おままごと
水平線を見つめていた庄司は、ふと話し合う声に目を向けた。
小さく細く伸びる浜を、親子連れが歩いている。
──こんな寒い日に、海なんか来なくてもいいのに……。
そう思った庄司は、自虐的に笑った。
自分だって同じだ。
わざわざ寒い日に、海風が吹く浜まで、何の用もなく訪れている。
それならば、家族揃って楽しそうに笑い合っている方が、随分と有意義だろう。
──いや、別に、有意義に過ごしたい訳じゃない。
水平線に目を戻した庄司は、思わず溜め息を吐いた。
──疲れただけだ。
目まぐるしく過ぎていく日々。それらに置き去りにされているのではないかという焦燥感。実はそうでもないという安心感と失望感。
そうやって消費され、すり潰されていく自分。
体調が悪い訳でもないのに、職場に「酷く熱が出て」とそれを装って連絡をすると「お大事に」と殊の外労り気に返された言葉に、罪悪感が湧く。
それと同時に、やはり自分が居なくても全ては上手く回っていくのだ、と勝手に気分が沈んでいく。そんな自分にも嫌気が差してくる。
「あぁ、お母さんはずっと海辺の家に住みたかったの! 素敵ねぇ!」
鬱々と考え込む庄司の耳に、妙に明るい声が響いた。
見れば、先程の家族が浜にビニールシートを敷いて座り込んでいた。シートの端に置いた鞄から次々に荷物を取り出して並べている。
小さく細いとはいっても、それなりの長さのある浜だ。わざわざ、近くで広げなくても……と思った庄司は、何処か安堵感のようなものを感じていた。
他人から遠ざかりたい。でも、その温もりは感じていたい。
相反する気持ちが、庄司の中にはあった。
思わず、小さな笑いが漏れる。
「さぁ、役割分担はどうする?」
母親の声が聞こえてくる。
「うんとねぇ、あたしがおとうさん!」
「あら、じゃああなたは?」
「わんこ!」
「ふふ……じゃあお父さんがお母さん。お母さんが子供ね」
「わーい!」
幼い声が答える。
──こんな所で、おままごと?
驚いた庄司は、ちらと横目で家族を見やった。母親と父親、小さな女の子供が二人。同じような顔で、色違いの同じ服を着ているから、双子か何かだろうか。
「それじゃあ、始めましょう」
母親が手を叩くと、きゃっきゃっと騒いでいた子供達の声が止んだ。
「母さん、お茶を淹れてくれ」
「はい、今淹れますよ」
細い裏声が答えた。
それは、母親役の父親が発した声だった。
低い声を無理に高くして、「何茶にしますか?」と聞く。
「そうだなぁ、日本茶」
随分と古めかしい家庭設定だな、と思いながら、庄司は知らぬうちに耳をそばだてていた。
風変わりなままごとを、こんな他に誰も居ない浜で聞いている。
非日常感が、堪らなく楽しかった。
「なんだ、この茶冷めてるぞ」
父親役の娘が言った。
「あらあら、仕方ありませんわ。今汲んだばかりですもの」
母親役の父親が言う。
そういえば、父親はカップを持って波打ち際で何かをしていた。架空のキッチンなのかと思っていたが、そこで汲んだ海水は、架空の日本茶という扱いではないのだろうか。
気になって、つい家族の方に目を向けた庄司は、あまりのことに目を見張った。
娘は、カップ汲んだに海水を、そのままゴクゴクと飲んでいたのである。
母親役の父親は、それを嬉しそうに見つめ、子供役の母親は、犬役のもうひとりの娘と遊んでいて全く気にしていない。
──正気か? 海水をあんなに飲んで平気なのか?
その時、犬役の娘が「ぐるる」と唸り声を上げ、子供役の母親の手に噛みついた。
「いたーっ!」
母親の声が響く。母親は、痛がりながら、もう片方の手でバシバシと凄い音を立て娘の背中を叩いている。
「ぐるる……うぅううぅ」
「いたい、いたい、いたいよーっ! たすけて! おかあさん、おとうさぁん!」
母親はボロボロと涙を流しながら、腕を振る。娘はしっかりと歯を立て食らいついている。その腕からは血が滲み出ていた。
──なん、何だこれ……。こんなの……。
すっくと父親役の娘が立ち上がると、ぶるぶると不安そうに震える母親役の父親の肩に手をそっと添え、おもむろに浜に転がる流木を手に取った。
「駄犬の躾は、こうやるんだ!」
娘は流木を勢いよく振り下ろし、犬役の娘に叩きつける。バキッバキッバキッという、先程よりも酷い音を立てて、流木は娘の背を打つ。
暫くすると、犬役の娘は「きゃいん」と声を上げ、転がるようにして浜の隅に四つ足で駆けて行った。ぶるぶると震え、静かに追ってくる父親役の娘を窺い見る。
「この駄犬! 身の程を弁えろ!」
娘は、本来であれば血を分ける姉妹の体を、更に数回流木で叩いた。
そうして満足したのか、シートに戻り、子供役の母親の頭を優しく撫でた。
「躾は済んだ。お前も、犬に嚙まれたらこうやって教えてやりなさい。さぁ、良い子だ」
そう言って、母親の体を優しく抱き絞める。実際には小さな体は、母親の体を抱き締めるには足りていない。それでも、娘の体に抱き付く母親は、わんわんと泣いた後、安心したように笑みを浮かべた。
犬役の娘は、よろよろと四つん這いで浜をウロウロしながら、「きゅーん……きゅーん……」と鳴く。その声が、哀れに響く。
──異常だ……こんなの……。そうだ、警察に……。
