【204】冒険者試験編⑥ 〜経験値〜
──ふわり。
光の粒が弾ける中、アーシスの身体が地面へと落下する。
「うおっと──!」
受け身を取りながら着地。石の床をブーツの底が鳴らす。
見上げると、そこは薄暗い岩の洞窟。
湿った空気が肌を撫で、遠くから“ポタ……ポタ……”と水の滴る音が響いていた。
岩壁には苔が生え、そこから微弱なマナの燐光がこぼれている。
風が冷たく頬をなぜた。
「ふ〜ん、こういう感じね」
アーシスは妙に落ち着いていた。
片手を掲げて静かに詠唱し、ボッ、と橙の火球を宙に浮かべる。
──この二年間の数多の経験が、確実にアーシスを成長させていた。
揺らめく光が、洞窟の奥をぼんやりと照らす。
ジャキッ。
アビスグラムを抜き、アーシスは洞窟の奥を睨む。
「それじゃあ、行きますか」
◇ ◇ ◇
火球の灯りの下、アーシスは慎重に進む。
一歩ごとに靴底が岩を踏みしめる感触が伝わる。
──ピタ。
ふと、アーシスは地面に着きかけた右足を止めた。
ほんの僅かな“違和感”。
地面の小石の散り方が、他の場所とわずかに異なる。
「危ねっ、たぶんこれ、罠だよな」
眉をひそめ、アーシスは足をずらして踏み込む。
──サーチ魔法は出来ないアーシスだが、今までの経験から、なんとなく雰囲気で罠を察することが出来るようになっていた。
「色々なダンジョン行ったもんな」
感慨深げに頷き、陽気に歩き出した瞬間──、
ガコン。
「……ん?」
足元が少し沈む──トラップブロックを踏んだ感触。
鋭い槍が左右から飛び出す。
「おわっ!!」
アーシスは瞬時に身をひねり、空中で一回転して槍の間を抜ける。
髪が風を切る音が残った。
ドガッ、ガシャン──!
槍が岩壁に突き刺さる。
危うく胴を貫かれるところだった。
「ふーっ……魔導アスレチックスのトレーニングが役に立ったな」
額の汗を拭いながら、ふと借り暮らし生活が頭をよぎる。
「そういやー、ディスティニーたちはどうなったかな?……本校も当然試験の時期だよな──っ!!」
──魔物の気配。
洞窟の奥から低いうなり声が響いた。
グルルルル……。
アーシスは即座に剣を構える。
「……余計なこと考えてる余裕はないよな」
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
「そりゃりゃりゃりゃぁっ!!」
ズバババババッ!!
鋭い斬撃が風を裂き、巨大な蜂の魔物が一瞬で斬り伏せられた。
粉塵が舞い、空気が金属音のように震える。
煙の中から現れたのは、赤髪の女剣士、シルティ=グレッチ。
森と石造りの王宮が融合したような異形の空間。
床は大理石、天井は吹き抜け──そこに根を張るように、巨木が伸びている。
風が吹き抜け、花弁が舞った。
シルティは剣を収め、無言で前方を見つめる。
腰まで伸びる草を掻き分け進むと、その奥に崩れかけた階段を見つけた。
「……ここが、下層への入り口……」
冷たい空気が立ち上る。
シルティの赤髪が、薄明かりに照らされて燃えるように輝いた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
「あわわわわわわわっ!!」
轟音とともにマルミィの叫びがダンジョン中に響く。
螺旋状に続く通路が、突然、激しい水の流れで満たされていた。
太い丸太に捕まって、回転しながら激流を流されていくマルミィ。
視界がぐるぐると回り、頬を冷水が打つ。
「こ、こんなの……ダンジョン、ですかぁぁ!?」
魂の叫びがダンジョンにこだました。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
ドドドドドドッ!!
「ちょ、まっ──無理無理無理ぃっ!!」
アップルは全力で駆けていた。
背後から追いかけてくるのは、翼を持つ巨大魚!
