【非公開】3姉妹の真ん中のわたし(リナ)
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両親の葬式が終わった日のことを、わたしは妙にはっきり覚えている。
春のくせに風が冷たくて、村はずれの墓地には灰色の雲が低く垂れこめていた。
黒い服なんて持っていないから、わたしたち三姉妹はそろって普段着のまま土の前に立っていた。
姉のエマは十二歳。まっすぐ前を向いて、泣かなかった。
妹のミアは七歳。ずっとわたしの袖を握っていた。
そして真ん中のわたし、リナは十歳で――泣くより先に考えていた。
――これから、どうやって生きていこう?
父は荷運びの馬車乗りで、母は薬を作って売っていた。かき集めた貯金は心もとなく、頼れる親戚も遠い。
大人たちは「かわいそうに」と言った。でも誰も、三人を引き取ろうとは言わなかった。
だからわたしは、その日の夜に決めた。
「わたしが働く」
小さな家の食卓でそう言うと、エマが眉をひそめた。
「リナ、あんた十歳よ」
「十歳でも薬草は摘めるし、薪拾いもできる」
「でも――」
「エマは針仕事うまいし、ミアはかわいい」
「最後のは仕事じゃないよぉ……」
涙声のミアに、わたしは笑いかけた。
「大丈夫。三人いれば、なんとかなるよ」
その時は、本気でそう思っていた。
―――――
なんとかならなかった。
村で子供ができる仕事は少なく、稼ぎにも限界がある。夏が終わるころには、保存食も底が見え始めていた。
「町へ行こう」
そう言い出したのはエマだった。
「王都じゃなくて、もっと近い町。人が多ければ仕事もあるかもしれない」
冬になってしまったら村での仕事はさらに減る。反対する理由はなかった。
村長を通して近々結婚するらしい青年に格安で家を売り、それを路銀に、わたしたちは村を出た。
問題は、道に迷ったことだった。
途中まではよかったのだ。
二つ隣の村で一晩宿を取り、そこで町に向かう行商がいたので、それについていけば町まで行けるはずだった。
ただ、大人と子どもの足の長さや体力の違いまで考慮していなかったのと、村を離れてからの行商の馴れ馴れしい態度に嫌な感じを覚えて、あえて距離をとって進んだのが災いした。
結果、前にいるはずの行商の姿はいつのまにか見えなくなっており、背の高い雑草の生い茂る森の中で、わたしたちは完全に迷っていた。
「リナ」
「……はい」
「地図読めるって言ったよね?」
「読めるよ!多分!」
「多分で森に入ったの!?」
夕暮れの森にエマの怒声が響いた。
ミアは半泣きだし、正直わたしもかなり焦っていた。見たこともない木ばかりで、どっちから来たのかもわからない。
その時だった。
「君たち、何してるの?」
声がして、三人そろって飛び上がる。
木立の向こうに立っていたのは、一人の少年だった。
年は十五、六くらい。上等な外套に革のブーツ。背には狩猟弓。どう見ても、わたしきたちよりずっといい暮らしをしている。
「迷ったの?」
少年は苦笑した。
わたしは負けじと胸を張る。
「迷ってません!ちょっと方向が不明なだけです!」
「それを迷子って言うんだよ」
エマが頭を抱えた。
その後、少年はわたしたちを町まで案内してくれた。
町の名前はラドール。近隣ではかなり大きな町で、石畳も市場もあった。
「ありがとう。本当に助かりました」
町門の前でエマが頭を下げると、少年は照れたように笑う。
「別に。父さんに見つかったら、『困ってる人を放っておくな』って説教されるし」
「お父さん、えらい人なの?」
「町長」
「ちょうちょ――――」
わたしはすかさずエマの腕を掴んだ。
「姉ちゃん」
「何?」
「結婚しなよ!」
「急に何!?」
少年も吹き出した。
「いやいや、僕に決定権ないから」
「じゃあ今から好きになればいいよ!」
「無茶言うなあ」
だが、そのやり取りが妙に楽しかったのか、少年――ルークはその後も何度かわたしたちを訪ねてくるようになった。
最初は食料の差し入れ。次に町の仕事の紹介。来るたびに、エマと話す時間が長くなっていた。半年後には、町中が知っていた。
『町長の息子、あの美人三姉妹の長女に夢中らしい』
わたしは心の中でガッツポーズをした。
―― よし、一人目成功
なお、エマ本人は「成功って何よ」と本気で怒っていたけれど。
―――――
それから三年後。わたしは十三歳になっていた。
背は伸びたが、落ち着きはあまり増えていない。今朝も皿を割ってしまった。
「もう、リナったら!後で隣町の市場までお皿買いに行って」
「はーい!」
エマに言われ、わたしは仕事を早く終わらせて隣町に向かった。
そして、到着して十分後。
「……ここどこ?」
見事に迷った。
隣町にはもう何度も来ているのになぜ迷うのか。エマにもルークにも百回以上聞かれたが、わたしにだってわからないものはわからない。
見覚えのない石壁。高級そうな屋敷街。周りの景色からして、わたしは完全に場違いだった。
「お姉さん、平民区は反対側だよ」
不意に声が降ってきて振り返ると、黒髪の少年がいた。
年はミアと同じくらいで、白い仕立てのいい上着を着ていた。
「迷子?」
「方向確認中です!」
「そのタイプか……」
呆れた顔をされた。
「送ります」
歩きながら話を聞けば、少年はこの町を治める領主の息子だった。名前はカイル。礼儀正しく、頭も良くて、しかも顔がいい。領主といっても子爵家の三男なので、いずれ文官になるとのことだった。
わたしは歩きながら真剣に考えた。
―― この子、ミアにちょうどよくない?
