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凡人枠シリーズ

陛下、勝てない理由がわかりました ~S級戦士とA級「ステータス画面」がいても、戦争だけが終わりません~

掲載日:2026/07/19

 王国軍は、七戦七勝だった。


 そして戦争は、八か月たっても終わっていなかった。


 勝つのと終わるのは、どうやら別の仕事らしい。


「次のベルナ城も、三日で落とせます」


 王都の戦時会議室で、S級戦士ガレスが言い切った。


 大剣を背負った大男だ。先月は共和国最大の城門を、一撃で、立派に門ではないものにした。


 城門は一撃。戦果報告書の提出は三日後。S級にも、得意不得意はある。


 城攻めの三日という見積りにも根拠がある。彼は自信家だが、ほら吹きではない。


「偵察結果も一致しています」


 A級偵察官が、宙に指を滑らせた。


 青白い画面が、長机の上に開く。


【共和国第三方面軍】


 兵力:52,410


 補給:64


 疲労:82


 士気:96


 降伏意向:3


 会議室がざわめいた。


 国王陛下が玉座の肘掛けを指で叩く。


「士気、九十六? 七度負けておいて、なぜ上がる」


「理由は表示できません」


 偵察官の指が、画面の手前で止まった。


「なぜだ」


「この能力で読めるのは、兵力や補給など、軍の状態です。人の心を読む力はありません」


「士気の数字は正しいのか」


「そこは正確です」


 偵察官は、静かに画面を閉じた。


 私は末席で、画面と戦況表を見比べた。


 ノア・サガラ、三十六歳。王国官房の中堅官僚。


 剣も魔法も、ステータス画面もない。


 国王臨席の会議に座れる程度には出世したが、末席は出入口に近い。国の中心より、逃げ道に近い地位である。


「これまでの死傷者は」


 陛下が財務卿へ目を向けた。


「王国軍だけで一万二千人余り。戦費は、平時の国庫収入二年八か月分を超えました」


「共和国は」


「推定四万以上。ただし、昨夜も議会が追加動員を可決しております」


 地図の青い駒が増えるたび、戦死者名簿の黒い文字も増えた。


 負けるたび、兵が増える。


 豆を投げるたび鬼が増える、たちの悪い節分みたいな話だ。


 ガレスが地図の都市を指す。


「首都まで、残り四城。そこまで行けば、必ず折れます」


 その言葉は信用できた。


 問題は、六つ前の城を攻める時にも、同じことを聞いた気がすることだった。


 陛下が、今度は私を見た。


「ノア」


「はい」


「お前は、運河通行税の紛争で、橋を一本増やして両部署の税収を上げたそうだな」


「橋を増やしたのは土木局です」


「兼用できると気づいたのはお前だ」


「会議で双方の悪口を三時間聞いただけです」


「それを意外な才という」


 絶対に違う。


 ただ、王命とは、異議申立て先のない依頼書である。


「今回も、何かないか」


 地図の青い駒は、共和国の奥まで進んでいる。


 その横に、戦死者の追加名簿があった。


「わかりません」


 会議室の空気が、わずかに固まった。


 参謀長が眉をひそめる。


「戦場を知らぬ文官に、聞くことではなかったのでは」


「おっしゃる通り、私は戦場を知りません。ですから、勝ち方には口を出しません」


 私は、追加された戦死者名簿に手を置いた。