水のような鱗が光を反射し、空気を震わせる。
「支援職ひとりにこの相手はないでしょーがっ!!」
魚は頬をぷくーっと膨らますと、圧縮された水鉄砲を口から連射。
──ドゴォン!!
「ひゃっ!」
アップルは飛び跳ねながら回避。
足場の石が弾け飛び、水しぶきが頬を打った。
だが、次の瞬間、アップルの目に光が宿る。
「……でも、冒険者になるなら、支援職だってひとりで対応できないとね」
巨大魚の目がアップルを捉える。
鋭い牙を持つ大きな口を開き、アップルに詰め寄った──その時、アップルは身体を反転、
「《ルクス・イリディア》!」
アップルの杖から激しい閃光が弾ける。
グギャアアアッ!!
光に目を焼かれた魚は、空中で暴れ回る。
──ゴッ、ドガッ!!
巨体が壁や天井を叩き、岩片が雨のように降り注ぐ。
「《ホーリー・ウェブ》!」
杖から放出された光の糸が絡み合い、巨大な光の網が形成される。
──蜘蛛の巣に捕まる小虫のように、巨大魚は網に捉えられた。
逃れようともがく魚の翼が、糸に絡まってもつれる。
「ふふ……なめんじゃないわよ」
不敵な笑みを浮かべながら、アップルは杖を高く振り上げた──
「《ホーリーフレア・ランサー》!!」
空間に放たれた複数の眩い光の槍が、鋭く魚の体を貫く。
ダンジョン内に巨大魚の咆哮が響き、地鳴りと突風が走る──そして、魚はゆっくりと地面へ崩れ落ちていった。
「……ふぅ。どんなもんじゃい!」
アップルはドヤ顔で勝利ポーズを決めた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇ ◇
スーッと冷たい空気が流れる。
岩の壁に囲まれた奥地に、大きく重厚な鈍色の扉が現れた。
ザッ……。
扉の前で立ち止まったアーシスは、上から下までじっくりと扉を眺めた。
表面には複雑な魔法刻印。
うっすらと赤黒いマナの気配が漂っている。
「これは、ボス部屋だな……」
アーシスは一歩近づき、手を添える。
ギィィ……。
扉が軋みを上げて開く。
中は淡い霧。
紫の苔が光を放ち、空間全体が微かに明滅している。
その奥に、魔法陣が静かに輝いていた。
「あれが、転送陣か……」
アーシスが一歩踏み出した、その瞬間──
ズドォォン!!
天井が崩れ、巨大な影が落下。
砂煙の向こうで、二つの赤い眼が光った。
──煙が晴れる前に、獣は飛びかかってくる。
キィン!!
獣の石斧を、アーシスは何事もないように受け止めた。
ドガッ!
「グブァッ!」
アーシスの蹴りが獣の腹を捉える。
獣はよろめき、距離を取る。
「ふーん、ボスゴブリンってとこか。……さっきのゴブリンたちよりはマシな感じだな」
アーシスは獣に向けて笑みを浮かべた。
普通のゴブリンの倍はある巨体。凶悪な顔には古い傷跡が刻まれている。
金属製の鎧をまとい、石斧を握りしめ、鋭い目つきで威圧感を放っている。
──だが、アーシスは動じない。
この程度の威圧は、過去に死闘を繰り広げた魔物たちとは、比べものにならない。
ヒュン。
一瞬──音もなく、アーシスの姿が獣の背後へと抜ける。
ボスゴブリンは目で追うことが出来ず、混乱している。
しかし、その答え合わせをする時間はなく──次の瞬間、獣の胴体はゆっくりとずれて、落ちた。
ズゥン……。
「……さて、帰るか」
アーシスは剣を払って収め、転送陣へと歩み寄る。
足元の魔法陣が光を放ち、アーシスの身体を包み込んだ。
静寂の中に、風の音だけが残る。
(つづく)