数年後、その予感は見事に当たる。
穏やかなカイルと、かわいくて人懐っこいミアは驚くほど相性が良かった。気づけば二人は婚約していた。
エマには思いきり呆れられた。
「なんであんた、姉妹の縁談だけ異常にうまくいくの?」
「才能?」
「もっと他に活かしなさいよ」
その言葉に、わたしは首をかしげた。
「活かしてるよ?」
「どこが」
「だから、わたしは安心して冒険者になれる」
両手を頭の後ろで組み、わたしは笑った。
「姉ちゃんもミアも幸せなら、あとは好きに生きていいでしょ?」
姉の分のスープには、いつも具がほとんど入っていなかった。妹は「わたしこんなに食べられないよ」と、よくおかずを分けてくれた。かつて両親がそうしてくれていたように。
だからわたしは、二人に幸せでいてほしかったのだ。
町の空は青く、門の向こうには街道が続いている。
魔物、遺跡、未知の土地。危険で、自由で、胸が躍る世界。
わたしは少し離れた街で、冒険者ギルドの扉を勢いよく押し開けた。
「新人登録、お願いしまーす!」
―――――
冒険者になって三日で、わたしは気づいた。
―― これ、わたし向いてなくない?
剣はそこそこ振れる。足も速い。度胸もある。だが、致命的な問題があった。
「依頼対象の薬草、全部違う種類採ってきてるじゃない!」
「似てたんだもん!」
「あと地図見て!」
「見た!」
「なんで迷うの!?」
受付嬢に泣きそうな顔で怒られた。
迷子癖は成長しても一向に治っていなかった。討伐依頼では集合場所にたどり着けず、護衛依頼では逆方向へ進み、採取依頼では高確率で余計なものを拾って帰る。
だが不思議と、依頼人からの評判は悪くなかった。
重い荷物を運ぶ、壊れた屋根を直す、行方不明の猫を探す、川に落ちた子供を助ける。そういう仕事は妙にうまかった。
「お前、冒険者っていうより便利屋だな」
ギルド長に笑われた頃には、もう半分くらい便利屋として扱われていた。
わたし自身もそれでよかった。魔物退治より、人助けのほうが性に合っていると思っていたから。
「誰か家の手伝いをしてくれる人を探してるんだが」
そうして声をかけられたのは、十六の頃だった。
依頼主は街外れに住む老人だった。名前はアルヴェイン。やや小太りで背が低い白髪、細い銀縁眼鏡。一見ただの気難しそうな老人だが、服も屋敷もやたら上等だった。ずっと住み込みで働いてくれていたメイドが田舎に帰ったとのことで、替わりの人を探していた。
「掃除と買い物、それから庭の手入れを少し。できるかね?」
「できます!」
「本当か?」
「たぶん!」
「不安しかないな……」
だが、なぜか雇われた。理由は「君、放っておくと野垂れ死にしそうだから」だった。失礼である。
もっとも、わたしは三日目に屋敷内で迷子になった。
「なんで家の中で遭難するんだお前は」
「広いんですよここ!」
アルヴェインは深いため息をつきながらも、なぜかクビにはせず雇い続けた。むしろ少しずつ、仕事を増やしていった。
「書庫の整理を頼む」
「はい!」
「本は投げるな」
「投げません!」
三分後。
「うわああああ!」
「だから言っただろう!」
「結果的に投げちゃっただけで、けして投げるつもりでは!」
そんな慌ただしくも楽しい毎日だった。
一緒に暮らすうちに、わたしは気づいた。このおじいさんは妙に物知りだった。歴史、政治、外国語、魔法理論。何を聞いても答えられる。
「おじいさん、何者?」
「ただの隠居老人だ」
「絶対うそ」
実際には、伯爵だった。しかも王都でも有名な名門貴族の出身で、かつては王族の教師も務めたとか。
知った時、わたしは本気で椅子から転げ落ちた。
「伯爵ゥ!?」
「そんな驚くことか?」
「街の人はみんな知ってましたよ!?」
「私から言ったわけではないがな」
「わたしだけ知らなかった!?」
アルヴェインは肩をすくめた。
「身分で態度を変えられるのは好きじゃない」
