【69】温泉リゾート編④ 〜月明かりの下で〜
温泉リゾート最終日前夜。
たっぷり遊んで、笑って、肝試しも乗り越えて──
にぎやかだった一日が、ようやく静けさを取り戻しつつあった。
「今からしばらく自由行動だー」
パブロフの宣言に、生徒たちは思い思いに散っていく。
旅館の廊下。
夕食も終わり、まだ眠るには早い時間。
アーシスも、のんびりと一人で歩きはじめた。
(ふぁ〜、さすがに疲れたな……)
窓の外を見ると、銀色の月が静かに夜空に浮かんでいた。
吸い込まれそうなほど、澄んだ光。
(……せっかくだし、ちょっと外に出てみるか)
◇ ◇ ◇
中庭。
旅館の裏手には、手入れの行き届いた小さな庭園が広がっていた。
月明かりに照らされた石畳を、アーシスは気ままに歩く。
と──
ふと、ベンチの上にひとり、腰かけている赤髪の少女がいた。
「……シルティ?」
呼びかけると、彼女はちらりとこちらを振り返る。
「……ああ、アーシスか」
少しだけ、照れくさそうに笑った。
「こんなとこで何してんだ?」
「……べつに。なんとなく、月でも見ようかなって」
そう言って、また空を仰ぐシルティ。
月の光が彼女の髪に降りそそぎ、赤い糸のように光っていた。
(……きれいだな)
アーシスはふと、そんなことを思った。──口には出さなかったけれど。
「……隣、座ってもいいか?」
「……べ、べつに、嫌とは言わないけど……」
ちょっとだけ視線を逸らしながら、シルティが答える。
アーシスは照れ隠しのように頭をかきながら、そっと隣に座った。
◇ ◇ ◇
静かだった。
風の音、虫の声、遠くで流れる小川のせせらぎ。
それら全部が、夜の静寂に溶け込んでいる。
二人は、しばらく無言で月を眺めた。
「なぁ、シルティ」
「……なに」
「今回の旅……楽しかったか?」
「……まあ、ね。いろいろ、あったけど……」
シルティはぽつりと呟く。
「……でも、こうして皆でバカやったり、力を合わせたり……悪くないって思った。…前は、強くなることしか考えてなかったけど……」
言葉を切るシルティ。
その横顔は、どこかいつもより柔らかかった。
「そっか」
アーシスはそれ以上、何も言わなかった。 言葉にしなくても、伝わる気がしたから。
──少しして。
シルティが、そっと、アーシスの袖を掴んだ。
「……なぁに、照れてんだよ」
「て、照れてないし!」
慌てて手を離そうとするシルティ。
だがアーシスは、にやっと笑って、袖を掴まれたまま動かなかった。
「たまには、いいだろ。こういうのも」
「……ばか」
小さな声で呟きながら、シルティは再び月を見上げた。 ほんの少しだけ、頬を赤らめながら。
──月明かりの下で。
二人の心は、静かに、けれど確かに、近づいていた。
(つづく)




