第死話
小坂田信二は、兄の信一と共に古くから妹尾家に仕える男だった。信二の親もそのまた親も妹尾に仕え、そして死んでいった。
「死にたく、ねぇ……」
市内の警察署へ向かう車内で兄と他愛も無い会話を重ねる中、信二は何を買って帰ろうかと頭を悩ませていた。
そんな折に、
「うわ!」
突然の急停車。
文句の一つでも言ってやろうと兄へ視線を向けるが、それよりも早く兄から怒声が飛んでいた。
「馬鹿野郎! 死にてえのか!」
見れば、車の前には一人の男が立っていた。
一見ボサボサに伸びた髪は、しかしそういう髪型なのだろう。街に赴いた時に若者がそっくりな髪型をしていたのを覚えている。
筋の通った鼻に形の整った独特の眉。微笑を浮かべるその顔と目は、なぜか怪しげな雰囲気を漂わせていた。
「聞いてんのか! さっさと退け!」
車の窓を開け罵声を浴びせる信一に、男は返事もせず近付いてきた。
信二は兄である信一に全幅の信頼を寄せていた。
身体的にも頭脳的にも兄に劣る信二は、いつも信一に助けてもらっていた。幼い頃は反発することもあったが、年を重ねた今では和解し村一番の兄弟だと自負していた。
「なんだ――よ?」
車内に吹き荒ぶ鮮血の嵐。
信二には理解できなかった。
首筋から噴出する滝のような血も、傷口を押さえもがく信一も、男が何者で、兄に対して何をしたのかも。
わかったのは信一が最後に呟いた言葉だけ。
「に、げろ……!」
信二は逃げた。兄を捨て、自分を捨てて、兄の言葉だけに従って逃げた。
恐くて、怖くて、なにも考えたくなくて、ただ、死にたくなかった。
日は既に傾き、漆黒の帳が下り始めていた。
闇が支配する森の中を、信二はひたすらに走った。
どれくらい走ったのだろうか? 足は疲労の限界を迎え、ついには意思と関わらずその動きを止めてしまう。
「死にたく、ねぇ……」
樹木に背を預け腰を下ろす信二。
座りたくはない、座ればその場から動けなくなってしまう。
そう思ってはいても、信二はそれ以上足を動かすことができなかった。
「追いかけっこは終りかい?」
唐突に背後から聞こえた男の声に、信二は体を震わせた。
背後には樹がある。そもそも人の気配なんてしなかった。
じゃあ、どこから?
今すぐにでもこの場から逃げ出したかったが、信二の足は動かなかった。恐怖と疲れで限界を迎えた足は、すでに信二の命令を聞こうとしない。
「……んだ。なんなんだ。なんなんだお前は!?」
その問いに、闇の中から男は答えた。
「人狼」
「……ハハッ」
信二の喉から笑いが漏れ出る。
乾いた笑みは、諦観の象徴か。
「もういい、ひとおもいにやってくれ。兄貴が死んだのに俺が生きててもしょうがねえ」
「手間が省けて助かるよ」
自動車の前にいた時と同じ笑みを浮べ、謎の男は闇の中から姿を現した。
信二の目には人に見えた。どこにでもいる街の若者。
だが、違う。明らかに違う。
この男は、自分とは違う生き物だ。
男の目を見た信二は、自分と男の関係が、蛇とカエルに他ならないのだと理解した。
軽快な音を立てて溢れる血潮。
血で染まる地面を見つめ、村の行く末を思うと同時に、心中で信二は兄へ謝った。
逃げてごめん、と。
生首発見から一夜明け、再度の会合が妹尾邸で開かれた。
「それで、朝早くから会合が開かれた理由はなんなの? 私朝風呂に入りたかったんだけど」
寝起きなのだろう、千鶴は寝癖でボサボサになった頭を掻きながら不満を漏らした。
千鶴の問いに、武志は簡潔に手早く答える。
「原田良子が死んだ」
その言葉に、一瞬にして場の空気は入れ替わる。眼を擦っていた銀次はその手を止め、真剣な面持ちで武志に確認を求めた。
「……村長、その冗談は笑えませんよ」
「冗談を言うと思うか氷上? 原田良子だけではない、警察へ使いに出した小坂田兄弟も死んだ」
「死んだって、どうしてわかるの?」
「原田太助の首を確認しに使いを連れて早朝から足を運んだ。そこで三人の首を見つけただけだ」
「良子さんはここへ泊まっていたはずですよね? どうして死んでるんですか?」
「そこまではわからん。死体があったから会合を開いただけだ」
「……あの時かも」
千鶴の呟きに、武志と銀次は一斉に視線を向ける。千鶴はその勢いに驚きつつも、口にした当時の状況を語りだした。
「い、いや、たぶんあの時かな、って思うだけで確証はないんだけどね、その上で聞いてよ? たしか、あれは二十時くらいだったかな? 日が完全に暮れて、私がお風呂に入ろうと縁側を歩いていた時よ。良子さんが庭に立って空を眺めていたから、私は後ろから声をかけたの。あまり一人で外にいるのは危ないって。良子さんはわかったって言って縁側に腰掛けてまた空を見初めたから、私は気にせずお風呂に入ったわ。出てきた時には良子さんの姿は無くて、部屋に戻ったのかなって思ってたけど」
「他に良子さんを見たって人はいないんですか?」
「聞き込みをしてみたが、この家にいた者の中にはいなかったな」
ふと、銀次は思い浮かんだことを口にした。
「そういえば、現場に血文字のメッセージはなかったんですか?」
「ああ、あのメッセージか……我々を混乱させるだけだろう。あるにはあったが気にする必要はない」
