捨て妻ポジションだと思ったら、夫の独占欲が重いです
私は、自分の立場をよく理解しているつもりだった。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
リリアーナ・アルフェン。
伯爵家の三女で、特別な才能も美貌もない。
そんな私が嫁いだ先は、冷酷で有名な公爵家。
理由は簡単だ。
家と家の繋がり。
そして私は──“捨て妻“にちょうどいい存在だった。
「数年大人しくしていれば、そのうち離縁でしょうね」
出立前、母がそう言ったのを覚えている。
だから私は期待しなかった。
愛されるはずがないと、最初から思っていた。
◇
私が、捨て妻だと信じ込んだのは、何も根拠のない思い込みではなかった。
そう思わされるだけの理由が、きちんと用意されていたのだ
あの話を最初に聞いたのは、縁談が決まった直後だった。
伯爵家の応接室。
私は呼ばれていなかった。
「……で、公爵家は本当にあの三女でいいのか?」
父の声が、扉越しに聞こえた。
「問題ないそうよ。むしろ、あちらから指定があったみたい」
母の声だった。
「指定?」
「“目立たない令嬢がいい”と」
そう言って、母が小さく笑った気配がした。
「なるほど。前の奥方の件もあるしな」
前の奥方──その言葉に、私は息を詰めた。
エドヴァルド公爵には、短期間で離縁した前妻がいる。
それも、体調不良を理由に、静かに離縁されたという。
社交界では、こう囁かれていた。
『公爵は、妻に興味がない』
『必要がなくなれば、容赦なく切り捨てる』
『だから次も、長くはもたない』
「今回は、家同士の繋ぎだろう」
父が続ける。
「数年、公爵家に嫁がせておけば十分だ。離縁されても、こちらの損は少ない」
「ええ。リリアーナなら問題ないわ」
──問題ない。
それは、期待されていないという意味だった。
「社交で目立たない。感情を表に出さない。離縁されても、騒がないでしょう?」
母の言葉は、的確で、残酷だった。
◇
さらに、私の考えを決定づけたのは、正式な返答の内容だった。
公爵家から届いた書状には、こう書かれていた。
『後継に関する期待はしない』
『役割は、妻として屋敷に在ることのみ』
『公の場での露出は最小限でよい』
それを読んだ父は、満足そうに頷いた。
「やはりな。形だけの婚姻だ」
母も、私を見ずに言った。
「割り切りなさい。愛情なんて、最初から存在しない結婚よ」
だから私は、信じた。
私は、選ばれたのではない。
都合よく“置かれる”だけなのだと。
伯爵家にとって、私は──
家を繋ぐための駒。
長く残らない前提の妻。
いずれ戻ってくる娘。
──捨て妻に、ちょうどいい存在だった。
◇
結婚初日、夫となる公爵──エドヴァルド様は、噂通り無表情だった。
「無理に夫婦らしく振る舞う必要はない」
声は淡々としている。
「この屋敷で不自由なく暮らせ。それで十分だ」
ほら、やっぱり。
私は内心で頷いた。
必要なのは、形だけ。
「承知しました」
そう答えた私を、彼はしばらく見つめていたが、何も言わなかった。
◇
数日後から、違和感が積み重なり始めた。
まず、食事。
「奥様、本日は旦那様とご一緒に」
毎回、そう言われる。
公爵様は無言だが、私の皿が空くと、自然に給仕を促す。
「……あの、お仕事は?」
「後回しにした」
「私のために?」
「それ以外に理由が?」
即答だった。
捨て妻の扱いではない──と感じた。
次に、行動範囲。
庭を散歩しようとすると、必ず護衛がつく。
街へ出たいと言えば、公爵様自ら同行を申し出る。
「一人で行くつもりでしたが……」
「却下だ」
「即答ですね?」
「君に何かあったら困る」
理由が、重い。
決定的だったのは、ある日のことだ。
書庫で本を読んでいると、公爵様が現れた。
「ここにいたか」
「はい。何か?」
「侍女から、君が姿を消したと聞いた」
「屋敷の中ですが……」
すると彼は、少し眉をひそめた。
「次からは、行き先を伝えてくれ」
「……捨て妻に、そこまでされる理由は、ありますか?」
つい、本音が口をついた。
彼の空気が、変わった。
「誰が、君を捨てると言った」
低い声だった。