「調べるのは、なぜ七度勝っても終わらないかです」


 陛下は急かさない。


 本人は知らないが、弁護士の使い方が分かっている。良い依頼者だ。


「三日ください」


「何が要る」


「部屋を一つ。開戦からの戦況報告、捕虜調書、占領行政、徴発と支払、国庫支出、共和国へ出した通告の原本を、全部お願いします」


「兵は」


「要りません」


「魔導具は」


「明るいランプと、紙を結ぶ紐があれば」


「ならば、三日でやれ」


「陛下」


 ガレスが苦笑した。


「私は三日で城を一つ落としますよ」


「私は三日で、まず資料を落とします」


 笑ったのは陛下だけだった。


 人望の違いが出た。


◇◇◇


 資料は、部屋を一つ満杯にした。


 弁護士の仕事は、法廷で格好よく異議を叫ぶことだと思われがちだ。


 実際は、段ボール箱に入った書類を前に、「誰がこれを入れた」と聞く時間の方が長い。


 この世界に段ボール箱はないが、箱に入った書類が人を困らせる点は同じだった。


 探している原本ほど、写しの束の底で静かにしている。書類の慎ましさは、探していない時だけで十分だ。


 私は紙を四つに分けた。


 確認できた事実は青い紐。


 誰かの評価や推測は黄色い紐。


 原資料のない伝聞は赤い紐。


 戦争目的と命令の変更は黒い紐。


 「敵は狂信的」は黄。


 「第七戦区の投降者数が、三か月で八分の一」は青。


 「捕まれば殺されると共和国で言われている」は、本人と宣伝紙を確かめるまで赤。


 最初の半日で、黄色い束がいちばん高くなった。


 人間は、事実より評価の方をたくさん書く。色にすると、その癖がよく分かる。


 束の高さで戦争が決まるなら、推測はとっくに大陸を統一していた。


 偵察官が夜食を持ってきた。


 盆を置く場所を探し、紙で埋まった机を見回す。


「夜食は、何色の紐で分類すれば?」


「食べた事実は青、味の評価は黄色です」


「赤でなくて安心しました」


 彼はパンとスープを、青い紐の束の横へ置いた。


「士気の理由は、本当に見えないんですか」


「兵力、位置、補給、疲労、装備、士気、降伏意向。表示できるのはそこまでです」


「数字の理由は」


「見えません」


「不便ですね」


「チートを持っていない方に言われると、なかなか腹が立ちます」


 初めて、偵察官が笑った。


「転生した時に、能力の説明は」


「その話はやめましょう」


 私はパンをちぎった。


 そういえば、私にも転生時の説明は一度だけあった。


 転生前の、白い窓口だ。


「おめでとうございます。今期は珍しく営業成績がよくてですね」


 ずれたとんがり帽子に、星柄のマント。目の下には、前世の私より深いクマがあった。


「申し遅れました。転生窓口で凡人枠を担当しております、ツクヨです」


 ツクヨと名乗った男は、「MAGIC」と書いてある杖を片手に、書類をめくった。


「比較的安定した王国の、中流家庭枠が一つ空いております」


「神様にも、営業成績があるんですか」


「配属数と定着率で評価されます。世知辛い話はこの辺でやめましょう」


 私は、この流れを知っていた。前世で異世界転生ライトノベルの著作権紛争を扱い、「白い空間で神から能力を授かるのは、ありふれた設定である」と書面に書いたことがある。


 まさか、身をもって立証する日が来るとは。


 日本であれほど流行っていたのは、帰還者が原作者に混じっていたからかもしれない。


