第弑魑話
「おえんのう……てぇれぇてえぎなことになってもうた。なんもかんものうなってまう」
「大丈夫ですよ。村長がいますし僕や千鶴さんもついてます。浅浦さんも安心して避難してください」
「氷上の坊はもんげぇえい子じゃけん、婆は安心じゃ。じゃけんどな、ぞんぞんするんじゃ。どうしょうもうなくぞんぞんして、震えが止まらんのじゃ」
「……またすぐに戻れますよ。いつものように我が家に来て、いつものようにお茶をして、いつものようにのんびりと話しましょう。体調を崩さないよう注意してくださいね」
避難の準備が始まって約半刻。
参加者の数は二百を優に超え、村民の半数以上が避難に参加することとなった。
数少ないマイクロバスへ身寄りのない老人が乗り込み、軽トラックの荷台にも人を乗せ、村内にある車両はあらかた集った県道沿い。
避難を目前に、残る者と去り行く者とで言葉を交わしていた。
「桃子、すぐ戻るからね。銀次君に迷惑かけちゃダメよ」
助手席から桃子へ語りかける桃子の母。心配を隠せないその顔つきに、桃子は笑って応えた。
「わかってるよお母さん。むしろ私が迷惑かけられないよう心配してよね! お父さんも桃香のことよろしくね」
「……私はやっぱり反対だ。今からでも遅くない、一緒に避難しよう」
運転席に座る桃子の父。しかめ面の横顔は、娘のことを大事に思っているが故だろう。
娘だからこそ、一緒にいて守ってやりたい。娘だからこそ、その意思を尊重してあげたい。
二律背反する感情は、眉間の皺となり低い声となって搾り出された。
それを桃子が感じ取ったのかは父にはわからない。しかし、桃子ははにかみ呟いた。
「実はさ……海、行きたかったんだよね。家族みんなで」
「……そうか。戻ってきたら、みんなで行こうな」
「銀ちゃんも一緒にね!」
複雑な顔で視線を逸らす父を尻目に、桃子は桃香へ視線を移す。
後部座席で首をもたげ眠りこける愛しい妹。その寝顔は穏やかの一言だ。
起こすか起こすまいか悩んだ桃子は、また会えるのだからと微笑んで別れを終えた。
結果から述べると、避難は失敗した。
想定し得る中でも最悪の部類で。
三日目の朝、県道には十人弱の人間が横たわっていた。
皆一様に服を着ておらず、皆一様に手足の長さが違う。
焼けた肌もあれば、真紅に染まった肌もある。
骨しかない指もあれば、指輪をはめた指もある。
指を初めとして、間接ごとに違う“パーツ”を組み合わせてできた新たな人間。いるはずのない新たな村人。いないはずの村人たち。
吐き気を催す肉人形。それが千鶴に浮かんだ嫌悪の言葉だった。
「なんて酷いことを……!」
銀次の口の端から赤い血が垂れるのを、千鶴は見逃さなかった。強く喰いしばりすぎたのだろう。
怒りに燃える銀次と比べ、千鶴は随分と冷静だった。
口元に手を当て吐き気を堪えてはいるものの、取り乱したり怒りを露にしたりはしていない。知らせを受け千鶴たちと共に現場へ訪れた周囲の数人が、泣き叫び嘔吐しているにも関わらずだ。
私は、こうなることを知っていた。
避難は失敗する可能性の方が高い、そう思いつつも淡い希望に賭けてみた。それがどれほどの死を生み出すかを知りつつも。
だから家族を避難させなかった。
……私は地獄に堕ちるでしょうね。
避難が失敗に終わると考えていたのは、何も千鶴一人ではない。武志も同じだ。
発案した身でありながら、最初に予期していたのも武志だった。
人狼のメッセージが本当ならば、避難は選択肢から外れる。が、所詮相手は個人あるいは数人だろう。双方向から車両で逃げ出す数百人を殺せるはずがない。
そんな甘い考えが、村人を殺したのだ。
「おのれ……おのれおのれおのれ、おのれえええええええ! よくもこんな辱めを! この恨み、万倍にして返すぞ人狼ォ!」
許せなかった。自分が、そして人狼が。
怒りは慟哭となり決意となって木霊した。
人狼を――殺す。
十弱――正確には二百強の――死体を前にして、銀次は後悔してもしきれなかった。