「……なるほど」
「お前は最初から最後まで雑だったしな」
「え、ダメでした?」
「少なくとも退屈はしなかった」
少し笑う横顔は、意外と優しかった。
―――――
その冬。アルヴェインに王都から手紙が届いた。
「学園の教師?戻るんですか?」
「断り続けていたんだがな……とうとう国王直々に来た」
「国王!?」
「昔から押しが強い男でな」
嫌そうに言いながらも、どこか楽しそうでもあった。王立学園。貴族や優秀な平民が学ぶ、国内最高峰の学校。そこで魔法学の教師を務めてほしいという要請だった。
「行くんですか?」
「……まあ、そろそろ暇にも飽きた」
アルヴェインは眼鏡を外し、わたしを見た。
「お前はどうする」
「え?」
「王都へ来るなら、住み込みで雇ってやる」
「行きます!」
「即答か」
「だって王都ですよ!?一回行ってみたかった!」
こうしてわたしは、王都へ向かうことになった。
―――――
王都は広かった。
街どころではない。人も馬車も建物も多すぎる。しからば当然――。
「迷ったぁぁぁぁ!!」
「門をくぐって十分だぞ!?」
馬車を降りて王都に入ってまもなく、隣で歩いているはずのわたしがいないことに気づいたアルヴェインが、わたしの絶叫を聞きつけて駆け寄ってきた。初日から彼は頭を抱えていた。
だが王都での生活は忙しく、充実していた。掃除に洗濯に買い物、王都の屋敷は街の時より広く、毎日やることはたくさんあった。それでも空いた時間には、教会や図書館に通った。
「読み書きくらいはちゃんと覚えろ」
アルヴェインにそう言われたからだ。
最初は文字もたどたどしかった。ただ、彼に「覚え方」を教えてもらったら、わたしは覚えるのが早かった。教会の老修道女も驚いていた。
「あなた、勉強好きなのね」
「好きっていうか……知らないことを知るの、楽しいです」
それを聞いて、アルヴェインはわたしを自分の勤める学園の侍従科に通わせてくれた。
礼儀作法、お辞儀の角度、食器の使い方、言葉遣い。何度も失敗したが、それでも少しずつ身につけていく。
「最近、お前まともに見える時があるな」
「失礼じゃないですか?」
「時々だから安心しろ」
「安心できない」
アルヴェインは、わたしにより多く学ばせてくれた。もう昔みたいに薬草を見間違えることはない。
それでもなぜか、迷子癖だけは治らなかったけれど。
―――――
ある休日、屋敷に来客があった。
護衛騎士を何人も連れた、壮年の男。だが本人は妙に気さく(というかフランク)で、勝手知ったる様子で応接間に入っていく。
「アルヴェイン!まだ生きてたか!」
「開口一番それか、相変わらずなやつだな」
「ははは!」
わたしは目を丸くした。あの偏屈なおじいさん相手にこんな口をきく人間を初めて見た。
「お茶をどうぞ」
運んでいくと、男がこちらを見た。
「おお、新しい使用人か」
「リナと申します!」
「元気だな」
「よく言われます!」
男は楽しそうに笑った。
あとになって、わたしはその男がこの国の国王だということを知る。
「えぇぇぇぇぇ!?」
「声がでかい」
「なんで王様が普通に来るんですか!?」
「友人の家だからな」
国王は時々、ふらりと屋敷へ来た。アルヴェインとは学園時代からの知り合いらしい。チェスをし、酒を飲み、昔話で笑う。そのうち、わたしも顔を覚えられた。
「また迷子になったそうだな」
「なんで知ってるんですか!?」
「騎士たちが噂してたぞ」
「やめてぇ!」
国王は大笑いしていた。
―――――
それからさらに数年。わたしは自然と、王宮へ出入りするようになっていた。
「この書類を陛下へ届けてこい」
「はい!」
「迷うなよ」
「たぶん大丈夫!」
「その返事が一番不安だ」
学園と王宮を行き来し、貴族たちと顔見知りになり、騎士にも文官にも名前を覚えられていく。辺境の村出身の便利屋だった少女は、いつの間にか王都の中心に馴染んでいた。
