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後篇












 裁判所を走り出て、待っていた馬車をいつもの場所に向かわせる。

 今日も良い天気だ。

 道すがら、馴染みの菓子屋で果物のたくさんのったタルトを買う。


 辿り着いたのは、郊外の屋敷。前面にたっぷりと面積を取った庭が敷地の大半を占めていて、奥の家自体はさほど大きくない。

 門番に挨拶して開けてもらい、庭木でトンネルのようになった小道を辿って、玄関へ急いだ。その途中、木陰に置いたテーブルセットに座っている女性を見つけ、慌てて駆け寄る。


「リー!!」

「あら、おかえりなさい、リック」

「どうして一人で外に? 暑くない? 寒くない? ソーニャは?」


 矢継ぎ早に聞いて、着ていた上着を脱いで彼女の肩に掛けようとすると、そっと拒まれた。


「余りにも気持ちの良い天気なので、つい今し方までおばあさまとお茶をしていたの。ソーニャはおばあさまをお部屋へ送って行ったわ」

「そうか……」


 ホッと肩から力を抜くと、リックも一緒にいかが? と席を勧められた。安心が溜め息になって、ドシンと椅子に腰を下ろす。

 ついでにテーブルに置いた菓子屋の箱に、彼女の目が輝いた。


「あら、そちらはまさか私へお土産かしら?」

「ああ、君の好物のタルトだ」

「まあ、また? そんなに甘いものばかりいただいたら、私益々愛くるしくなってしまうわ」


 冗談めかして頬肉を摘まむ真似をする。

 その言い方があまりに面白くてつい笑ってしまった。


 戻ってきたメイドのソーニャがオレの姿に驚いて、すぐに新しく紅茶を入れようとするのを断り、買ってきたタルトの用意を頼んで、冷めた出涸らしを勝手にカップに注いだ。


「それ、もう美味しくないわよ?」

「甘い菓子にはこのくらいでちょうど良いんだ」


 オレの返答のどこがそんなに面白かったのか、彼女は口元に手を当て小花が零れるようにカラカラと笑った。彼女が笑うと、短く切った鈍い金髪が日差しを乱反射して、酷く眩しい。


 彼女の明るい表情が眩しくて愛しくて、安心が溜め息になる。


 現れたタルトに目を輝かせ、本当にまだ食べる気ですか、お嬢様!? と三つ編みを振り乱して怒っているソーニャを宥めている彼女は、もちろん。



 あの、リーリエ。



 オレの最愛のリーリエだ。






◆◆◆◆◆







『助けてパトリック』



 あの日、破れたページの隙間から覗く掠れた文字を見た瞬間、見たことも聞いたこともないのに、泣きながら弱々しい声で手を伸ばす彼女の姿が見えた。

 あのとき、オレは初めて彼女の本音に触れた。


 君が望むなら!!


 まずはあの家からリーリエを救い出さねばと思い、父伯爵に日記を見せて助力を願った。

 だが、予想外に父の返答は冷たく。

 厄介ごとに首を突っ込むなと、ただそれだけだった。


 オレとリーリエの婚約に家同士の政略はまったく絡んでいない。

 オレ個人の感情は、家を動かす理由にならない。


 父から冷たくあしらわれ、愕然とした。

 例えリーリエを救うことが家の益にならないのだとしても、オレは貴方の息子で伯爵令息で……感情で食い下がろうとするオレに、父は黙って執務机の引き出しから取り出した紙束を突き出した。

 渡されたのはハシェット子爵家の調査報告書。


『お前が望めばもっと早く渡していた。今一度、婚姻という契約に付随する責任について考えなさい』


 そしてオレは、今まで漠然としか捉えてこなかった婚約者<リーリエ・ハシェット>という人物とハシェット子爵家に初めて向き合った。


 報告書にある。

 リーリエの父はハシェット子爵家の長男で現子爵。

 母親は伯爵家の末娘で、彼女が七歳の時に病死している。


 今の家族は、父と、実母の死後迎えられた後妻と、彼女の連れ子バーバラの三人。

 以前子爵夫人は、バーバラは子爵の実子だと言っていたが、家系図上は血縁関係のないただの養子となっている。しかし、血統を重んじる貴族の当主が、養子にしたとはいえ、何の血縁もない他人の連れ子にあっさり家を譲ろうと考えるとは思えない。バーバラは間違いなく子爵の娘で、リーリエの異母妹なのだろう。


