【5】シルティ=グレッチ
──転入から二日目。
放課後の教室には、すでにひと気がほとんどなかった。
机や椅子の間を吹き抜ける風が、遠くでざわめく学園の音を運んでくる。
そんな中、ひとり。
アーシス=フュールーズは机に突っ伏していた。
「……魔法学……ヤバイ……暗記……キライ……」
ぶつぶつと魂の抜けた声を上げながら、頭から湯気を立ち上らせている。
今日の授業は、初めて触れる魔法理論の講義だった。
生まれてこの方、剣と筋肉で生きてきた少年にとって、それはまるで異国の言語を聞くような感覚だったのだ。
「……くそ、覚えること多すぎだろ……」
アーシスが呻いていると、不意に背後から声がかかる。
「アーシス。ちょっといいか?」
振り返る。
そこには、赤髪の少女が立っていた。
鋭くも静かな眼差し。剣を佩き、制服のリボンを無造作に結んだその姿は、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っている。
──シルティ=グレッチ。
代々続く剣士の家系に生まれ、幼い頃から剣を握り続けてきた少女。
学内でも無口で、周囲に壁を作るような孤高の存在だった。
「おう、お前……シルティ、だっけ」
アーシスが軽く手を上げると、シルティは小さく頷く。
「……さっきの模擬戦。……すごかった」
赤い瞳がまっすぐにアーシスを見据えていた。
その表情は、嫉妬でもなく、羨望でもない。
──純粋な「憧れ」。
「速いし……強い……それに……鞘のままで……」
言葉を絞り出すように呟くシルティだったが、途中で恥ずかしくなったのか、わずかに顔を赤らめた。
「へへ、まぁな」
アーシスは、頭をかきながら苦笑する。
「でも、そんな大したことじゃないぜ。グリーピーの動きは速かったけど、読みやすかったしな」
さらっと答えるその口調に、シルティの瞳が一層真剣な色を帯びる。
「──教えろ」
はっきりとした声だった。
「……私にも、その技を。教えろ」
アーシスは一瞬目を丸くしたが、すぐに破顔した。
「おう、いいぜ」
「本当か!?」
ぱっと顔を上げるシルティ。
そのあまりの素直さに、アーシスはくすりと笑った。
「簡単な話さ。コツがあるんだよ。
鞘を使うことで、剣を抜かずとも流れるように動けるんだ。……今度、教えてやるよ」
シルティは少しの間、驚いたようにアーシスを見つめた。
そして、ぷいっと顔をそらす。
「……ふん。調子に乗るなよ。
仕方ないから、教わってやるだけだ」
「へいへい、ありがたく教えさせてもらいますよ、お嬢様」
アーシスがわざとらしく頭を下げると、シルティは小さく吹き出した。
「……じゃあ、明日の朝からだ」
「よっしゃ、上等!」
二人はにっと笑い合った。
校舎の窓から差し込む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
静かに、確かに。
──シルティ=グレッチには、絶対に強くならなければいけない理由があった。
だからこそ、どんな小さなきっかけでも、彼女は掴もうとする。
そして、アーシスもまた。知らず知らずのうちに、そんな彼女の"剣の誓い"に、歩調を合わせ始めていた。
(つづく)