「私は、そのつもりで嫁いできました」
一瞬、彼の視線が鋭くなる。
「どういう意味だ」
「……そう、言われてきました」
公爵様は無言になり、目を細めた。
「君は、捨てられる前提で来たのか」
その問いに、私は返す言葉がなかった。
公爵様は、それ以上なにも言わなかった。
ただ静かに、私の部屋を後にした。
その背中が、ひどく遠く感じられた。
◇
エドヴァルドは執務室に戻り、いつも通り書類に目を通していた。
そこへ、老執事が静かに入ってくる。
「伯爵家からの、追加の書簡です」
「……追加?」
違和感を覚えながら、彼は封を切った。
中身は礼状だった。
だが、その一文に、彼の視線は止まった。
『娘は数年の勤めを果たせれば十分と考えております。公爵家のお役に立てなくなった場合は、速やかに引き取りますので』
──数年で、終わる前提。
紙が、彼の指の下で、きし、と音を立てた。
「……これは、どういう意味だ」
エドヴァルドの声は、低く、静かだった。
老執事は一瞬言葉に詰まり、やがて答える。
「伯爵家では……奥様を“捨て妻”とお考えだったようです」
その言葉が、胸の奥に落ちた瞬間。
怒りが、音もなく広がった。
熱ではない。
衝動でもない。
冷え切った、研ぎ澄まされた感情。
「……誰が、そんな判断をした」
「伯爵夫妻です。前奥様の件と、今回の条件から……」
そこまで聞いて、彼は立ち上がった。
机の上の書類が揺れる。
「前妻の件を、そんなふうに使われるとはな」
あれは、彼女を守るための離縁だった。
体を壊し、これ以上公爵家に縛るわけにはいかなかっただけだ。
──それを、「切り捨てた」と解釈したのか。
気づけば、彼は歩いていた。
向かう先は、彼女の部屋。
扉の前で、足が止まる。
──彼女は、どんな気持ちで嫁いできた?
捨てられる前提で。
期待するなと言われて。
最初から、居場所がないと思いながら。
胸の奥が、強く締め付けられた。
◇
執務室での出来事も知らず、リリアーナは書見机に向かっていた。
けれど、文字はまったく頭に入ってこない。
昼間の会話が、何度も脳裏をよぎっていた。
『──捨てられる前提で来たのか』
あの問いかけの重さが、まだ胸に残っている。
ノックの音がした。
「入っていいか」
「はい……」
扉が開き、公爵様が入ってくる。
昼間と変わらない、整った身なり。
けれど、どこか決意を秘めた空気をまとっていた。
「少し、話がある」
彼はそう言って、向かいの椅子に腰を下ろした。
「明日、伯爵家へ行く」
リリアーナは、はっと顔を上げる。
「実家に……?」
「ああ」
それだけで、意味は察せた。
沈黙が落ちる。
彼は、すぐに本題に入らなかった。
それが、かえって緊張を強める。
「……その前に」
ようやく、口を開いた。
「君に、確認しておきたいことがある」
彼は、真っ直ぐに彼女を見た。
「私は、伯爵家の考えを正すつもりだ。それは、穏便では済まない」
声は低く、落ち着いている。
責任の所在が、どこにあるか。
今後の関係が、どう変わるか。
その声には、覚悟が滲んでいた。
「その結果、君は──実家を、完全に“戻れない場所”になる可能性がある」
彼女の指先が、きゅっと握られた。
「それでも、いいか」
命令ではない。
決定事項でもない。
問いだった。
「私の怒りで、君の逃げ道を塞ぐことになる。だから、君の意思を聞く」
正直に告げる。
彼は、視線を逸らさなかった。
「望まないなら、私は手を引く」
リリアーナは、すぐに答えられなかった。
頭に浮かぶのは、伯爵家で過ごした日々。
愛された記憶より、役割を求められた時間。
──数年で戻る前提。
──捨てられても問題ない娘。
「……公爵様」
彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「もし、私が“戻れる場所”を残したいと言ったら」
「その意思は、尊重する」
即答だった。
その答えに、彼女は少しだけ微笑んだ。
「ありがとうございます」
そして、静かに首を振る。
「でも……私は、ずっと覚悟をしてきました」
捨てられる覚悟。
居場所がなくなる覚悟。
「それが、間違いだったと知った今──もう一度、選べるなら」