 そんなことよりも、もっと重要だったのは、初めて知ったリーリエの母方の実家の方だ。


 裕福な伯爵家として、オレですら知っている名家だった。

 その伯爵家が、早世した娘が残した孫の健全な養育のため、成人まで費用の援助を約束し、今も多大な金銭を子爵家に融通していると書いてあった。

 そして、子爵家の家計を支えているのはほぼこの金だ、と。


 ……婿に行くのに、オレはそんなこと全く知らなかった。


 思えば、爵位相応の僅かな領地しかなく、副業を営んでいるわけでも、何処かに勤めているわけでもないのに、ハシェット子爵家は同条件の家に比べて、かなり羽振りが良かった。だからこそ、三男とは言え伯爵令息の婿入り先に名前が挙がったのだ。

 いつも頭の隅に疑問はあった。

 ……けれど、子爵位を継ぐのは飽くまでリーリエで、オレは婿。結婚前から家計についてあれこれ言ったら、彼女が気を悪くするのではないかと考えないようにしていた。


 だが……まさかこんな内情だったなんて。

 オレは彼女との婚約期間中、一体何を見ていたのだろう。

 彼女自身も、子爵家も、何も見ていなかった。


 頭を抱えそうになって、ふと気付く。

 慌てて報告書を見返し、背筋が冷えた。




 まさかっ……。




 すべてを悟ったオレは、今度こそ真摯に父に頭を下げ、最速でリーリエの母の実家に訪問の約束を取り付けてもらった。

 幸い王都にいたリーリエの伯父伯爵と、リーリエの話と聞きつけて同席した彼女の祖母は、突然訪ねたオレを訝しみながらも真剣に話を聞いてくれた。

 そして、証拠として見せた日記に記されたあまりの事実に、顔を青ざめさせ言葉をなくす。

 そんな二人を前に、オレはソファーを滑り降りて土下座して頼んだ。


『お願いします! どうかリーリエを助けてください! もう他に頼る相手がいないんです!! オレは婚約者だったのに、こうなるまでリーリエを理解することも守ることも出来なかった。だから、今度こそ彼女を助けたい。でも、オレはまだ子供で何の力もない。オレだけでは助けられない。だからどうか、お願いします、お願いします。早くしないと、間に合わなくなる……リーリエを助けてっ……』


