episode.3 見守り
「ど、どういうことですか!?」
声をあらげて芽衣が立ち上がる。
「いや、すまない。戻らないときめつけるのはいけないかもしれない。とりあえず、落ち着いてくれ」
「め、芽衣ちゃ───芽衣、落ち着いて。大丈夫だから」
服の裾を軽く引き、座って、と促す。
「でも、たぶん戻らない。まず、計算や公共でのマナーといったことを記憶するのを意味記憶、というんだ。
一方、感情、思い出などを記憶するのをエピソード記憶、と言ってね。今回はこのエピソード記憶に問題が起きた」
なんとなく、理解はできたと思う。
しかし、優伍の目は点になっていた。
いや、むしろ最初から理解する気がなかったんじゃ・・・。
「進めるよ。記憶喪失になってしまう原因は、ひとつとは限らない。ストレス、外傷、年、他にもいろいろあるけれど・・・君の場合、どれもあてはまらなかった」
あてはまらない・・・?
じゃあ、なぜオレは記憶喪失に・・・?
「なぜですか?ではなぜ記憶喪失になったんですか!?」
「芽衣、黙って」
先が知りたくて刺のある言葉になった芽衣は、ビクッとして、うつむいた。
「・・・率直に言おう。君のエピソード記憶の脳細胞が、全て無くなっている。そして全く記憶がない、新しい脳細胞になってしまっている。私自身、こんなことは初めてだ・・・」
「えと、つまりどういうことですか?」
やっぱり理解できていなかった優伍がもう一度尋ねる。
「もう一度言おう。琉君の記憶は、もう戻ることはない」
うつむいていた芽衣は、いつのまにか泣き出していた。
不思議とオレは悲しくはなかった。
でも・・・
まわりにこんなに迷惑をかけておいて、
結果がわかりませんでしたじゃあ、話にならない。だから、
「戻します」
自分に目が集まる。
「初めてなら、可能性はゼロではないと思います。それに───いや、それこそ、ここで諦めたら終わりだ」
「・・・そうか。なら私たち医師は、暖かく見守るまでだ。なにかあったらまた来なさい。今日の暮れには退院できますよ」
そういうと医師と看護師は去っていき、あとに残された。
「まぁ、琉がそういうなら俺らは協力するだけだ。な?芽衣」
「う、うん・・・」
・・・やっぱり、ショックなのかな。
「・・・優伍君、ちょっと部屋でましょ」
「え?あ、はい」
気をつかわせてしまったみたいだ。
今は素直に受け取ろう。
「芽衣」
「・・・・・」
ぎゅっと手をつかむと、芽衣がふりむいた。
「え、あ、なんだっけ!?」
赤い目を、そっと手で拭う。
「本人が諦めてないのに、親友が諦めてどうするのさ」
「そ、そうだよね・・・」
「傍に、いてくれるんだよね?」
「!あ、あたりまえじゃん!!」
目を見開き大声でいうその姿は、なんだか心地よかった。
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「なんですか?菜々さん」
菜々に連れてこられた優伍は、素直にしたがった。
「・・・琉を、お願いね」
彼女は悔しがっていた。
「私じゃ、どうにもできなっ・・・うっ」
気持ちはわかる。
自分の子供が、記憶喪失なんだ。
だから、”その少年”は言う。
「任せてください。芽衣と一緒に、必ず記憶を戻してやりますよ」
「ずびっ・・・そうね」
深呼吸をすると、彼女は言った。
「見守りましょう。あの子が記憶を戻すまで」
そして、僕は退院した。