「チートは」


「ございません」


「特別な身分は」


「中流家庭です」


「本当に安定していますね」


 ツクヨは、ますます申し訳なさそうな顔をした。


「実務経験の持ち越しは可能です。弁護士として、どのようなご専門を?」


「離婚、相続、交通事故、借金、破産、労働、境界紛争。当番弁護も、ときどき」


「つまり、およそ世界を救いそうにない分野ですね」


「失礼な。依頼人を救ってきました。離婚も相続も、当人にはそれぞれ世界の終わりみたいな問題です」


「救われたと思っているかは、本人の主観によりますが」


 ツクヨは初めて顔を上げた。


「小さい争いを、小さいうちに終わらせる人がいるから、国は安定するんです」


 そう言って、彼は私の書類に「凡人枠」の判を押した。


 彼の営業成績は、いまの王国を見る限り、少し過大評価だったかもしれない。


 それでも、安定を取り戻す方法は、どこかにあるはずだった。


 二日目の昼、黒い紐の束に、共和国への通告文が並んだ。


 開戦時。国境砦の撤去と、旧境界への復帰。


 二回目の勝利後。係争地全域の割譲と賠償金。


 四回目の勝利後。共和国軍の武装解除と主要都市の占領。


 七回目の勝利後。共和国議会の解散、政府の総辞職、無条件降伏。


 勝つたび、戦争目的が大きくなる。


 依頼人が有利になるたび、請求書の桁を増やしているようなものだ。まとまるものも、まとまらない。


 軍には、敵を倒す担当がいた。


 財務には、戦費を数える担当がいた。


 外務には、要求文を書く担当がいた。


 だが、相手がどの条件なら争いを終えられるかは、どの部署の担当欄にもなかった。


 また、ある数字が目についた。


 王国軍の補給量は、一度も基準を下回っていない。


 いっぽう、占領地の徴発受領証は、六割が未払い。


 物資は前線へ届いている。


 その物資を出した家に、金が届いていない。


 封筒の表には、赤い「至急」が五つ押されていた。


 至急の印を何個重ねても、銀貨にはならない。


 中立神殿は、両国の国境が引かれる前から街道沿いにある神殿網で、王にも共和国議会にも属さない。古い条約により、戦時の遺体返還と行方不明者照会を仲介できる。


 開戦後も、中立神殿の早馬だけは両国の間を走っていた。戦死者名簿と遺体返還の照会は、その道で往復している。


 連絡手段がないのではない。捕虜の安否と収容所の視察を、その道に載せる書式がなかった。


 三日目の朝。


 私は束ねた資料を持って、陛下のもとへ向かわなかった。


 前線へ行く許可を求めた。


◇◇◇


「三日で終わらなかったか」


 陛下が聞いた。


「資料は読み終えました。まだ、人を読んでいません」


 陛下は少し考え、次の攻撃を私の帰還まで待つよう命じた。


「官僚を一人で行かせるわけにはいかない」


 そう言って、陛下がつけた護衛は、ガレスだった。


 護衛という言葉の定義が、国王と私でだいぶ違った。


 普通の護衛は、襲撃を防ぐ。ガレスの場合、襲撃する側が予定そのものを見直す。


「私が前線を離れる価値が、その資料にあるのですか」


「あると思っています」


「思っている」


 前世の職業は、公には伏せている。異世界の資格証を出せるわけでもなく、説明すれば話が長い。だが、同じ転生者のガレスとは、遠征の道中で互いの前世を話したことがあった。


