だったはずの俺がバンバンとストライクに入り9回までで、四死球1三振18被安打1と超好成績を叩き出した。しかも、相手の4番を相手にして自己最速の154㎞をミットにぶち込んだ。


 そして、その試合は我らK高校が2ー0で勝利するという大番狂わせが起こった。


 そのまま順調に我らK高校は勝ち進み、決勝戦で超強豪U学院高校との試合、俺は大会で初めて使うカーブで速球との緩急をつけて、強力打線を四死球0三振22被安打1でねじ伏せた。


 結果、我らK高校は甲子園に出場。K高校は予選で三回戦進出すらした事が無い弱小校だったが、初めての快挙に高校からも表彰された。(校長先生はあまりの嬉しさに自腹で超巨大な横断幕を野球部にくれた。)しかも、試合の応援に行く生徒は公欠扱いにするという事で3年生の一部を除き高校の全ての人が応援に来た。(教員、事務員等も来た為全て自習になったらしい)


 甲子園出場と言う言葉に火がついたのか、野球部のみんなは朝から晩まで守備練習、走塁練習、バッティング練習を重ね初戦の前々日には見違える程上手くなっていた。


 そんな中迎えた甲子園初戦当日、部長のくじ運の無さに昨年の優勝校O県代表O高校(去年の主力が4人残っている)とぶつかる事になってしまったが(部長がくじ引きから帰って来た時は半泣きだった)朝のミーティングではみんな吹っ切れていた。そのミーティング後に先輩方から嫌がらせをしていた事を土下座で謝られた。お詫びにとスポーツ用品店の半額券を貰った。


 結果的に試合は我らK高校が3ー0で勝利した。


 守備の不安も全くと言っていいほどに無く、4回からは打たせて取るピッチングに切り替え少し楽をさせて貰った。(と言っても速度は150㎞を余裕で超えている)


 その頃、ニュースの取材や雑誌の取材などが急激に増え、世間でも連投に不安のある人達やSNSで騒がれていた。でも、自分では一日寝ると疲れは無くなる様になっていたのであまり気にしていなかった。


 思えばこの時から俺の体は少しおかしかったのだろう。


 その後は特に何もなく決勝戦まで勝ち残り、決勝戦最後の1イニングを160㎞のストレートで抑え込んだ為、『剛腕球児』と呼ばれるようになった。


 優勝後はプロ野球からも声を掛けられ、更にはメジャーリーグからも年俸15億で話が来た。高校1年生では流石に不安だと答えたら卒業まで待ってくれると言うので卒業後にまたお話しする事にした。


 しかし、俺はプロやメジャーに行くどころか卒業すら出来ないとはこの時予想できた人は世界に1人もいなかっただろう。

読んでいただきありがとうございます。慣れてくるまで更新は不定期ですが、これからもよろしくお願いします。

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