【6】朝、剣とリンゴと
朝靄がまだ地面を這う頃。
訓練場の硬い土の上に、一番乗りした少年の影が落ちた。
「ん〜……さっむ……」
アーシス=フュールーズは、大きく伸びをしながら空を仰いだ。
紫がかった夜明けの空に、かすかに雲がたなびいている。
「……でもまあ、こうして朝から剣を振るの、嫌いじゃねぇな」
呟くと、腰に下げた木刀を抜き、軽く素振りを始めた。
木刀が空気を裂くたび、静まり返った訓練場に乾いた音が響く。
そのとき──
かすかな足音が、砂を踏みしめる音とともに近づいてきた。
「……早いな、お前」
低く、冷静な声。
振り返ると、そこに立っていたのは赤髪の少女──シルティ=グレッチだった。
制服の上から道着を羽織り、赤い髪をきっちりと一つに結わえている。
その佇まいは、朝靄の中で一際凛と映えた。
「お、来たか。まさか本当に来るとはな」
アーシスは木刀を肩に担ぎ、笑って言った。
「ふん。言ったからには来る。でないと──信用されないからな」
短い返答だったが、その言葉に込められた意思は明確だった。
シルティは無言で腰の木刀を抜き、構えを取る。
一挙手一投足に無駄がなく、しなやかな動きには、これまで積み重ねてきた努力が滲んでいた。
「じゃ、軽く打ち合うか。肩慣らしだ」
「──望むところだ」
二人は一拍だけ間を置き、ほぼ同時に踏み込んだ。
初撃。
シルティの木刀が鋭い風切り音を立てる。
「──っ!」
アーシスはとっさに受け流すが、腕にズシリと衝撃が伝わった。
二撃目、三撃目。シルティは流れるように連撃を重ねる。
力任せではない。正確に、効率よく、相手の懐に踏み込むための動き。
「おいおい……マジかよ、強ぇな、お前」
アーシスは笑いながら口元を拭い、木刀を振り払った。
「当然だ」
シルティは淡々と答え、再び踏み込んでくる。打ち込みの一発一発に、“理由”があった。
(こいつ……本気で強くなろうとしてる)
アーシスも自然と顔が引き締まる。
二人の木刀がカチンと交差し、力と力が押し合った。
──息を弾ませながら、アーシスがにやりと笑う。
「お前……マジで強ぇな。正直、ちょっとビビったわ」
「……お前もだ」
シルティは短く応じた。
「鞘のまま斬る理由、少しだけ分かった気がする。……身体の使い方が、普通じゃない。でも、それが速さに繋がってる」
「はは、普通じゃないって言われたの初めてだな。でも、悪い気はしねぇ」
二人は同時に木刀を下ろし、互いに一歩下がる。
──次の一撃で、決着をつける。
そんな空気が、静かに張り詰めていった、
その時!
「ぐぅぅぅ〜〜〜〜。」
空気を裂くように、腹の音が鳴り響いた。
「……お腹、減った」
ボソッと告げるシルティ。
アーシスは一瞬固まり──
「ぶはっ」
耐えきれず吹き出した。
「お前、このタイミングでお腹鳴らすかよ! 朝飯食ってないのか!」
「……食べた。でもお腹減った……」
真顔で答えるシルティに、アーシスは笑いながらバッグを漁る。
「ほらよ」
放り投げたのは、真っ赤なリンゴ。
シルティは器用にキャッチし、一瞬だけ驚いた顔をした後、小さく──けれど確かに、微笑んだ。
「一緒に食おうぜ」
「……ありがと」
リンゴにかじりつくシルティ。
頬を少し赤らめながら、かりりと心地いい音を立てた。
アーシスはそんな彼女を見て、また自然と笑みをこぼした。
(……悪くない朝だな)
冷たい空気の中、二人の間に流れる時間だけは、ほんのりと暖かかった。
(つづく)