写真機
「カメラで写したもののどこが写真でしょうか? 『真』というものを、あんなにちっぽけな機械で写せるはずがないのであります。あれは写影機であって写真機ではない。だから、ご覧ください、これが本当の写真機であります」
博士はそう言って、指をパチンと鳴らした。すると目の前の、何かを覆っている大きなヴェールが次第に巻き上げられて、中から巨大な箱――家と見紛うほどの大きさで、側面は鋼鉄で作られた箱――が、現れた。
「どうでしょう、巨大さに驚かれましたか。これが写真機です。私が二十数年前に買い、まだローンを残したままの一軒家より、さらに大きい」
博士は自嘲気味に笑った。我々観覧者は大いに驚いていた。自然と列をなし、その箱の周囲をめぐるツアーを敢行した。箱は立方体だった。そしてどの面もただ鋼鉄の壁が続くだけであり、図柄も回線も見当たらなかった。
一行が箱の正面(博士が最初に我々に見せた面が、正面であろう。この面だけに、箱に入るための扉のようなものが見えた)に戻ると、博士はまた例の論説口調で言う。
「さて、みなさんはこれから歴史の目撃者となるのであります。私が写真機に入り、世界ではじめて、『真』を写してご覧に入れます」
どこからか、博士の助手と思しき男が現れ、扉を開けた。博士は写真機の中に入った。助手は扉を閉め、そして訳知り顔をして、扉のそばに立った。
「どうなるんでしょうね」
観覧者の一人が私に話しかけた。スーツに身を包んだ、どこぞの大企業の管理職風情の男だ。写真機が有用だとわかれば、これを買い取って販売でもするのだろうか。家より大きくて家に置けないのに。
「さあ」
曖昧に返事すると、男はからからと笑った。
「ですよね。わかっていたなら、我々みな、もっと楽しそうにしているでしょうからね」
管理職風情の男は、私のもとを去ると、写真機の扉のそばに立っていた助手(らしき男)に話しかけた。遠目からは何を喋っているのかわからなかったが、二言三言話したとみるや、管理職は肩を落として私のもとに戻ってきた。
「いま、助手さんに尋ねてみました。だが、当の彼もさほどわかっていないそうで」
そして管理職は巨大な箱を見やった。どこからか、ぶーんぶーんと機械音が聞こえた。写真機の音なのだろうか。
三十分は待っていた。
助手らしき男が突如、ソワソワした様子で腕時計をしきりに見る。そして、がばっ、と一気に扉を開けた。
「なにかあったのか」
管理職が駆け出した。私も続いた。写真機のわりあい小さな扉には、前列の観覧者が詰めかけていた。
助手が扉を開けた二、三分ののちに、私は箱に入った。管理職はもう少し早く入ったようである。人垣の隙間から覗き込むと、一人の人間が倒れているのが見えた。白衣を着ている。博士である。
博士は、先ほどから急に三十も歳を重ねたかのように、皺くちゃになっていた。いや、彼の肌の色を見るに、干からびた、というのが正しいだろうか。よもや、生きているとは思えなかった。
先んじて写真機に入っていた管理職が、めざとく私を発見して、人波をかき分けてこちらに来た。小首を傾げて言う。
「あれはひどい。『真』を写した結果なのでしょうか」
あの変わり果てた姿が、博士の「真」とでもいうのだろうか。それとも、写真機は失敗に終わったのか。もう、考える気すら起きない。
「よくわからない」
私が答えると、管理職は頷き、空を見上げるほどに高い写真機の天井を仰いだ。
「……家のローンを残したままだったのに」