「弁護士は、保証を求められたら、文章を長くする生き物です」


 ガレスは、大剣の柄へ手を置いた。


「かなり腹の立つ物言いですね」


「前世でも言われました」


 馬車は、前線へ続く道を走った。


 王国側の道には、糧食と矢の荷車が途切れない。


 補給は、たしかに成功していた。


 国境を越えた途端、帰りの荷車とすれ違う。


 空ではない。


 壊れた荷車、泥のついた農具、担架を載せた荷車。


 勝利には、帰り荷があった。


 前線の野戦治療所で、私は兵士三人から話を聞いた。


「敵は強いですか」


 そう聞くと、三人とも「強い」と答えた。


 調書と同じだ。質問が雑なら、答えも雑になる。


「敵兵が武器を置くのは、どんな時ですか」


 今度は、三人の答えが分かれた。


 将校が倒れた時。


 退路がある時。


 捕虜を受け入れる声が、こちらから届いた時。


「では、置かなくなったのは、いつからですか」


 三か月ほど前。


 二つ前の都市を占領した頃。


 逃走した捕虜が、収容所の話を共和国へ持ち帰った後。


「最近は、何と叫んでいますか」


「『生きて捕まるな』」


 三人のうち、包帯を巻いた若い兵が答えた。


「前は『共和国万歳』でした。あれなら、威勢のいい話です。今は違う」


 兵は手を見た。


「降伏しても生きて帰れないと、あちらは思っています」


 ガレスの顔から、苦笑が消えた。


 占領地の市場では、一人の女主人が、徴発受領証の束を見せた。


「麦、ヤギ、荷車の車輪。払うと書いてある」


「換金所は」


「王国軍が進むたび、遠くなった」


 女主人は紙の端を、指で弾いた。


「この紙をヤギに食べさせれば、少しは元が取れるかしら」


「ヤギは」


「あなたたちが連れて行ったわ」


 返す言葉がなかった。


 息子は共和国軍へ志願したという。


 補給画面には、麦が届いたことだけが表示される。


 ヤギを失った家から、翌月敵兵が一人増えたことは、どこにも出ない。


 捕虜収容所は、占領した古い織物工場を転用していた。


 窓の半分が割れ、夏の雨が吹き込んでいる。


 戸口で渡された捕虜調書には、同じ言葉が並んでいた。


 王制への敵意。


 共和制への狂信。


 改悛なし。


 調書だけ読むと、収容されているのは、人間ではなく同じ文章の写しだった。


 収容所長は、紙の束より疲れた顔をしていた。


「食料費は開設時のまま。捕虜は五倍。薬は軍優先です」


「本国へ増額を求めましたか」


「七回。回答は『戦況を見て善処』です」


 善処。


 これも前世から生き延びている、何も約束しない言葉だった。


 所長は窓の紙張りと、水で薄めたスープを見た。


「良くないのは、分かっています」


「悪意ではない、と?」


「悪意でなければ、腹が膨れるのですか」


 所長の声に、疲労と怒りが混じった。


「悪意がないことと、ひどい結果になっていることは、両立します」


 私は、所長の七通の増額申請を借りた。


 窓の奥で、足を引きずった男が、簡素な椅子に座っていた。


 元教師、エミル。予備役の小隊長。


 左脚の傷が悪化し、今は杖がなければ歩けない。


「王都から来た官僚だ」


 所長が紹介すると、エミルは笑った。


 歓迎の笑いではない。


「今度は、何を改悛しろと?」


 私は、彼の捕虜調書を開いた。


「『王制国家には屈しない。共和国万歳』。あなたは、これだけ言ったことになっています」


「そう言った」


「その前に何を聞かれました」


 エミルの目が、わずかに動いた。


「『王にひざまずく喜びを、今なら学べる』と」


「質問ではありませんね」


「では何だ」


「喧嘩の開廷通知です」


 エミルの口元が、ほんの少しゆるんだ。


 初めて、調書の文言ではない、彼自身の表情が見えた。


「私は、あなたが王制を好きかどうかに、それほど興味がありません」


「官僚の言葉としては、かなり危険だな」


「キャリアに影響するので、調書には残さないでください」


「官僚らしくなった」


「でも、王制そのものは嫌いではありません。機嫌を考える相手が一人で済みますから」