 言い終えた後、長い沈黙の果てにオレのそばの空気がふわりと動いて、濃厚なバラの香りと優しい温もりが肩に触れた。


『顔を、上げてちょうだい』


 促され顔を上げる。

 目の前には、オレと同じように涙で顔を濡らした白髪の老婦人が跪いていた。


『貴方……パトリック様は、本当にリーリエを心配してくれているのね。あの子が好きなのかしら?』

『はい、彼女を愛しています、……どうか、彼女を助けてください』

『……ああ、こんなに誠実な方があの子の婚約者で良かった。大丈夫ですよ、あの子は私が守ります。後のことは私に任せて……ブランドン、貴方は後方支援をお願い』

『母上、私もっ……』

『貴方が直接出て行ったら向こうが警戒するわ。私が一人で行きましょう』


 オレを立ち上がらせハンカチを渡してくれた夫人は、矍鑠とした動作で指示を出し始め……オレといえば、やっと得た味方に安心して、子供のように泣くしかなかった。



◆◆◆◆◆



 そこから後、伯爵家が何をどうしたのか、オレは本当に一切知らない。

 知らないでいて欲しい……と夫人に言われたからだ。


 少しでも悪巧みに加担したら、何も知らなかった頃には絶対に戻れない。悪いことは大人がやるから、貴方はただこれまで通り生活して、リーリエを待っていてと帰された。


 待つだけの時間……どんなに長かっただろう。


 結局卒業試験も手につかず、ギリギリの成績でなんとか貴族学院を卒業したオレは、宙ぶらりんの立場のまま父の手伝いをすることになった。

 伯爵家のことも子爵家のことも父は何も言わない。リーリエがどうなったのか、婚約はどうなっているのか、それすら知らされず……オレはただ与えられる仕事に打ち込んだ。


 信じて待つことしか出来なかったから……。


 一年近く父の補佐として働き、やっとそれなりに仕事が出来るようになった頃。

 父に呼び出され、新しい婚約が整ったと知らされた。

 心臓が嫌な音を立てて冷や汗を浮かべるオレに、父はなんだか困った顔をしていた。


『そんな顔をされると流石のオレも傷つくぞ。少し厳しいことも言ったが、オレはお前の意思を無視したことはないだろう? もう少し信用して欲しいな……』


 言って、机の上に滑らされたのは一通の封書。

 蝋封の家紋は見知らぬものだった。

 震える手で封を開け取り出した便せんに記されていたのは、待ちに待った知らせ。

 顔を上げると、どうだと言わんばかりの笑顔の父と目が合った。


『オレだってお前の幸せを願ってる』

『父上……、ありがとうございます』

『ああ、頑張れよ』




 そしてオレはこの家で、夢にまで見たリーリエと再会した。




 最後に見た病み衰えベッドの住人だった面影はなく、元気に立って歩いてくるリーリエを見ただけで涙が止まらなくなった。

 リーリエのそばには、あの日別れたきりの彼女の祖母の姿もあって……、伯爵家がちゃんと彼女を救ってくれたのだと判った。

 泣きすぎてお礼もちゃんと言えないオレの前に来たリーリエが、簡素なワンピースのスカートを摘まんで淑女の礼で頭を下げる。


『パトリック様、この子はリエラ、最近私が引き取った娘なの。爵位はないけれど、この婚約受けてもらえるかしら?』


 夫人の言葉を受けて顔を上げた彼女が涙で滲んでまったく見えなくて、我慢できずに両手を伸ばした。そのまま必死で腕の中に閉じ込める。

 間違いなく彼女がここにいる事実に歓喜して、喜びが勝手に声になった。


『リーリエっ……』

『……はいっ』

『会いたかった、ずっと会いたかった。無事で、良かった……』

『私も……ずっと、お会いしたかった』


 背中に回される腕の感触がもっともっと涙を落とさせて、夫人の前なのにオレ達はずっと抱き合って泣いた。




◆◆◆◆◆




 後から聞いた話だが、リーリエは、母親の実家とはその死に際して縁を切られたと父親に聞かされていたそうだ。

 しかし、リーリエにそう言っておきながら、ハシェット子爵は伯爵家には、そちらと交流すると亡き母を思い出し悲しく、また義母も悲しませてしまう。今の家族を大切にしたいとリーリエが交流を拒否していると伝えていた。


 そうやって意図的に断ち切ろうとした縁。

 なのに……。


 伯爵家側から、リーリエの成人までの養育の援助と社交界デビューの用意を申し出られた子爵は、目の前に示された大金の誘惑に勝てなかった。

 そしてリーリエは、いるだけで子爵家に富をもたらす存在になった。


 そのおかげで、内情はどうであれ、あからさまに虐げたり差別したり、ましてや簡単に排除したりなど絶対にできなくなったのは幸いなことだったのだろう。

 ……否、もしかしたら、そこまで見越して、伯爵家は娘の遺児に大金を費やしたのかも知れない。

 リーリエのための資金は彼女には使われず、それ以外の家族の散財に垂れ流され、足りなくなればリーリエのためと更に金を出させ……彼女は長年子爵家の金蔓として生かされてきた。