それでも、わたし自身はあまり変わらなかった。
「リナ殿、こちらへ」
「あ、はい!」
廊下を走って怒られ、
「淑女は走りません!」
「ごめんなさい!」
礼儀作法の教師にため息をつかれ、そして――迷う。
「ここどこ!?」
「王宮で迷子になるな!!」
衛兵に叫ばれながら、わたしは今日も王都を駆け回るのだった。
―――――
王都にきてから五年、わたしは二十二歳になっていた。もう誰も、田舎から出てきた便利屋の少女とは思わない。
王立学園では“アルヴェイン伯爵の有能な助手”として知られ、王宮では“陛下お気に入りの伝令係”として知られていた。
もっとも、当の本人は、
「えっ、わたし有能扱いなんですか?」
と本気で驚いていたのだけれど。
国王は相変わらずよく笑う人だった。豪快で、気さくで、時々信じられないくらい無茶をする。
「陛下、護衛を置いて一人で歩かないでください!」
「城の中だぞ?」
「だからって裏庭から抜け出す王様います!?」
「息苦しいんだよ」
わたしが頭を抱えると、国王は少年みたいに笑った。王である前に、一人の人間だった。だから周囲は苦労していたのだ。
―――――
その日も王宮の庭園で盛大に迷子になった。
途方に暮れていると、偶然現れたのは会議を抜け出してきた陛下だった。
「お前、また迷ったのか」
陛下はわたしを人目のない東屋へ連れて行き、一緒に休憩してくれた。
そこで、遠くに見える王都を眺めながらぽつりと呟いた。
「この国には、私が守らなければならない命がたくさんある」
その横顔はいつもよりずっと疲れて見えて、一国を背負う王の孤独を初めて感じた気がした。
あまりにも寂しそうだったので、わたしは思わず言ってしまった。
「陛下。わたし、道には迷いますけど、元冒険者なので荷物持ちは得意です。
だから、もし陛下の荷物が重すぎて歩けなくなったら、わたしが半分持ちます」
言ってから、少し考える。
王様の荷物なんて半分どころか一割も持てない気がする。
「半分が無理なら、端っこでもいいです。端っこくらいなら、いつでも持てます!」
だから慌てて訂正した。無茶な言葉だったと思う。
けれど陛下は驚いたあと、優しく笑ってわたしの頭を撫でた。
「お前は本当に変わった娘だな。 その時が来たら頼むとしよう」
いつかこの人が背負う重荷を、少しでも一緒に持ってあげられたら。
なんとなくそう思った。
―――――
事件が起きたのは、冬の終わりだった。
王太子主催の夜会。国内の有力貴族が大勢集まり、王宮は華やかな空気に包まれていた。わたしは給仕の手伝いをしていた。
「人多い……」
「迷わないでよ」
「もう迷いました」
「早いわ…」
女官たちが呆れている。
その時だった。ふと、違和感があった。
楽団の音、笑い声、料理の匂い。その中に混じる、妙な臭い。
「……焦げ臭い?」
わたしが顔を上げた次の瞬間、激しい爆発音が響いた。
轟音、悲鳴、砕け散る窓。天井近くから炎が噴き上がる。
「伏せろ!!」
騎士たちの怒号。会場は一瞬で地獄になった。
武装した男たちが雪崩れ込んでくる。反王派貴族による襲撃だった。
「陛下を守れ!」
剣戟が響く。貴族たちは逃げ惑い、護衛騎士たちが迎え撃つ。
わたしが人波に押されながら、必死に周囲を見回すと、少し離れたところに国王の姿が見えた。だが近くに護衛が少ない。
しかも――。
「……っ!」
天井が見えた。爆発で崩れた巨大なシャンデリアが、真上から落ちてくる。
「陛下!!」
考えるより先に足が動いていた。
人を押しのけ、椅子を飛び越え、国王へ向かって全力で飛びつく。
二人まとめて床へ転がった直後、轟音と共にシャンデリアが落下した。
砕けたガラスが周囲に飛び散る。
熱い。痛い。顔を切ったらしい。だが、それより。
「陛下!無事ですか!?」
「……お前」
わたしの頬から流れる血を見て、国王が目を見開いていた。
その瞬間、襲撃者の一人が剣を振り上げる。