「いまので、さらに危険になったぞ」


「陛下は話の通じる方です。以前の仕事では、自分を国王だと思っている依頼人が何人もいました」


「何の仕事だ」


「それこそ、調書には残せません」


 収容所長まで、小さく息を漏らした。


 笑いが一つあると、次の言葉の通り道ができる。


 街弁の仕事で、よく学んだことだ。


「あなたが知っている共和国軍は、王国の降伏勧告をどう受け取っていますか」


「勧告?」


 エミルは声を上げた。


「議会を解散し、役人を追放し、武器と土地と金を全部差し出せという。あれは勧告ではない」


「私も、似た感想です」


「お前たちは、武器を置けと言いながら、武器を置いた者を飢えさせている」


 エミルは、水で薄めたスープを指した。


「家族に、生きていると知らせる紙さえない。故郷では、捕虜は死者と同じだ」


 彼の弟は、別の収容所から逃げていた。


 弟が持ち帰った飢えと病気の話で、故郷の志願兵は増えた。


「お前たちは強い。それは認める」


 エミルはガレスを見た。


「戦えば死ぬかもしれない。降伏すれば、国と家族を失った上で、ゆっくり飢える。どちらを選ぶ」


「戦う」


 答えたのは、ガレスだった。


 その声には、もう怒りがなかった。


「なら、何が保証されれば、あなたは部下に停戦を勧められますか」


 エミルの目がまた細くなった。


「今度は、降伏させる方法を、捕虜に教えろと?」


「いいえ。信じられる約束の作り方を、教えてください」


「王を信じろと?」


「信じなくて結構です」


 エミルが黙る。


「人を信じられない日のために、契約書はあるんです」


 前世で、何度も言った言葉だった。


 エミルは長く考えた。


 それから、ひとつずつ挙げた。


 共和国の議会と選挙を残す。


 降伏した兵を殺さず、飢えさせない。


 捕虜の氏名、所属、健康を記録する。


 本人が望むなら、家族へ安否を知らせる。


 重傷者は、両国で交換する。


 占領地の徴発には、紙でなく金を払う。


 収容所は、中立神殿の視察を受け入れる。


「共和国側の収容所もです」


 エミルが言った。


「我々も、お前たちの捕虜を適正に扱っているとは限らない」


「相互条件にします」


 彼は、そこで初めてスープを一口飲んだ。


「それでも、議会の強硬派は罵る」


「王国側にも、私を罵る人はいます」


「安心した」


 エミルは、初めてちゃんと笑った。


 帰りの馬車で、ガレスが言った。


「これで、勝てない理由は分かったのですか」


「いいえ」


「まだ?」


「分かったのは、敵が降伏できない理由です」


 私は黒い紐の束を持ち上げた。


「勝てない理由は、勝つたびに『まだ取れる』と、戦争の終わりを遠ざけたことです」


「捕虜に、王国の戦争の終わらせ方を聞いたのですか」


「王国側の担当欄が、空白でしたから」


「それは、自慢になりませんね」


「報告書にも、そう書きます」


◇◇◇


 王都へ戻った日の夕方、戦時会議が開かれた。


 地図の青い駒は、最初の会議と同じ場所にある。


 初めて、王国軍は新しい城を落とす前に、一人の官僚の報告を待った。


 国王陛下が、玉座から私を見下ろした。


「ノア。分かったか」


「はい」


 私は長机の上に、三つのものを置いた。


 一枚目。未使用の捕虜安否札。


 二枚目。代金の払われていない徴発受領証。


 三枚目。「無条件降伏」と書かれた最後通牒。


 どれも、ガレスなら片手で破れる紙だ。だが、いま王国で最も重い三枚だった。


「陛下、勝てない理由がわかりました」


 陛下の眉が動いた。


「我々は、七戦七勝だ」


「陛下。戦いの勝ち負けは、誰が決めると思われますか」


「勝った方だ」


「いいえ。少なくとも、ここまで片方が勝ち続けた戦争では、負けている方です」


 陛下の目が細くなった。


 私は、地図の青い駒と赤い駒の間へ、まだインクのついていない羽根ペンを置いた。


「一度の会戦の勝敗は、我々が決められます。ですが、戦争を終える鍵は共和国が握っています。こちらが勝利を宣言しても、相手が武器を置かなければ、次の会戦が始まるからです」