胸に手を当てる。彼女は、彼を見上げた。
「私は、公爵家の妻でありたいです。“戻る場所”がなくなっても」
一瞬、彼の表情が揺れた。
安堵と、強い感情が混じる。
「……それは、重い選択だ」
「はい」
それでも、迷いはなかった。
彼女は、少しだけ声を強くした。
「私を、捨て妻だと思わせた場所に、戻れる余地を残したままでは──きっと、私は前に進めません」
長い沈黙の後、彼は立ち上がった。
そして、彼女の前に片膝をつく。
「ありがとう」
その言葉は、深く、重かった。
「君の覚悟を、預かる。私は、君の選択を後悔させない」
彼は立ち上がり、静かに誓う。
「明日、伯爵家へ行く」
◇
その夜、リリアーナは初めて思った。
──捨てられる覚悟ではない。
──選び取る覚悟を、したのだと。
そしてその覚悟を──彼は、決して踏みにじらない。
◇
伯爵家の応接室は、妙に静まり返っていた。
暖炉の火は入っている。
茶も用意されている。
それなのに、空気だけが冷えている。
その原因は明白だった。
「本日は、お時間をいただき感謝する」
エドヴァルド公爵は、穏やかな声でそう言った。
声を荒げる気配は、一切ない。
それが、かえって伯爵夫妻を強張らせていた。
「こちらこそ……。突然のご来訪で驚きましたが」
伯爵がそう言って、愛想笑いを浮かべる。
「娘も、公爵家で問題なく……」
「問題はない」
被せるように、だが静かに否定された。
伯爵の言葉が、途中で途切れる。
「むしろ、非常に優秀な妻だ」
その一言で、夫妻の表情が一瞬緩んだ。
──が、それは錯覚だった。
「だからこそ、確認に来た」
エドヴァルドは、指先で書簡を一通、机に置いた。
「この文面についてだ」
伯爵が視線を落とし、息を呑む。
『数年の勤めを果たせれば十分』
彼ら自身の筆による言葉だった。
「これは、君たちの本音か?」
責める調子ではない。
ただ、事実確認。
「い、いえ……決して、軽んじていたわけでは……」
伯爵夫人が慌てて言い訳を始める。
「前例もありましたし、公爵家のご事情を考慮しただけで……」
「前例?」
その言葉を、彼は拾った。
「前妻は、私が守るために離縁した。それを“切り捨て”と解釈したのは、君たちだ」
夫妻は、言葉を失った。
「そして、私の妻に」
一拍置く。
「捨てられる前提で嫁ぐ覚悟をさせた」
その瞬間、空気が変わった。
怒気はない。
だが、取り返しのつかないものに触れたと、誰もが理解した。
「安心してほしい」
エドヴァルドは、微笑みすら浮かべた。
「今日ここで、叱責も非難もしない」
伯爵夫妻が、ほっと息をつく。
──早計だった。
「だが、今後の関係は、改めさせてもらう」
「……と、申しますと?」
「伯爵家への資金援助は、本日をもって凍結する。代替の交易路も、見直す」
伯爵夫妻は、一瞬、理解が追いつかない。
公爵は静かな声で、次々と告げられる。
「私の妻を“戻ってくる存在”と見なす家に、公爵家の後ろ盾は不要だろう?」
「そ、それは……!」
「安心しろ」
再び、穏やかに。
「没落させるつもりはない」
だからこそ、逃げ道がない。
「ただ、自力で立ってもらうだけだ」
伯爵は、額に汗を滲ませた。
「娘とは……今後も、交流を……?」
「必要ない」
即答だった。
「妻が望むなら別だが、“実家だから”という理由で会う必要はない」
その言葉を最後に、彼は立ち上がった。
「ひとつ、忠告を」
視線が、鋭くなる。
「私の妻を軽く扱った判断を、二度と正しいと思わないことだ」
声は低く、しかし明瞭だった。
「彼女は、私の最優先事項だ」
それだけ言うと、彼は踵を返した。
扉が閉まった後、伯爵家には沈黙だけが残る。
怒鳴られなかった。
責められなかった。
だが──すべてを失った。
それが、公爵エドヴァルドの制裁だった。
静かで、合理的で、そして、二度と覆らない。
◇
公爵が戻った翌朝──リリアーナが廊下を歩いていると、背後から足音がした。
「一人で行くな」
振り返るより先に、低い声が届く。
「書庫へ向かうだけですが……」
「それでもだ」
理由は語られなかった。
その日から、屋敷の中で彼女が移動する時、公爵が“偶然”近くにいることが増えた。