 しかし、それも成人まで。

 貴族学院を卒業して社交界デビューしてしまったら、子爵が隠してきた真実が明らかになってしまう。




 だからリーリエは病気になった……否、病気にされた。




 いつから子爵がそんな企みを持っていたか判らない。

 だが彼は、己の非を隠すため、血を分けた娘を葬ることにした。


 彼女を弱らせていたのは、死病などではなく、遅効性の毒。学院の卒業時期に合わせて儚くなるよう、ある時期から毎日少しづつ与えられていたらしい。

 あと少し助け出すのが遅かったら間に合わなかっただろうと聞かされた時には、肝が冷えた。


 そして、彼らの目論見通り、リーリエは何も漏らさず死んだ。

 彼らは、悪事が闇に葬られてさぞかし安堵したことだろう。けれど……子爵家は、今度は違う問題に直面した。


 ハシェット子爵家は、現在深刻な財政難に陥っている。


 それはそうだろう、長年リーリエの金で贅沢三昧の暮らしをしてきたのだ。突然、もうお金がありません、今日から質素倹約して暮らしますと言われても変われるわけがない。

 生活の質を落とす努力はしているようだが、各々が内緒で少しの贅沢、たまのご褒美……を繰り返していてはまったく意味がない。


 それが今更オレに近づいてきた理由だろう。


 今日の態度を見る限り、子爵一家は確かにリーリエの死を信じているようだった。

 伯爵家がどんな悪巧みによってそれを為したのかに興味はない。



 大事なのは、どんなかたちでも、最愛の彼女が今もオレの目の前にいる事実だけ。



 オレは、もうすぐ彼女と結婚して伯爵家を出る。当然彼女はもう子爵令嬢ではないから、オレたちは平民になる。

 でも、それがなんだというのだろう。

 この愛しさと添い遂げられるなら、身分なんていらない。

 オレは今度こそ、婚姻という契約に付随する責任を背負って、彼女と共に生きていくのだ。


「リック、はい、あーんして」


 フォークで刺したイチゴを差しだしてくる彼女が可愛い。

 こんなこと、以前の婚約者時代には一度もしたことがなかった。

 パクリと食いついたオレに、美味しい? と聞く彼女の存在が尊い。

 これからも彼女とこんな思い出を重ねていけることが嬉しい。


「リーももっと食べて。美味しそうに食べるリーがもっと見たい」

「でもソーニャが……」

「ソーニャにも手伝ってもらって、二人で愛くるしくなればいい」

「パトリック様!」

「ですって。ほらソーニャも座って、リックの愛情よ、二人で頑張って食べきりましょう」

「お嬢様! なりません、主従の線引きはきちんとするべきです」

「あら、貴女の今の雇い主はおばあさまだし、私と貴女はずっと友達じゃない」

「……お嬢様」

「ね? だから、私と一緒に美味しいものを食べて?」


 可愛いおねだりに負けて、渋々と言った動作で座ったソーニャは、深い溜め息をついて恨めしそうにオレを見た。


「パトリック様がお嬢様を甘やかすからこんなことに……」

「ソーニャ、オレのことはリックで良いって言ってるだろう」

「そうは参りません。これ以上線引きを曖昧には……」

「はいはい、ソーニャの分ですよ」


 恭しく配膳する主を見上げ心底嫌そうな顔をするソーニャを二人で笑う。


 ……ああ、なんて幸せなんだろう。


 結局オレは、リーリエをリエラと間違えずに呼べなくて……ソーニャの提案で、愛称で呼ぶことにしたのは再会してすぐ。


 <リー>と<リック>。


 適度に気安い名前。

 貴族籍を抜けたら、いづれはそちらに改名しても良いと思っている。


 ただのリーとリックになって、これからもずっと一緒に。

 目の前で、愛しい人が美味しそうにタルトを食べている。

 ただそんなことが幸せな毎日を……。



 今日のこの出来事を君は、どんな風に記してくれるだろうか?

 もう二度と悲鳴を上げる文字など綴らせない。

 君が新しい日記帳に幸せだけを綴っていけるように、オレが精一杯君を守る。






 リーリエ。

 オレの最愛。

 君以外を愛することはない。

 全てに向けて宣言するよ。












読んで頂きありがとうございました。


納得の行く結末になっていたでしょうか?

タイトル詐欺と感じた方、ごめんなさい。



もし面白いと感じていただけましたら、リアクション、評価、ブックマークしていただけると嬉しいです。

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