「我々は、武器を置いた後に失うものを、戦い続けて失うものより大きくしてしまいました。だから共和国は、負けながら戦い続けているのです」


「降伏するまで、勝ち続ければよい」


「できます」


 財務卿が顔を上げた。


 私は、首都攻略までに見込まれる死傷者、占領統治に必要な兵、四か月後の国庫残高、共和国の追加動員を並べた。


「その場合、確かに首都は取れます」


 次の紙を置く。


「最後に、共和国に残るのは死者の山と荒れた土地。王国に残るのは空の国庫と、陛下を恨む遺族です」


 誰も口を開かなかった。


「共和国の遺族は、次の戦争を用意します。王国の遺族は、この戦争を終わらせなかった者を問います」


 陛下の指が、肘掛けから離れた。


「では、どうする」


「武器を置いても生きられると、行動で示します」


 私は安否札を指した。


「捕虜の氏名、所属、健康を登録します。本人が望む場合だけ、家族へ安否を知らせる」


 受領証を指す。


「占領地の徴発には、代金を払う。この紙が本当に銀貨へ変わると示す」


 最後通牒を裏返す。


「共和国の議会と選挙は残す。市民への集団処罰を行わない。無条件降伏という文言を撤回する」


「捕虜待遇の改善は、武器を置かせるための芝居ではありません。停戦が失敗しても続けます。だから、中立神殿の視察を受け入れます」


 黒い紐の束から、一枚だけ抜いた。


「最も遠い二都市から撤兵し、三十日、攻勢を停止。浮く輸送、攻城、占領費を、自国の負傷兵と遺族、捕虜待遇、徴発支払へ回します」


 ガレスが、すぐに手を上げた。


「捕虜に食料と薬を使うなら、自国の負傷兵へ」


「どちらにも使います」


 予算表を、彼の前へ滑らせた。


「攻勢停止で浮く額の四割を自国兵の治療、二割を遺族給付、二割を捕虜待遇、二割を徴発支払へ」


「敵の元気を取り戻させて、再び戦わせるのか」


「それ以外の捕虜は、停戦まで引き続き収容します。先行送還は、重傷者と重病者の相互交換に限る」


 ガレスは、予算表に目を落とした。


「王国兵も、帰ってくるのですか」


「相互条件です」


 それきり、彼は反対しなかった。


 参謀長が問う。


「攻勢を止めれば、弱くなったと見られる」


「防御線と補給は維持します。ガレスと偵察能力も、失われません」


「攻勢を止めることと、弱くなることは別です。こちらの方が強いんです。だから、攻めずに守りながら、相手の出方を確かめられます」


 偵察官がうなずいた。


「約束を、敵が信じるとは思えん」


 今度は外務卿。


「信じてもらう必要はありません」


 私は、予定表を出した。


「三日以内に捕虜登録を開始。五日以内に安否札の第一便を、既存の中立神殿経路へ載せます」


 予定表の後半を指した。


「七日目に収容所視察。十日目に重傷者交換。占領地の支払窓口は、明日開きます」


「信用を求めず、確認させるのか」


「はい」


 そこで、国王陛下が言った。


「成功すると保証できるか」


「できません」


 いまのは、チート持ちでも少し言いにくい返事だと思う。


「以前の仕事で、和解を百件以上扱いました。『必ずまとまる』と言う人は、たいてい後の言い訳も上手でした」


 陛下の口元が、わずかに動いた。


「最悪は」


「共和国が三十日を再編に使い、攻撃してくることです」


「ならば、危険ではないか」


「だから防御線は維持します。偵察画面で大規模な兵力移動を監視し、越境攻撃があれば停止措置を解除します」


 私は、地図の防御線を指でなぞった。


「攻勢を止めるのであって、備えを解くのではありません」


「相手から回答がなければ」


「三十日後に、改めて判断します」


「最善は」


「誰かの家の玄関を、訃報ではなく、帰ってきた家族が叩きます」


 会議室が静まった。


 陛下は地図を見た。


 七つの勝利の印。四つ残った城。一万二千人を超える死傷者。


「攻勢を、三十日止める」


 王が命じた。


「最も遠い二都市から撤兵。防御線は維持しろ。捕虜登録、負傷者交換、徴発支払を始める」


 王の目が、私に戻る。


「条文は、お前が書け」


 参謀長が、私を見た。


「戦場を知らぬ文官、と言ったことは撤回する」


「議事録に残しておきます」


「そこまでは頼んでいない」