「ねぇ、お隣さんが見てるよ」
ポケットからスマートフォンを取り出そうとしていた庄司は、その声に動きを止めた。ゆっくりと顔を上げると、家族全員が、妙に静かな視線で庄司のことを見つめていた。
息を呑んだ庄司の前で、母親が娘に何事かを耳打ちする。
「こりゃあ、すみません。お見苦しい所を。うちの駄犬がお騒がせしました。──そうだ、母さん。何かお隣さんにお詫びの品を」
「はい」
母親役の父親は、鞄から箱を取り出すと、その中身を小さな箱に詰め直して父親役の娘に手渡した。
娘は、取り繕うような笑みを浮かべたまま庄司に歩み寄ってくると、ぺこりと頭を下げた。
「此度はご迷惑をお掛けしました。これ……つまらないものですが……」
そう言って小さな箱を差し出す。
「い、いえ、お気になさらず」
咄嗟に庄司はそう答えていた。
しかし、娘はその場に跪くと、深々と頭を下げた。
「いえ、それではこちらの気が済ません。どうか、こちらを! 受け取って下さい!」
あまりに異常な状況に、庄司は飲まれていた。
差し出される小さな箱を受け取り「では……」と頷いていた。
「あぁ……良かった。これからも是非仲良くしましょう」
父親役の娘は、もう一度頭を下げると、家族の許に帰って行った。
庄司は、手元に残された小さな箱を、恐る恐る開けて中を見た。
中には、白っぽいクッキーのようなものが入っていた。
勿論、食べる訳はない。
異常な様子の家族から渡された、個包装でもなく正体も判らないものを、口に入れる筈はない。
ふと見た家族は、庄司に渡したクッキーの残りを、美味しそうに食べている。犬役の娘は、浜に投げられたクッキーをはぐはぐと砂と共に食べていた。
──なんだ、これ……。
庄司は、あまりのことに頭が痺れ、思考が鈍くなっていることを感じていた。
──このまま、此処に居るのは、マズい気がする。そうだ、警察に……。
「さぁ、晩御飯が出来ましたよ。お菓子を食べたからって、お残しは許しませんからね!」
上擦った声が言う。
誘われるように家族の〝食卓〟を見やった庄司は、目を疑った。
真っ赤に染まる食卓。
置かれた食器はどれも赤く染まっている。
カップには赤い液体がなみなみと注がれ、皿には赤黒い塊が置かれている。
「あぁ、こりゃあご馳走だ!」
父親役の娘が嬉しそうに声を上げ、その塊にかぶりついた。それを待っていたように、母親役の父親と、子供役の母親が同じように赤黒い塊にかぶりつく。
それは、決して食べる真似ではなかった。
歯で噛みちぎり、咀嚼し、ゴクンと音を立てて飲み込む。ガツガツと家族はそれを食らっていった。
それを見つめていた犬役の娘が「きゅーん」と声を上げて、その塊をねだった。
母親が、犬用の皿に塊を乗せると浜の上に置いた。娘は、それを嬉しそうに噛みちぎり始める。
呆然とそれを見つめていた庄司は、この場を去ろうとして、突然響いた音に、跳ね上がりそうになる程驚いた。
ジリリリリリリリリリリリリ。
目覚まし時計だった。
食事をしていた家族は、ピタリと動きを止めていた。
母親が満面の笑みで手を叩いた。
「さぁ、次の役割分担はどうしましょうか」
「あたし、おかあさんがいい!」
父親役の娘が言った。
「あたしは、おとこのこ!」
犬役の娘が言った。
「じゃあ、父さんは赤ちゃんにしようかなぁ」
「あら、素敵。なら、お母さんがお父さんね。それじゃあ始めましょう」
母親の掛け声に、皆がそれぞれ位置を変える。
父親が浜に寝転がり「ほぎゃあほぎゃあ」と声を上げ始めた。
母親役の娘は鞄から哺乳瓶を取り出すと、その中に赤黒い液体を入れて、父親の口の前に差し出した。
ちゅぱちゅぱと音を立てながら、父親は美味そうにそれを飲み下していく。母親役の娘があやすように子守歌を歌う。
その時、男の子役の娘が、浜に置いている貝や石や木っ端を海へと投げ始めた。
「これ! そのようなことをするな!」
父親役の母親が、厳めしい顔をする。
「うるせぇ! おれはこれがたのしいんだよ!」
そう言って、娘は母親の頬を思い切り叩いた。ぐっと呻いた母親の髪を掴み、娘はその顔を覗き込む。
「何とか言ってみろ、くそジジイ!」
そう言う男の子役の娘の体に、母親役の娘が取りすがる。
「止めて……止めて頂戴……」
その頬を、娘は母親の時と同じように強く叩いた。ぐしゃりと音を立て、娘の体は後ろに倒れ込む。
ほぎゃあほぎゃあほぎゃあ、と父親が声を上げる。
庄司は、固まっていた体を奮い立たせると、急いでその場を後にした。
ほぎゃあほぎゃあほぎゃあと響いていた声は、ぎゃあぁあという声になり、ふいに静かになった。
──な、何だったんだ……今の。そうだ、警察に……!
妙に湿った手でスマートフォンを取り出した庄司は、通話画面を開き、暫くそれを見つめてからポケットに戻した。
片手に握ったままだった小さな箱に気が付き、慌ててそれを放り出す。
軽い音を立てて、中に入っていた白いクッキーが地面に散らばって砕ける。
妙に、白くて、ぱさぱさとして纏まりのないそれは──。
──これは、一体何なんだ。
そして、赤黒い物体は……。
──あの家族は、何なんだ。
庄司は後ろを振り向かず、一目散に駆け出した。




