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前篇

毎朝四時更新の全3話です。












 仕事の関係上断れなかった夜会に久し振りに出席したのは一週間前。

 そこで非常に不愉快な目に遭って、荒んだ心を最愛に慰めてもらっていたところを、実家から至急戻れと呼び出された。


 そして今日、戻った実家で見せられたのは、父宛に届いた元婚約者の家が契約不履行と侮辱罪でオレを訴えているという、貴族裁判所からの通知。


 父の執務室でその手紙を見せられた時の脱力感といったらもう。

 はぁ……と内臓すべて出てしまうような溜め息を吐いて、父に紙束を返した。


「……で、どうするのだ?」

「もちろん受けて立ちますよ」

「醜聞になるぞ」

「何を言われても、オレは彼女以外と結婚するつもりはありません」

「……穏便には済ませられないか?」

「済みませんね、ここまでされては」

「……そうか。まあ、好きにするといい」

「ありがとうございます」


 好きにしろという許可を貰って意気揚々と執務室を後にする。

 歩き始めた頭の中は、これからやることでいっぱいだった。
















夜会で「オレには既に最愛がいる、君を愛することはない」宣言をしたら、元婚約者の家族に訴えられた。

















 訴えられても、いきなり裁判は始まらない。まずは調停と言う話し合いを勧められる。第三者を挟んだ話し合いで内々に解決出来るなら、そちらの方が家の体面的にもいいからだ。


 それで決着が付かなかったらいよいよ裁判。

 我が家への訴えもまずは調停に回されて、オレは指定された日裁判所の会議室へ向かった。

 そんなに広くない部屋には長方形の机だけがあり、その机の長辺側にオレと元婚約者家族が向かい合って座る。

 上座の短辺に調停人が三人、下座に無関係な立会人と記録係が一人づつ。後は、もしもの時のため、四隅に槍を持った衛兵が控えている。



 こっちはオレ一人だが、あちらは訴人の子爵本人と夫人と娘の三人が来ていた。


「これより、ハシェット子爵家を訴人として、ラモンド伯爵令息パトリックの契約不履行および子爵令嬢バーバラへの侮辱罪について協議を始めます」


 厳かな雰囲気で調停人が口火を切り、舞台の幕が開いた。


 子爵曰く。


「ラモンド伯爵令息は我が家と婚約を結んでいるのに、他の女との関係を隠すことなく公にし、揚げ句の果てに、それを指摘した娘を夜会で侮辱したのです!」


 声高に主張した子爵の言葉を、手を上げて訂正する。


「訂正を。私が婚約していたのはこちらの令嬢ではなく、長女のリーリエ・ハシェット嬢、しかし彼女は亡くなりました。ですから、この婚約は既になくなっていると考えています」

「事実ですか、子爵?」

「それは……」

「はいかいいえでお答えください」

「……はい」

「それはお気の毒に。ですが、当人が亡くなっているのならば彼の言うとおり、婚約は既に解消されていると考えて良いのでは?」

「いえっ、確かに長女は亡くなりましたが、これは家と家の契約。彼は跡取りの婿になる約束なのですから、長女の死後は、跡取りになった次女バーバラの婚約者でしょう」


 それは極論だ。

 オレが言う前に、同じ感想を持った調停人が答えてくれる。


「それは少し暴論ではありませんか? 婚約者が変更になるなら、当人、もしくは当主同士で話し合いをするべきです」

「もちろん何度も話し合いを提案しました。しかし、伯爵家からはもう契約は終わったと梨の礫で、どうしようかと考えあぐねていたところ……」

「先日娘が、偶然夜会でお会いしたラモンド伯爵令息から大勢の前で暴言を受けたのですっ。確かに我が家は子爵家ですが、一度は縁を結ぼうとした相手なのに、こんな扱いはあんまりではありませんか。……可哀想にこの子は、慕う方からの暴力に、食事も喉を通らない程傷ついて……親として黙っていられませんでした」