「口頭だけの撤回は、あとで争いになりますので」


 書類の穴を指摘した者が、その書類の担当者になる。


 前世から変わらない、とても強い法則だった。


「承知しました」


◇◇◇


 翌日、占領地の登録所に、新しい看板が掛かった。


 捕虜安否・徴発支払・行方不明者照会窓口。


「長くないですか」


 ガレスが言った。


「全部やると、看板は長くなります」


 彼は前線攻略から、重傷捕虜交換の護衛へ回されていた。


 城門を落とす力で、今は箱の封印を守っている。


「この安否札は、なぜ三部一組なんです」


「一部は家族へ。一部は中立神殿へ。一部は記録保管です」


「一枚ではだめですか」


「一枚目は失くなり、二枚目は見ていないと言われ、三枚目が国を救います」


 ガレスは、三枚の紙を並べた。


「城門の方が簡単ですね」


「城門は、三部になって逃げませんからね」


 捕虜は、本人が望んだ場合だけ、安否札を書いた。


 「王国によくしてもらっている」などと書く必要はない。


 生きている。


 負傷した足は治療中。


 家族の名前。


 それだけでいい。


 エミルは、原本を一枚書いた。


 宛先を書く手が、一度だけ止まった。


「これは、本当に届くのか」


「届ける人と、届いたかを確認する人を分けました」


「お前は、人を信じないな」


「信じたいから、確かめるんです」


 書記官が二部を写し、三部を読み合わせた。エミルが三部すべてに署名し、作成者と確認者がそれぞれ印を押す。


 エミルは、確認を終えた安否札一組を差し出した。


 七日目。


 中立神殿が、王国側の収容所を視察した。


 九日目。


 共和国も、王国捕虜の氏名と健康記録を開示した。そちらの収容所にも食料不足があることを認め、相互視察を受け入れた。


 十日目。


 国境の古い石橋で、重傷者交換が行われた。


 エミルは杖をつき、共和国側へ戻る列にいた。


 ガレスが、交換の護衛として立っている。


 橋の反対側から、王国兵の列が近づいてきた。


 車椅子に座った若い兵が、ガレスを見つけた。


「隊長」


 ガレスの肩が、ぴくりと動いた。


 亡くした副官と同じ隊の兵士だった。


「お前、生きていたのか」


「そのようです」


 若い兵が、やせた顔で笑った。


 ガレスは、大剣の柄から手を離した。


 両手で、車椅子の取っ手を握った。


「帰るぞ」


 それだけ言った。


 エミルとすれ違う。


 二人は目を合わせたが、声をかけなかった。


 敬礼も、握手もしない。


 二人とも、自分の国の方向へ歩いた。


 交換が終わると、共和国の使節が白い縁の旗を掲げた。


 降伏旗ではない。停戦使節の旗だった。


「王国の提案について、確認したいことがある」


 使節は、三枚の紙を差し出した。


 共和国議会は存続するか。


 占領地の徴発支払は、どの範囲まで行うか。


 捕虜名簿の相互確認は、誰が立ち会うか。


 共和国の降伏意向ではない。


 停戦条件への質問だった。


 けれど、弁護士にとって、質問が来るのは悪い反応ではない。


 質問は関心の証だ。ときには、同意へ向かう最初の道しるべになる。


 読まずに破るつもりの文書に、人は質問をしない。


「三部一組か」


 ガレスが言った。


「後ろに五部の回答案を積んでいます」


「城門を落としていた頃の方が、荷物が軽かった」


「あちらも、今は武器を置いています」


 ガレスは、それ以上文句を言わなかった。


 受け取った質問書の端を、折れないように揃えた。


◇◇◇


 三十日目。


 同じ石橋に、両国の使節が座った。


 王国は、共和国の政体に介入しない。


 共和国は、係争地に建てた新砦の運用を停止する。


 双方は占領地から段階的に撤兵する。


 係争地は三年間、双方と地元住民の代表による共同管理とする。


 二本の川の流路と古い条約文を共同調査し、恒久境界は中立都市の仲裁で決める。


 登録済みの捕虜は、名簿を照合した後、段階的に交換する。


 捕虜待遇、徴発支払、中立神殿の相互視察も、三十日前の提案を双方の義務として条文化する。個人の責任は調査するが、市民への集団処罰は行わない。


 どちらも、完全勝利とは書かなかった。


 両国の使節が、同じ羽根ペンで署名した。