「教えてください。なにが書かれていたんですか?」
銀次の問い詰めに武志は苛立ちを覚えたが、千鶴に口出しされるのも癪だと思いメッセージを伝えることにした。
「我は人狼なり。村からの脱出は不可能と知れ。汝は人間なりや? だ」
脱出不可能――それはつまり、逃がすつもりはないという意思表示。
「前回のメッセージが生き残りたければ人狼を探し出して殺せ。そして今回が脱出は不可能。これが本当なら、犯人は僕たちを皆殺しにするつもりですかね?」
銀次の発言を、武志は一笑に付した。
「フッ、何度言わせるつもりだ? 人狼などありえん。が――」
人狼を全く考慮しない武志でも、今回の事態は尋常ではないとみたのか、事態の危険性について口にした。
「犯人――ありえないが、仮に人狼としようか。人狼が村の人間を狙っていることは明白だ。それについては早急に対処せねばなるまい」
「同感ね。現状のままに各自で警戒させても犠牲者が増えるだけだわ。事情を話して避難させるなりした方がいいわね」
「殺人犯がいるので避難をさせる。そこまではいいですけど、一体どこへ避難させるんですか? この家がいかに広いと言っても、さすがに村人全員を収納できる場所も食料もありませんよ?」
銀次の疑問に、武志は一つの提案で答えた。
それは、
「希望者を募り村外へ集団で避難させる。隣町まで辿りつけば我々の勝ちだ」
それは、脱出不可能というメッセージへの挑戦だった。
これを聞いた千鶴と銀次、特に銀次は猛烈に反対した。当然だろう。村人を守るべき立場の御三家が、どうして村人を危険に晒すような真似ができようか。
「反対ね。ありえないわ。街へ向かった二人が死んでる以上、脱出は困難と考えるべきよ」
「千鶴さんと同じで反対です。街へ向かった二人を殺した犯人と、良子さんを殺した犯人は別々とも考えられますし、もしかするともしかすれば、脱出する人間の中に共犯者がいるかもしれない。そんな危険な賭けには乗れません」
二人の反発を受け、武志は静かにしかし明らかな怒気を孕んで言葉を発した。
「ならばどうする? 村の人口は百を軽く超えている。これだけの人数を、期間も不明瞭なままに一箇所へ拘束していられると思うか? 場所は? 食料は? 桃の収穫もある。殺人事件など早々に解決せねばならんのだ。でなければ、この村は今まで以上に孤立してしまうぞ」
武志の言うことはもっともだった。
妹尾邸は広い。が、広いと言っても限りはある。精々一度に住めるのは四十人前後だろう。それだけの人数が住まうとなれば食料も大量に必要となってくる。おまけに今の時期は桃の収穫が忙しくいつまでも拘束しておくわけにはいかない。
つまり現状においては隣街へ避難して警察に助けを求めるのが、一番効率が良く手っ取り早い解決策なのであった。
そしてそれを理解していない銀次と千鶴ではない。
ないのだが。
「……それでも僕は反対です。異変に気づいて隣街から誰か来るかもしれない」
「それは希望的観測にすぎん。お前が言う誰かを待つより脱出の可能性に賭ける方がまだ分がある。難波とてそれはわかっているだろう?」
武志に問われ、千鶴は押し黙ってしまう。
銀次の言うことはもっともだし、武志の言うこともわかる。故に、可能性が高いと思える武志の案が魅力的に感じてしまうのだ。
その魅力が、村人の命を掛金としているのを薄めるほどに。
「……私も脱出に賭けてみる」
「千鶴さん!」
千鶴の返答に、武志は頬を歪ませ、銀次は驚嘆の表情を浮かべた。
「条件が二つあるわ」
千鶴はそれでも心の底から同意したくないのか、武志に条件をつきつけた。
「いいだろう、言ってみろ」
「一つは無理強いしないこと、一つは脱出する人には包み隠さずすべてを話すこと。この条件が飲めない以上は賛同できないわ」
しばしの黙考後、武志は千鶴の条件を受け入れ銀次もそれに賛同した。
もっとも銀次は最後まで渋っていたが、代替案が出ない以上仕方ないと諭された上でだが。
「じゃあそれぞれ手分けして村の人に説明しに行きましょう。一旦妹尾の家に集まってもらって、説明をした上で脱出希望者を募る、それで異論はないわね?」
千鶴のまとめに、武志と銀次は頷いて会合は終りを向かえた。
「とまあこんな感じだね。桃子はここにいていいよ。僕は担当してる家にひとっ走りしてくるから」
会合を終え、身支度をしていると桃子が話しかけてきたため、銀次は事のあらましを説明してあげた。
話を聞いた桃子は、
「……私は、行きたくないかな」
と、うつむき具合に返答した。桃子の言葉に、銀次は思わず疑問符を浮かべてしまう。
「えーと、だからここに」
「違うの。もしパパとママが隣街へ逃げるって言っても、私は行きたくないってことなの」
「……気持ちはわかるけど、あんまり親御さんを困らせちゃだめだよ。それじゃあ行ってくるから」
うつむいて思考に浸る桃子を残し、銀次は妹尾邸を後にする。
燦々《さんさん》と降り注ぐ陽の光は銀次の肌を強く焼き、思わず天を仰がせた。
「……まだまだ熱くなりそうだな」
漏れでた言葉は言うまでもないことを、銀次は理解していた。
夏はまだ、始まったばかりなのだから。