 ハンカチを目元に当てた夫人が悔しそうに美しい顔を歪める。そして、その隣で肩を竦めている少女の肩を守るように抱いた。

 そうされてやっと怖々といったふうに顔を上げたバーバラは、大きな目を既に潤ませていて、真向かいのオレを見て怯えるようにまた顔を俯ける。

 小動物のように震える彼女の仕草に、まだ若い娘にどんな酷いことを……とでも言いたげに、調停人のオレに向ける視線が厳しくなった。

 充分に同情が集まったのを感じたのか、バーバラが細い声を出す。


「わ、私……パトリック様と連絡が取れなくなって、お父様たちが困っているのを知っていたので、……それで、偶然夜会でお見かけしたから、声をかけただけなんです……でも、そしたらとても酷いことを……いわ、れて……」

「大丈夫? 無理はしなくていいのよ、バーバラ」

「大、丈夫です、お母様」


 ぷるぷる震えて母親の手に縋り、ぐすぐすと鼻を啜り上げながらバーバラは続ける。


「私は、お姉様から、自分の代わりに彼と結婚して、家を守ってほしいと頼まれたから……その遺言を果たし……」

「先日お会いした時もそんな世迷い言を言っていたが、絶対にお断りだ。オレには既に最愛がいる、君を愛することはない」

「パトリック様!!」

「ラモンド伯爵令息!」


 子爵夫妻と調停人が同時に声を上げた。

 全員の非難の籠もった視線を真面に浴びても、詫びる気持ちはない。自分の正しさに胸を張って更に声を張り上げた。




「何度でも言う。君を愛するなど、反吐が出るっ……私は、私の婚約者のリーリエを虐げ死に追いやったお前たちを絶対に許すつもりはない」




 強く、本物の憎悪を込めて、子爵一家を睨み付け言い切った。

 全く予想していなかったのだろう、オレの発言にその場が水を打ったように静まりかえる。



「私の元婚約者で、ハシェット家の長女リーリエは幼少の頃よりずっと彼らに虐げられ……そして殺されました」



 真っ直ぐ指差して、子爵一家を告発した。


「……ふ、ふざけるな!!」


 最初に意識を取り戻したのは子爵。両手をテーブルに叩きつけて立ち上がり、怒鳴ってきた。

 続けて正気に返った夫人も、酷い言いがかりだ、侮辱だとわめき出す。

 一切無視して、携えてきた紙袋を調停人に差し出した。


「リーリエが死の間際までつけていた日記、これが証拠です」


 困惑しながらオレが渡した紙袋の中身を改める調停人に向かって、子爵が詰め寄ろうとするのを、壁際に控えていた衛兵が止めた。屈強な男たちに罪人のように取り囲まれながら、子爵夫妻が怒鳴ってくる。


「そんなものっ、幾らでも偽装出来るだろうっ」

「そうよ! あの子は日記なんてつけてなかった!!」

「必要なら筆跡鑑定をどうぞ。それから、私は証人も多数用意しています。こちらは子爵家の方々が日頃からリーリエをどう扱っていたかの証言記録の一部です」


 更に紙束を取り出して渡す。

 目を白黒させながら読み始めた調停人たちの顔色が徐々に変わっていった。


「なんという……」

「これは惨い……」

「確かにこれは……」


 ページを繰る度に顔を青ざめさせ、唇を片手で覆って唸る姿に焦ったのか、子爵は衛兵の向こうから言ってきた。


「言いがかりだ! リーリエは病で死んだんだ!! 医者の診断書もある!! 確かめてくれっ」


 切り札とばかりに持ち出してきた反論に腸が煮えくり返った。


「確かに最終的に彼女の命を奪ったのは病かもしれないっ。しかし、病にかかった彼女に貴方たちは何をした!? ろくに医者に見せることもなく、弱っていくに任せて……それは殺人だ!!」

「違うわ!! ちゃんとお医者様に見せて、死病だと診断を受けたのよ!!」

「そして、もう助からないと見殺しにしたのですよね」

「違うっ!!」


 半狂乱になって喚く夫人を睨み付けながら付け加えた。


「私が調べた限り子爵家のかかりつけ医師が往診に通っていた証言や記録はありません」

「違う!! かかりつけ医では手に負えないと言うから、他の良い医者を探したのだ!」

「では、その医者を教えてください。調べます」

「貴様に何の権利があって……!!」


 子爵の悲鳴に、だったらそちらでやってくれるか? と調停人に視線を送れば、彼らは目の前の事象が自分たちの手に負えないとやっと悟ったのだろう。顔を見合わせ頷き合って、言った。


