【200】冒険者試験編② 〜眠れる天才〜
──筆記試験当日。
ナーベ=ナーベラスは、鏡の前に立っていた。
太ももまである黒のハイソックスを履き、きっちりとアイロンのかかった白いシャツに腕を通す。
短いスカート、制服のジャケット──その上から灰色のもふもふしたコートを羽織る。
ちらりと鏡の自分に目を向け、無言のままマフラーを首元に巻き部屋を出る──いつも通りの朝。
◇ ◇ ◇
寮から学校へ向かう街道。
朝焼けの中、歩く生徒はまばらだった。
ナーベはいつも通り、一人でいつもの道を歩く。
ふと前方の背中に気づく。
──ドキッ。
見間違うはずがない。
その背中は、アーシス=フュールーズ。
「……お、おはようございます」
勇気を出して声をかける。
声に気づいたアーシスが、ふらっと振り返る。
「……おぅ、おはよーナーベ」
「……!?」
その表情を見て、ナーベは絶句した。
やつれた頬。目の下には特大のクマ──そして、魂が抜けたような虚ろな瞳。
「どど、どーしたんですか?」
「……ん?……ああ。……完徹だ、三日」
「三日!?」
「ふっ……思ったより、やばいレベルの学力だったみたいでな……」
アーシスはなぜかドヤ顔で、手に持った毒々しい紫色の液体をチュゥッとストローで啜った。
「……そ、そのドリンクは?」
ナーベは恐る恐る問いかける。
「ああ……マルミィが作ってくれたマナ入りエナジードリンクだ。……身体の全生命力を学習力に変換するらしい……ふふっ」
にやっと不気味な笑顔を浮かべるアーシスに、ナーベは言葉を失った。
「……それじゃあ、俺は勉強があるから……」
そう言うと、アーシスは振り返り、単語帳を手にぶつぶつと呟きならふらふらと去っていく。
──その背中を見送りながら、ナーベは胸の中でそっと呟いた。
(アーシスとは……ここでお別れかもしれない……)
◇ ◇ ◇
試験会場となる講堂には、二年生全クラスの生徒たちが集まっている。
緊張と吐息が入り混じる中、アーシスは早々に席につき、ぶつぶつと単語帳をめくっていた。
そこに、二つの影がふらっと近づく。
グリーピー=ビネガー。
ナスケ=ムラサキ。
アーシス同様、ゾンビのような顔の二人が、そっと拳を突き出す──三人は、ガシッと拳を合わせると、無言で頷いた。
「おはよーみんな!」
快活な声が講堂に響く。アップルだ。
アーシスを見つけたアップルは、シルティ、マルミィと共にアーシスたちの元へ歩み寄る。
「……すんごい顔してるけど……最後まで頑張ったみたいね」
三人は、コクっと頷いた。
「みんなが教えてくれたことは……無駄にしない!!」
アーシスのやつれ顔の瞳に炎が宿る。
「よーしお前ら、席に着け」
パブロフの声が響く。
──試験用紙が一斉に配られ、講堂の時計がついにその時を刻む。
「筆記試験、開始!!」
◇ ◇ ◇
──試験がはじまってから、かなりの時間が経っていた。
前方の席に座るマルミィ、シルティは、難解な問題をスラスラと解き、すでに時間を持て余している。
左端に座るアップルは、必死に見直しをしている。
一方、後方の席に座るナーベのペン先は、汗で滑っていた。
試験用紙が滲み、頬を汗が流れる。
ナーベの視線の先、斜め前に座るのは、アーシス=フュールーズ。
ナーベはアーシスの背中を見つめながら、こう思っていた。
(……絶対、寝てる!!)