声をかけられるわけでも、手を引かれるわけでもない。
ただ、必ず視界に入る位置にいる。
それが、彼の独占だった。
◆
午後、リリアーナは資料の入った箱を持ち上げようとした。
「それは、置け」
間髪入れずに、声が落ちる。
「いえ、これくらいでしたら……」
彼女が言い終える前に、公爵は手を伸ばし、箱を持つのを止めた。
触れない。
けれど、完全に動きを封じる位置。
「君が持つ必要はない」
そう言ってから、視線を廊下に向ける。
「誰か」
すぐに使用人が現れた。
「はい、旦那様」
「こちらを頼む」
箱は当然のように引き取られる。
「公爵様、私は……」
「妻にさせる仕事じゃない」
淡々とした口調だった。
怒っているわけでも、心配を煽るわけでもない。
ただ、“彼の妻はこう扱う”という基準が、そこにあった。
リリアーナは何も言えなくなる。
持とうとした荷物より、
その基準の重さに。
◆
夕方、翌日の予定を確認していた時。
「午後の茶会は断った」
「え?」
「まだ早い」
理由は、説明されない。
「君は、私の隣に慣れる時間が必要だ。その間、外に出す気はない」
彼はペンを置いた。
命令のようでいて、強制ではない。
ただ、決定は揺るがない。
◆
その夜、リリアーナは自分の部屋で本を読んでいた。
──正確には、同じ行を何度も目でなぞっていただけだ。
昼間の出来事が、頭から離れない。
距離。
荷物。
予定。
すべてが、静かで、当然のようで、
それなのに確実に“囲われている”。
ノックの音がした。
「……入っていいか」
公爵様の声だった。
「はい」
返事をすると、彼は扉を閉めて中に入る。
鍵がかかる音はしない。
けれど、なぜか──逃げ場が消えたように感じた。
「今日一日、どうだった」
「え?」
「不自由はなかったか」
問いは穏やかだが、視線が外れない。
「……少し、驚くことはありましたが」
そう答えると、彼は小さく頷いた。
「そうか」
それだけ。
否定もしないし、謝りもしない。
沈黙が落ちる。
耐えきれなくなったのは、リリアーナの方だった。
「あの……」
「うん」
「私、重くありませんか?」
一瞬、彼の動きが止まった。
「それは、私にとってか?」
「……はい」
彼は、迷わなかった。
「まったく」
そう言って、彼女の前に膝をつく。
「むしろ、足りないくらいだ」
低い声で、はっきりと。
「君は、いなくなる前提で生きてきた」
リリアーナの胸が、きゅっと締まる。
「だから私は、君がここにいる事実を、何度でも重ねる」
一人で歩かせない。
重いものを持たせない。
外に出すのを急がない。
淡々と、列挙される。
「全部、私の意思だ」
彼の低い声が、部屋を支配する。
「逃げ道を残さないのは、酷だと思うか?」
視線が、真っ直ぐ刺さる。
リリアーナは、しばらく黙っていた。
そして、小さく首を振る。
「……いいえ」
「なぜ」
「戻れる場所があると思っていた頃より」
リリアーナは、ゆっくりと息を吸う。
「今の方が、安心します」
その言葉を聞いた瞬間、彼の視線から、最後のためらいが消えた。
彼は、彼女の手を取る。
逃がさない位置。
でも、痛くはない。
「なら、もっと重くする」
さらに低く、穏やかな声で、静かに宣言された。
「君が“選ばれている”と、疑う暇がなくなるくらい」
そう言って目を細め──
「リリアーナ。君の居場所は、ここだ」
リリアーナは公爵の胸元に、そっと引き寄せられる。
「……逃げられませんね」
冗談めかして言うと、彼は初めて、ほんの少しだけ笑った。
「ああ」
即答だった。
「逃がす気はない」
それでも、抱きしめ方は優しい。
檻ではない。
けれど、鍵は外にない。
その重さが、今のリリアーナには、何より甘かった。
──捨てられる心配が、完全に消えてしまうほどに。
〜〜〜fin〜〜〜
貴重なお時間を使ってお読み頂き、本当に有難うございました。
興味を持って頂けたならば光栄です。
作者のモチベのために☆やいいねを残して頂くと幸いです。感想などもお待ちしております。
ブクマ頂けたら……最高です!
シリーズ『異世界恋愛の短編集!』の中の作品も、合わせてお楽しみください。