「死ね!!」
近い。間に合わない。
そう思った瞬間、銀色の杖から放たれた岩が、男の顔面に直撃した。
「わしの教え子の城で騒ぐな馬鹿者」
アルヴェインだった。続けて騎士たちが駆けつけ、反乱軍を取り押さえる。混乱は夜明け近くまで続いた。
―――――
反乱は未遂に終わった。主犯の貴族たちは捕らえられ、反王派と国王派の対立も整理され、国内はむしろ安定へ向かった。だが国王は、その事件の後から時々疲れた顔を見せるようになった。
「歳だな」
ぽつりと彼が漏らしたのは、春の夕方だった。学園帰りのアルヴェインとチェスを打ちながら、国王は苦笑する。
「若い頃なら、徹夜で反乱鎮圧しても翌日には狩りへ行けたんだが」
「今やったら死ぬぞ」
「言うな」
わたしはお茶を置きながら、黙って二人を見た。長い時間を共に過ごした友人同士の、温かい空気だった。
「王太子も育った」
国王は盤面を見つめたまま言った。
「しがみつく理由もない」
その年の秋、国王は正式に譲位を発表した。王太子が新たな国王となり、先代国王は隠居する。国内は驚いたが、大きな混乱はなかった。皆、薄々気づいていたからだ。この王は最後まで、自分で自分の終わり方を決める人なのだと。
「で、なんでわたしまで?」
王都を発つ朝。荷馬車の前で、わたしは呆然としていた。
先代国王――今はもう“陛下”ではなくなった男が、当然のように答える。
「一緒に行くからだ」
「いやいやいや!」
「嫌か?」
「嫌というか意味がわからないんですけど!?」
アルヴェインが新聞を読みながら言った。
「諦めろ。こいつは、決めたら聞かん」
「他人事!?」
なにがなんだかわからないうちに話はまとまっていて、いつの間にかわたしはアルヴェインの養女となり、先代国王の側妃として迎えられることになっていた。正妃は十年前に病で亡くなられており、再婚話はいくらでもあったが、彼は全部断ってきたらしい。
「なんでわたしなんですか……」
王領へ向かう馬車の中で聞くと、彼は窓の外を見ながら笑った。
「お前、私を王だと思って接したことほとんどないだろ」
「え」
「それが楽だった」
そう答えた彼は少しだけ照れくさそうだった。
「あと、命の恩人だ」
「それは……」
「十分な理由だよ」
わたしは顔が熱くなるのを感じた。
そして、ちょっとだけほっとした。いつからか、彼が屋敷に訪れることを心待ちにしていたなんて、伝令に向かう足が浮かれていたなんて、そんな気持ちがばれていなくて。
――実は、目ざとく気づいたアルヴェインが、わざとわたしに伝令をさせていたのだと知るのは、ずっと先のことだ。
―――――
隠居先に選ばれた王領は、わたしの故郷の町にも近かった。
姉とルーク。妹とカイル。今では二組とも子供ができていて、昔よりずっと賑やかになっていた。
「リナ姉ちゃん!王妃さまなの!?」
「側妃ね!」
「違いわかんない!」
「わたしも!」
姪っ子たちがきゃあきゃあ騒ぐ。
アルヴェインは庭の木陰で気持ちよさそうに昼寝をし、先代国王は釣りを覚え、わたしは相変わらず忙しく走り回っていた。
そして一年後。女の子が生まれた。柔らかな金色の髪。大きな目。泣き声の大きな、元気な子だった。
「……似てるな」
赤ん坊を抱いた彼が、穏やかに目を細める。
「どっちにですか?」
「迷子になりそうな顔してる」
「どういう顔ですかそれ!」
部屋に笑い声が広がる。
窓の外には、穏やかな田園風景。遠くに見えるのは、わたしが昔暮らした村だった。
両親を失い、三人で手を取り合って生きてきた小さな家族。
迷って、転んで、遠回りして。それでも進み続けた先に、今がある。
泣く娘を愛おしく抱き上げながら、わたしは笑いかけた。
「大丈夫だよ」
かつて幼い妹へ言った言葉を、今度は自分の愛しい子へ向ける。
「三人でも、四人でも――なんとかなるから」
最初の時から、微妙に改稿しています。