点々と分かれて座るアーシス、グリーピー、ナスケは、三人揃って鼻ちょうちんを膨らましたり縮めたりしながら、気持ちよさそうに眠りに落ちていた。
ベルルルルルッ。
残り五分のベルが講堂に響く──が、アーシスたち三人に起きる気配はない。
(……このままじゃ)
ナーベの顔に焦りが浮かぶ。
──その時、ナーベの頭にアーシスとの思い出が走馬灯のように浮かんだ。
ナーベはアーシスが手に持つペンを睨む。
(……やるしかない。だけど……)
チラリと講堂内を素早くチェックする。
監視の教師は三名──前方、中央の講壇ではパブロフがあくびをしながら本を読んでいる。
左右の端にいる教師は、チラチラと生徒たちを監視している。
当然、筆記試験中に魔法を使うのは言語道断。マナを放つだけでも失格となる。
生徒や教師たちにバレずに使うことが出来るかなら話は別だが──
(……ダメだ。左右の教師は誤魔化せても、パブロフ先生は無理……)
ナーベが諦めかけたその時、アーシスの足元に置かれたバックが……もぞもぞ、と動いた。
(……え?)
そして、バッグの隙間から、ひょこっと見慣れた猫が顔を出す。
(……にゃんぴん、さん!?)
ナーベが目を丸くしていると、コソコソとまわりを見回したにゃんぴんと目があった。
にゃんぴんは、ニヤッと笑い、頷いた。
(──え?)
ナーベは一瞬戸惑ったが、すぐに小さく頷き返す。
──試験終了まで残り一分。
バッグの中のにゃんぴんが指を立てて合図を送る。
三。
二。
一。
ナーベは息を飲む。
──ゼロ!
にゃんぴんは飛び上がり、講堂の天井でマナを解放!
「──なっ!?」
パブロフが立ち上がる。
次の瞬間、パァンッ!──講堂内に鮮やかな光の花火が炸裂!
教室中がどよめきに包まれた。
──ここまでコンマ五秒。
誰もが上を見上げている最中、ナーベは極微量、数ミリ単位のマナを走らせ、アーシスのペンを動かす。
「こらぁ!!」
パブロフの怒号が響いた瞬間、にゃんぴんは窓をすり抜けて逃走──ここまでわずか二秒。
ざわめく講堂。
しかし、アーシスたち三人は相変わらず夢の中。
「お前ら、静かにしろ!!」
パブロフが黒板を叩いた瞬間、パチンッ!!──鼻ちょうちんが弾け、アーシスが飛び起きた。
「……はっ!」
混乱が頭を走る、次の瞬間──ビィィィィィ!!
試験終了のベルが鳴る。
アーシスは青ざめながら答案用紙を見つめた。
(……えっ!?)
◇ ◇ ◇
放課後の帰り道。
「どうだった、アーシス?」
アップルがそっと尋ねる。
「ん、ああ。……全問埋まってた」
アーシスはふわっと答える。
「埋まってた?」
「全部できたってことか?」
マルミィとシルティが首を傾げる。
「……ふふ。どうやら覚醒したらしい。……解答した記憶はないが、できてたんだ!これぞ悟りの境地!」
アーシスは右手の拳を突き上げた。
「……ってか、あの花火、にゃんぴんでしょ!?」
「んにゃ〜?知らないにゃ〜」
にょんぴんはしれっと空を飛ぶ。
「結局、どうなるんだろうな……試験は」
「ん〜、没収もあり得る?」
「……席を立った生徒もいないし、時間も終了間際だったから"そのまま行くか"と先生たちは話してました」
シルティ、アップル、マルミィが不安げに話す隣で、アーシスはまだ自分に酔っていた。
「天才!!」
その隣を、ナーベが静かに通り過ぎる。
「お先に……」
「ああ、じゃあなっ」
チラッと向けた視線は、にゃんぴんと交差する。
ナーベは小さく微笑んだ──その頬に、少しだけ安堵の色が浮かぶ。
そして──遥か後方から、グリーピーとナスケの慟哭がこだました。
──第一試験、終了!
(つづく)