 共和国の使節がペンを置き、私を見た。


「ノア殿。共和国は、王国を信じたから署名したのではない」


「承知しています」


「信じなくても、約束が破られれば名簿と中立神殿が証明する。だから署名できた」


 隣で、ガレスが小声になった。


「いまのは、褒められたのですか」


「私には、ほぼ満点です」


 署名の直後、偵察官が久しぶりに共和国軍の画面を開いた。


【士気:91】


【降伏意向:3】


【装備:整備済み】


【位置:全部隊、停戦線の共和国側】


「士気は九十一。降伏意向も三のままだぞ」


 国王の使節が画面をのぞき込んだ。


「共和国は降伏していません。停戦したんです。国を守る気まで消える方が困ります」


「停戦を守る意思は、読めるか」


 偵察官は、首を横に振った。


「意思は読めません。ただし、全部隊が停戦線の共和国側にいることは分かります。越境すれば、すぐに分かる」


「それで十分です。信じる代わりに、行動を確かめます」


「それなら、私の能力の範囲です」


 偵察官は画面を閉じた。


 三十日間、広げられたままだった地図を、初めて畳むことができた。


◇◇◇


 停戦協定から五日後、段階的な捕虜交換の第一陣が王都へ到着した。


 広場では、帰還兵の名前が読み上げられた。十日目の先行交換で戻った重傷者も、この日の式へ招かれていた。


 戦勝の鐘は鳴らない。


 代わりに、一人ずつの名前が鳴った。


 歩ける者。


 杖をつく者。


 家族の肩を借りる者。


 幼い子を抱き上げた途端、ふらついて笑われた者。


 広場の端で、国王陛下がその光景を見ていた。


「ノア」


「はい」


「我々は、勝ったのか」


 私は、広場で名前を呼ばれる兵士たちを見た。


「戦争は、終わりました」


 陛下は、少しだけ笑った。


「褒美を取らせる。何がいい」


「三日ほど、書類のない部屋を」


「無理だ」


 即答だった。


「明日付で、停戦履行室の室長に任ずる」


「私の希望と逆です」


「褒美と処遇は、必ずしも一致しない」


 王命とは、やはり異議申立て先のない依頼書だった。


 広場の中央で、ガレスが、あの若い兵士の車椅子を押している。


「お父さん!」


 人垣から、小さな女の子が飛び出した。


 若い兵士は返事をしようとして、何度も口を開いた。声の代わりに両腕を広げる。女の子がその胸へ飛び込むと、ガレスは車椅子の取っ手から、そっと手を離した。


 城門を壊した時より、ずっと慎重な手つきだった。


 偵察官は、帰還者の数を画面に出した。それから、珍しくその画面を閉じた。


 今日は数える必要がない。


 家族が、一人ずつ名前を呼んでいたからだ。


 兵力でも、捕虜番号でもない。父として、息子として、友として。


 七つの勝利では帰せなかった兵士たちを、一度の停戦が、家へ帰した。


(了)

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。


 戦争に限らず、紛争は、優勢な側だけでは終えられません。追い詰められた側が拒み続ければ、勝っている側ほど出口を失うことがあります。ときには譲ることで守れるものを増やす、「負けて勝つ」という終わらせ方もある。そんな人の争いの妙を、チート転生ものと組み合わせました。


 戦争を扱うライトノベルは数多くありますが、本作では軍略よりも、「人同士の争いは、どうすれば終わるのか」に焦点を置いています。


 凡人枠シリーズの、前世街弁の王国官僚編です。チートで敵を倒す話ではなく、強い味方が勝ちすぎた戦争に、相手が武器を置ける条件を作る話でした。


 「凡人枠シリーズ」は、チートに選ばれなかった転生者が、前世のまっとうな仕事で、チートが壊した世界を直していく一話完結の作品群です。どの作品からでもお読みいただけます。

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― 新着の感想 ―
とても感動しました。 強い国家、チートな人材があるからこそ連戦連勝できた事実はあれど、死兵となり最後の一人となっても徹底抗戦するというのは現代でもありますものね。 事実を整理し、相手を理解し、対話と仕…
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