【56】放課後の魔導訓練
放課後の、ひととき。
冒険者育成学校の静かな図書室に、マルミィ=メルミィの姿があった。
いつもの、誰も来ない隅っこの席。すっかり彼女の「指定席」となったそこに荷物を置くと、今日も本棚を物色し始める。
(あ、"魔導学通信"の最新号……)
ぴょこんと伸びた指が、目当ての雑誌に触れた、その瞬間、ぴたり、と別の手が重なった。
「あ……」
「ど、どうも……」
互いに手を引っ込めると、そこに立っていたのは、無表情な少女──ナーベ=ナーベラスだった。
小さな沈黙のあと、二人は自然と隅の席に並んで座った。 極度の人見知りであるマルミィだったが、不思議とナーベとは気まずさを感じなかった。
「……ネーオダンジョン以来ですね」
ぽつり、とナーベが口を開く。
「そ、そうですね……あの時は……ほんとに、死ぬかと思いました……」
マルミィは苦笑いしながら、自分の髪を指先でいじった。
「……そう言えば、マルミィさんはヴァスタリア王国のご出身でしたよね。たしか、代々魔導士の家系とか……」
ナーベの問いかけに、マルミィは少しだけ背筋を伸ばす。
「は、はいっ。父は王都の魔導師団に所属していて、母は……子供たちに魔法を教える家庭教師をしています」
「……大切に育てられたんですね」
「えへへ……。まわりからは過保護だって、言われるんですけど……」
ふわりと微笑むマルミィとは対照的に、ナーベの顔は変わらない。ただ、どこか遠いものを思うような瞳をしていた。
その時──
「……あっ!」
マルミィが急に立ち上がった。
バッグの中の小さなタイマーが、ぴぴっ、と鳴っている。
「いけない……今日は、にゃんぴんちゃんに魔法を教えてもらう約束だった……!」
慌てるマルミィに、ナーベが静かに問いかけた。
「……にゃんぴんに、魔法を?」
「う、うん!週に二回、特訓してもらってるんだ!」
きらきらと目を輝かせるマルミィを見て、ナーベは一瞬、考えたあと──。
「……見学、してもいいですか?」
「えっ? う、うん!もちろん!」
◇ ◇ ◇
屋上。
すでに待っていたにゃんぴんが、ぷりぷりと怒りながら空中で腕組みしていた。
「遅いにゃ〜〜!!」
「ご、ごめんねにゃんぴんちゃん……つい、忘れちゃってて……」
必死に謝るマルミィの髪に、にゃんぴんはふわりと飛びつく。
「罰として、マルミィのマナ、嗅がせてもらうにゃん!」
「ひゃっ……!」
ふわふわの体で髪に巻きつき、深くマルミィの魔力を吸い込むにゃんぴん。
顔をとろけさせながら、ふにゃふにゃと漂った。
「……マルミィのマナは、いつ嗅いでも癒されるにゃ〜〜……」
リフレッシュ完了。
にゃんぴんはふと、マルミィの背後を見た。
「……お客さん、にゃ?」
「あ、うん。ナーベちゃん、見学したいって!」
ナーベに視線を向けると──にゃんぴんはじっと、彼女のマントの壺を見つめた──何かを感じ取ったかのように。
「おっけ〜にゃ。ナーベちゃん、防御シールドはっといてにゃ。巻き添え食らうと大変にゃん」
「……了解しました」
ナーベが静かに魔力を練る。
◇ ◇ ◇
「じゃ、いくにゃん! 今日は“合成詠唱”の特訓にゃ!」
にゃんぴんの掛け声とともに、マルミィは両手を広げた。 右手に雷の魔法、左手に氷の魔法。二つの異なる属性を、同時に発動する。
(……左右で魔法を出して、なおかつバランスをとるなんて……!)
ナーベの無表情が、わずかに揺らぐ。
「いいにゃん、そのまま!魔力量を均一に!両手を少しずつ、寄せるにゃ!」
細かく震えるマルミィの手。左右から伸びる魔力の糸が、中央で交わろうとする、──その瞬間。
「今にゃん!!」
にゃんぴんの指示とともにマルミィは手を合わせた──が、わずかにズレていた。
──バチィンッ!!
魔法が弾き飛ばされ、衝撃波が屋上を駆け抜けた。
にゃんぴんは即座に防御魔法を展開し、マルミィを庇う。
ナーベもまた、防御シールドで直撃を防いだ。
(……な、なんて魔力だ。この子は、間違いなく……とんでもない魔導士になる……)
初めて見た"可能性"に、ナーベの心が静かに震えた。
「ご、ごめん、ナーベちゃん! 大丈夫だった!?」
駆け寄るマルミィに、ナーベは静かに頷く。
「ええ。……しかし、あなたの魔力は……すごいですね」
「えへへ……ありがとっ!」
マルミィは頬を赤らめた後、ふと思いついたように言った。
「……そうだ! ナーベちゃんも、一緒に練習しようよ!」
その提案に、ナーベはそっと首を振る。
「……いえ。この魔法は、あなたの“魔力量”があるからこそ成立するもの……。私には、無理だと思います」
「そっかぁ……」
少し寂しそうに微笑むマルミィ。
ナーベは一礼し、屋上を後にした。
その背中を、にゃんぴんは静かに見送る。
(……あの壺、やっぱり……なんか、おかしいにゃん)
青い光の中、にゃんぴんの瞳が細められた。
まだ誰も知らない。
彼女たちの運命が、静かに動き出していることを──。
(つづく)