「衛兵、子爵夫妻を外にお連れしろ」

「馬鹿な!! 私たちは被害者だぞ!!」

「やめて触らないで!!」


 暴れる二人を押さえつけるために更に衛兵が増え、部屋は大混乱になる。やっと連れ出される二人に向けて言った。


「ハシェット子爵、オレは絶対に貴方たちを許さない」

「貴様貴様貴様!!」


 暴れ過ぎて、拘束具をつけられ荷物のように担がれていく子爵夫妻を見送り、調停人たちに場を騒がせたことを詫びた。面倒をかけてしまってすまないと頭を下げると、彼らは困惑しながらも、あれは仕方ないと同情してくれた。

 そして、当たり前だがこの調停の和解は無理という決着がついた。 


 後は、本当に裁判に持ち込むかどうかの子爵の判断次第。

 ただオレは法廷でも同じ反論をするつもりだが……。


 用の済んだオレを引き止めたのは、夫妻が連れ出される混乱ですっかり存在を忘れていたバーバラだった。


「パトリック様! どうしてこんな意地悪をなさるのですか!?」


 黙っていれば見逃したのに……わざわざ走り寄ってきてオレの前に立ち、頭一つ分下から潤んだ目で睨み付けてくる女。

 毅然とした仕草でも、理路整然とした反論でもない。拗ねた子供のような顔で、駄々をこねるように言ってくるその様が、酷く不愉快だった。


「……意地悪?」

「お姉様を亡くして悲しいのは皆同じですっ。その憂さをこんな形で晴らそうとなさるなんて……お父様たちを責めてもお姉様は帰りません。お姉様が悲しむだけです。だから……もうやめましょう?」


 バーバラは勝手にオレの腕に触れ、宥めるように言う。

 まるでオレの悲しみに寄り添うように……。

 不快感が堪えきれず、考えるより先に声が出ていた。


「以前も言ったが、貴様がリーリエを語るな、下種がっ」


 夜会の再現のように、オレの放った言葉の意味が理解出来ずにぽかんと口を開けたバーバラの不快な手を、身震いで振り払う。

 あの夜のように手で払いのけたら、今度は暴行で訴えられるかも知れないからな。


 数歩距離を取ってから、バーバラに触れられていた部分を埃を払うように拭うと、彼女は怒りで顔を真っ赤にさせた。

 危険を察知した衛兵が、寸でのところでオレと彼女の間に割って入る。その向こう側から金切り声が聞こえた。


「なんでよ、どうしてよ!? お姉様は死んで、貴方はもう私と結婚するしかないでしょ!?」

「何故だ?」

「はあ?」

「何故オレがお前なんかと結婚するしかないんだ?」

「だって、私と結婚して我が家に婿入りしなければ貴方は平民になるしかないっ。ちゃんと私知ってるんだから!!」


 どうだと言わんばかりに突きつけられても、オレの何も揺らがなかった。


「それがどうした。長男でない以上継ぐ家がないことは最初から判っていた。家を出る準備もしている。そこにたまたまリーリエの夫となる話が出たから受けただけで、そもそも身分に未練はない」

「そんな……嘘よ!! 強がりはやめてっ……お姉様だってきっと」

「もう黙れ!!」


 怒鳴りつけて、早く彼女をどかせるよう兵に目配せする。女性兵が、彼女を捕まえて道を空けてくれてた。不愉快な物体を見ないよう目を背け、素早く彼女の脇をすり抜けながら言い捨てる。


「二度とオレに近づくな」

「パトリック様ぁ!!」


 すぐさま追いかけてくる声に本気で苛ついた。






 あいつら今すぐ死ねばいいのに!!






 唱えて建物を走り出た。












読んで頂きありがとうございました。


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