何故あの時止めなかったのか。何故もっと危険性を説かなかったのか。何故、何故。
歯が砕けかねないほどに喰いしばっても、爪が刺さり血が出るほどに両手を握り締めても、悔いは消えず銀次を責めた。
そんな銀次の隣で、桃子は立ちつくしていた。
涙も出ず、声も出ず、心此処に在らず立ちつくす。
そんな桃子の姿は、銀次を余計に苛んだ。
「……あれ、は……?」
呟きと共に歩き出す桃子。その視線には、一つの死体があった。
死体は分断され、ドレが誰のモノなのかわかるはずがない。そもそも、その猟奇的な死に様は見る者に吐き気を催させ、直視などさせはしない。
それでも桃子は見つけてしまった。
妹を、妹だったモノの一部を。
「なん、で……私がつけちゃった痕が……見えるのよぉ」
手首と五指が離れてしまった右手の甲に、一筋の溝。小さく柔らかなその甲は、唯一残った“桃香”であった。
“桃香”を両手に握り締め、胸元に抱きしめる桃子。
嗚咽し小さくなる桃子の背を、銀次は黙って見つめるしかなかった。
「村長、千鶴さん。ちょっといいですか」
むせび泣く桃子に背を向け武志と千鶴を呼び寄せる銀次。その視線はすでに次を見据えていた。
「何用だ氷上。たわいもないことで呼び立てたのなら承知せんぞ」
「今後のことです」
「待って銀次君。口元と両手の血を拭っておきなさい。他の人が心配するわよ」
「ありがとうございます。洗って返しますね」
千鶴が差し出したハンカチで血を拭い、デニムパンツのバックポケットへ無造作に突っ込むと、銀次は語り始めた。
「状況を整理しましょう。人狼の目的は村人の殺害、これは間違いないでしょう。逃亡を徹底的に阻止しているところから、全滅を狙っている節もあります。脱出は不可、救援の期待もできない。恐らく敵は夜に犯行を行なっている。ここまではいいですか?」
「そんなことは言われなくてもわかってる」
「続けます。敵は複数、それも僕たちの中にいることは間違いありません」
「それって人狼のメッセージを信用するってこと?」
千鶴の質問に、銀次は頷いて答えた。
「ですが人狼が言う『生き残りたければ探し出して殺せ』は信用できないでしょう。そも、敵の人数が不明な上に約束を守るとも限りませんから」
「何が言いたいのだ氷上。考えがあるのならさっさと言え」
回りくどいと感じたのか、武志は銀次に結論を求め、銀次はそれに応じた。
「罠を仕掛けます。敵に情報が漏れているというのなら、それを逆手に取ればいいんです」
「でも村人の中にも人狼がいるかもしれないんでしょ? 逆手に取るってことが相手にバレる可能性もあるんじゃない?」
「情報を絞ります。罠を仕掛けると通達し、あるグループにはAの罠、あるグループにはBの罠と別々に周知させ動かすんです。これでグループごと隔離してしまえばある程度の対処が可能なはずです」
「ちょっと待て氷上。その作戦の前提条件をよく考えてみろ」
武志の指摘に、千鶴が気付き、銀次は視線を落とした。
「……罠を仕掛けるってことは、獲物を釣る餌がいるってことね」
「……ええ。言いたくはありませんが、村人に餌となってもらいます」
銀次の一言に、武志は下卑た笑みを浮かべた。
傑作だ、あの氷上が村人を捧げるとな――とでも言いたげに。
「お前がそんな決断をするとは思いもしなかったよ、氷上。よほど今回のことが堪えたようだな」
「……村長は反対ですか?」
「いいや、賛成だ。どんな犠牲を払おうと人狼は殺す。それが村を救うための唯一の手段であり、死んでいった者への弔いだ」
「矛盾してるわよ、それ」
武志の目には復讐の火が、銀次の目には決意の火が灯り、爛々と輝いている。
武志と銀次は千鶴を見つめ、千鶴は溜め息と共に賛成を唱えた。
「……私たち、死んでも許されないわよ。それでもいいならやりましょう」
「決まりですね。作戦の詳細は彼らを埋葬してから決めましょう」
戦いが、始まろうとしていた。




