悪役令嬢は夢を見る
わたくしは夢を見た。十日に及ぶ高熱が見せた悪夢だ。
——そう、悪夢に相違ない。
最初の五日、一度目はわたくし自身の夢。十二歳の現在から十八で殺されるまでの六年間。第二王子の婚約者となり、馬が合わぬと厭われ、あげくの果てに他の女にうつつを抜かされた。許せるものかと報復した結果が投獄と毒殺……うなされながら寝台を掻いた爪が割れた。
次の五日、二度目は痴れ者の夢。わたくしの身体がわたくしではないものに乗っ取られる悪夢。その痴れ者は十二歳のわたくしに入り込み、『悪役令嬢』『テンセイ』『断罪』などと喚いたあと、好き勝手に振る舞い始めた。『お前は存在自体すべてが誤っているのだ』とわたくしを嘲笑うかのように、言動を修正される。屈辱だった。身体ごと人生のすべてを奪われて、結果愛されてゆく様を見せつけられたのだ。あろうことか、わたくしを破滅させた女を親友として、わたくしを投獄し殺した男と愛し合って。
「巫山戯ないでちょうだい……!」
身を起こし、拳を寝台に叩きつける。しゃがれた唸り声が喉から漏れる。乾きひび割れた唇から血が流れた。心に吹き荒れるのは憤怒と憎悪。渦巻く炎のような怒りが心に宿り、その引き換えのように高熱は治まっていた。
煮えたぎる怒りを胸に、寝台に爪を立てる。欠けた爪が糸をかけ、シーツにかぎ裂きを作る。——第二王子との顔合わせは、四日後に迫っていた。
§
「今日は良き日だわ。そうでしょう? ユスティーナ」
顔合わせ当日。隣には母、そして目の前には憮然とした表情を隠しもしない第二王子エルネスティと、彼の生母である第二王妃。第二王妃はわたくしを見つめ、笑わぬ瞳で微笑んだ。……正妃は第一王子の出産と引き換えに死没している。この縁談はエルネスティを王太子とするため、侯爵家である我が家を後ろ盾に求めた彼女が望んだもの。一度目のわたくしは、わたくしが正妃になるのは当然だろうと思いこの縁談を受け入れた。二度目の痴れ者は正妃になったのだろうけれど……と、エルネスティを見据える。断じて許せるものか、エルネスティも痴れ者も。唇を弓なりにして、わたくしは口を開く。
「婚約など、お断りさせていただきます」
第二王妃が、わたくしの母が息を呑む。エルネスティは呆けたように口を開ける。愚か者に似合いの表情ね。わたくしは侮蔑のまなざしを彼に向ける。
「わたくしは贅沢が好き、華美が好きよ。わたくしのものを奪われるのは嫌い。軽んじられることも」
憎悪はこの胸に渦巻いている。憤怒を瞳に宿し、わたくしはエルネスティを睨みつけた。
「どうせ貴方はわたくしを愛さない。か弱く善良で、愛らしくて見窄らしい、まるで鼠のような娘が現れたら貴方はそちらを選ぶのよ。わたくしを殺して」
一度目も二度目も。彼は決してわたくしを選ばない。人殺し、とささやけばエルネスティは顔を真っ赤に染め上げて激昂する。「何だと!!」と叫びテーブルを叩いた。夢の世界で『品性高潔』と称えられていたとは思えぬ醜態に、思わず口角が上がってしまう。せせら笑うわたくしに向かってエルネスティは怒鳴り声を上げた。
「不敬だぞ貴様……! 私を誰だと思っている!!」
エルネスティは立ち上がって喚き散らす。呆気に取られていた第二王妃が怒りに顔を染めた瞬間、涼やかな声が場に割り込んだ。
「——何の騒ぎかと思えば、エルネスティと義母上ではありませんか」
現れたのは第一王子アルベルト殿下。齢十五にもなるというのに、王太子になろうともせず、婚約者も決めずに遊惰に暮らしている惰弱者。彼はわたくしに微笑みかける。愉快げなまなざし、柔らかな声。——長い月日触れることがなかったようにさえ思う、他者からの好意を感じわたくしは目を瞬いた。
「この場は縁談を取りまとめるためのもので、君はそれを拒絶している。違いない?」
「え、ええ。仰せの通りでございます」
「なら、私と婚約するかい?」
脳裏によぎるのは一度目のアルベルト。貴族のための牢獄で、向かいに座り『助けてあげようか?』と嗤った彼の姿。わたくしは彼を拒絶し、お前などに何が出来ると罵倒して、そして——喉が灼けるような毒の熱さが蘇る。差し出されたアルベルトの手を、わたくしは縋るように掴んでしまった。
§
あの日から、王宮の勢力図はアルベルトによって塗り替えられた。
第二王子への不敬は問題にならなかった。アルベルトがとりなしてくれたから。王はついにやる気を見せ、己の立場と真摯に向き合った第一王子に気をよくし、それがわたくしによってもたらされたならばと目を瞑った。我が家に関しても、王太子となる王子ならばどちらでもよかったのだ。血筋が良い分いっそ第一王子の方が望ましいくらい。わたくしとアルベルトは婚約を締び、そしてわたくしは——アルベルトの口車に乗せられ、夢の話を洗いざらい告白させられてしまった。
