【71】夜明け前 〜アーシスとナーベ〜
──とある休日の早朝。
まだ陽も昇りきらぬ時間、ナーベ=ナーベラスは静かに寮を抜け出していた。
目が覚めてしまったせいか、あるいは、心のどこかで落ち着かなかったのか。
制服ではなく、軽い外出着に身を包み、ひとり、校舎へと続く並木道を歩いていく。
通学路の脇。
ふと、ナーベの視界に小さな白い花が映った。
「……」
しゃがみ込み、手を伸ばす。
指先でそっと撫でるように、花びらに触れる。
淡い光の中、微かに微笑むその顔は、普段の無表情なナーベとはまるで別人のようだった。
その時だった──。
校舎の方から、何かがぶつかり合うような音がした。
(……?)
訓練場だ。
誰かが、こんな朝早くから練習しているのか?
気配を殺しながら、音のする方へ歩み寄るナーベ。
格闘訓練場の小さな窓から、そっと中を覗くと──
「……!」
そこには、仮想モンスター五体を相手に、たったひとりで剣を振るうアーシス=フュールーズの姿があった。
だが、様子がおかしい。
普段なら一瞬で片づけるはずのD級モンスター相手に、動きが鈍い。
剣筋も大振りで、攻撃を避けきれず、何度も傷を負っている。
(……どういうこと……?)
ナーベが眉をひそめた、その瞬間──。
「ぐっ……!」
背後からの一撃をまともに受け、アーシスが膝をついた。
(……まずい!)
モンスターたちが一斉に襲いかかる。
咄嗟に飛び出したナーベは、アーシスの前に立ちはだかり、魔法障壁を展開した。
「──防御結界、展開!」
蒼い魔力が盾となり、迫る爪を弾き返す。
かすかに頬をかすめた攻撃に、ナーベはかすり傷を負っていた。
「……ナーベ!?」
驚きの声をあげるアーシスに、ナーベは冷静に声をかける。
「驚いている暇はありません、来ますよ」
アーシスもすぐに剣を構え直す。
──二人の連携は見事だった。
ナーベの援護とアーシスの剣術。息を合わせ、D級モンスターたちを次々と薙ぎ倒していく。
やがて、場に静寂が訪れた。
「ふぅ……助かったぜ、ナーベ」
「……いえ」
ナーベは傷を撫でながら、じっとアーシスを見つめた。
「……ですが、アーシス。あなたが、こんな低ランクモンスターに手こずるとは思いませんでした」
「……ああ、それな」
アーシスは、はにかむように笑った。
「実はさ、利き手じゃない左手だけで戦ってたんだ」
「……っ」
ナーベの目が、わずかに見開かれる。
「ダンジョンじゃ何が起こるかわかんねぇからな。右手が使えなくなっても、戦えるように……ってな」
肩をすくめるアーシスの背中に、ナーベは一瞬、言葉を失った。
その無鉄砲な努力に、そして、その真剣さに──胸が、じんわりと熱くなる。
「……アーシス」
ぽつりと、ナーベは問いかけた。
「あなたは……何のために、戦っているんですか?」
「え?」
アーシスは目を丸くし、それから少しだけ、遠い目をした。
「……最初は、どこにでもいるガキと同じさ、冒険者の英雄譚に憧れて…。
……それから、本気で冒険者になるって決めたのは──自分自身が何者かを知るため」
静かに、言葉を続ける
「でも今は、田舎から出て、世界を知って、みんなに出会って……"この世界を守りたい"、って思ってる…」
朝の光が、少しずつ差し込んでくる。
アーシスの横顔が、金色に染まった。
ナーベは、その横顔を、ずっと見つめていた。
「……ふふ」
「ん?」
小さく笑ったナーベが、魔導端末を操作する。
次の瞬間──仮想モンスターが新たに出現する。
「なっ!? これ……C級じゃねえか!!?」
「………だったら、もっと強くなるしかないですね!いきますよ!」
ナーベは珍しく、悪戯っぽい微笑を浮かべた。
「う、うそだろぉぉ……!」
悲鳴を上げるアーシスと、それを楽しそうに見つめるナーベ。
そんなふたりの朝練は、太陽が昇るまで続いたのだった。
(つづく)