赤児のとき悪意ある侍女に公爵家から拐かされた令嬢、ソニヤが見つかること。エルネスティとソニヤが恋に落ちること。孤児院で育った礼儀知らずのソニヤに、わたくしの地位が奪われるなど断じて許せなかったこと。ソニヤを排除しようとしたわたくしはエルネスティの怒りを買い、ついにはソニヤを害そうとした場にエルネスティが乗り込んで、ちょっとした異物を混ぜ込んだ茶をエルネスティが口にし騒ぎ立てられたこと。——すり替えられた。エルネスティはわざと口にしたのだ。わたくしを嵌めるために。
「へえ、あの子見つかるんだ」
「……ちゃんとわたくしの話を聞いておりまして? 貴方も利用されると申しております」
投獄された上、飲み物に毒を仕込まれた。その場に居合わせるのがアルベルトなのだ。彼はわたくしを殺したという冤罪を被せるために利用される。
「夢の中の私がそう言ったから?」
「嘘だとお思いになる? 貴方の言葉を……それとも、わたくしの夢そのものを」
「いや、いかにも私がやりそうなことだと思うよ。君が手に入らないのなら、いっそ君を殺したという罪を被って破滅しようかなあ、なんて」
くすくすと笑いながら伸ばされた手をはたき落とし、胡乱げなまなざしを彼に向ける。苦しみにのたうち回るわたくしを眺め、夢の中の彼は言うのだ。『弟は私を毒殺犯に仕立て上げようと企んでいてね、どちらでも、君が選んだ方に乗ってあげようと思ったんだ。ああ、でも勿体ないな——』……夢の最後に聞いた言葉は何だったかしら。やはり己の地位が惜しくなったのか……夢の中のわたくしは息絶える直前で、記憶が混濁している。面倒なものが手を組みそうだからと纏めて処分されたようなものだというのに、夢の中の彼も、目の前で笑う彼も理解できない。
「そうだ、今のうちに処分してあげようか」
「エルネスティを?」
「ふふ、まずはソニヤの方だよ」
よくもまあ事も無げに。王太子となるためにエルネスティを蹴落とす、と言うのなら理解できるのに。まあ、すでにエルネスティの地位は死に体だけれど。目の前の彼の手によって。
「……彼女は貴方に対して何もしないのではなくて?」
「でも君のものを奪ったんだろう?」
なら邪魔じゃないか、と彼は笑う。……下手に情けをかけて、エルネスティと縁付かれては厄介ね。孤児として育った見窄らしい愛玩動物が、いずれわたくしの行く手を阻もうとするならば、今のうちに、芽を。——だって、エルネスティがわたくしたちにやったことと、同じことを返すだけのこと。
「そうね、それもそうだわ」
再度伸ばされた手を今度は受け入れ、アルベルトに微笑みかける。
「わたくしは、わたくしのものを奪われるのが嫌いなの」
「……エルネスティは?」
取り戻したい? とアルベルトが目を細める。エルネスティを? なぜ?
「あれはわたくしを王妃にするための装置だったものでしょう?」
「ハハッ! いいね、そういうことか!」
アルベルトは高らかに笑い、その麗しいかんばせにうっとりと蕩けたような表情を浮かべ、わたくしにささやきかける。
「ねえ、君は私の隣で、君の気に入ったものを集めるといいよ。ドレスにレース、宝飾品……サロンを開いて気に入る才能を見つけ、パトロンになるのもいい」
「あら、わたくしが王家を食い潰すかもしれなくてよ?」
「競争しようか、私が国を富み栄えさせるのが先か、君が国を食い潰すのが先か」
「貴方にはそれができるとおっしゃる?」
「義母上が面倒でね。何もしなくても遊んで暮らせるのだからいいかと思っていたのだけど、君が王妃の座を奪われたくないと言うなら話は別さ」
わたくしの髪を柔く漉き、アルベルトは目を細める。二度目の痴れ者の前に、アルベルトは姿を現すこともなかったと思い出し、わたくしは首を傾げた。
「ねえ、どうしてそんなに、わたくしのものを取り戻そうとしてくださるの?」
「だって、君が苛烈な怒りを見せる姿を見て思ったんだ。ああ、すごくかわいいな、って」
「な、何……ッ」
記憶が蘇る。一度目のわたくしが息絶える瞬間を。最期に聞いた彼の言葉を。——『すごくかわいいのに……』——彼はあの時にも、確かにそう言って……
「ほら、すごくかわいい」
顔が寄せられる。呆気に取られていたわたくしはろくに抵抗もできず、そのまま唇が重なって——
——数日後、王都を流れる川から、孤児院で暮らす少女の水死体が上がった。
アルベルト(15) 苛烈で欲深くて散財するタイプの美女が好き
ユスティーナ(12) 苛烈で欲深くて散財するタイプの美女系
エルネスティ(13) 品性高潔の外皮を被るのが得意なタイプの王子。侮辱に弱い。
ソニヤ(12) まだ何もしていない。産着の隠しに密かに入れられていたお守り、の中身のベビーリングが身の証だった。お守りの中身が謎のまま共同墓地に埋葬される。