【197】チュチュン先生の個別指導
ある日の放課後。
オレンジ色の光が校舎の影を長く伸ばしていた。
アーシスはソフトクリームを舐めながら校庭をのんびり歩く。
その隣では、にゃんぴんがふよふよと浮かび、同じペースでついてきていた。
「ん〜……なんか忘れてる気がするんだよな」
アーシスは空を見上げる。
「なんのことにゃ?」
にゃんぴんはソフトクリームをぺろっとひと舐め。
「いやぁ、なんか……大事なこと忘れてる気がするんだよな。……急にレターが来たからさぁ。ぺろっ」
「んにゃ〜、買い物かなんかにゃ?ぺろっ」
「ん〜、別にこれといってなかったと思うなぁ。ぺろっ」
「んにゃ〜、シルティにリンゴあげ忘れてるにゃ?ぺろっ」
「それは毎日あげてる。ぺろっ」
「んにゃ〜、アップルに頼まれてたお手伝いにゃ?ぺろっ」
「それは大事なことじゃないしな。ぺろっ」
「んにゃ〜、パブロフが出した宿題にゃ?ぺろっ」
「それは最初からやるつもりないし。ぺろっ」
二人の舌の動きと会話は完全にシンクロしていた。
──そんな平和な空気を、後ろから鋭い声が切り裂く。
「おい、アーシス……」
背筋が凍った。
振り返ると、オシャレな白衣をひるがえした女教師が立っていた。
薄いサングラスの奥で、雷のような怒りの光が走る。
「あっ……これだ」
頬にクリームをつけたアーシスの顔から血の気が引く。
そこにいたのは、魔法科教師──チュチュン=アギ。
多数の魔法具をアクセサリーのように身に着けた、気だるげでスタイリッシュな女魔導士。
紺色のアシンメトリーヘアを揺らし、ポニーテールが怒りに震えていた。
「個別指導、頼んでおいてよくも放ったらかしにしたな……」
「すみませんでしたぁぁぁぁ!!!」
アーシスは秒速で地面に突っ伏す。
ニメタス村でさらに磨き上がった"土下座スキル"が火を吹いた。
◇ ◇ ◇
数分後。
チュチュンは校庭のベンチに足を組んで座り、ソフトクリームを舐めていた。
その前には、パンツ一丁で正座するアーシスの姿。
「なるほど……事情はわかった。レターなら仕方ないないな。だが……その後、完全に忘れてたのは気になるがな……。ぺろっ」
「す、すいましぇん……」
チュチュンは静かにソフトクリームを舐める。
そして──バサっと服を投げつけた。
「着ろっ。個別指導、はじめるぞ」
「……は、はい!」
◇ ◇ ◇
「それで、何を悩んでるんだ?」
「実は、前はうまくいった火の魔法が、最近うまくいかないんです。……火の勢いがぶれたり、イメージと違う大きさになったりしてしまって……」
「なるほど。……じゃあ実際に見せてみろ」
「はい」
アーシスは静かに詠唱し、掌に小さな火球を作り出す。 だが、その炎は一定せず、ゆらゆらと不安定に脈打っていた。
「くっ……やっぱりダメか」
アーシスは俯き、掌の上の炎を消す。
「……先生に言われたトレーニング、毎日やってるんだけど、何が悪いのかな」
チュチュンはパクっとソフトクリームのコーンを口に入れると、ベンチからすっと立ち上がった。
「……アーシス、お前、魔法剣が得意だったな。やってみろ」
「は、はい」
アーシスは剣を抜き、構える。
そして、空中に炎を浮かべ、剣に巻きつけ、そのままの勢いで体を回転させ、跳躍。
「おりゃあ!!」
──ズバァンッ!!
斬りつけられた校庭の木は、真っ二つに避け、そのまま黒い炭となり、煙を立ち上げて散っていった。
チュチュンのサングラスがズレる。
「…………その剣、見せてみろ」
「あ、はい」
アーシスはチュチュンにアビスグラムを見せる。
マジマジと剣を眺めた後、チェチェンはボソッと呟いた。
「……すごいな」
すると、チュチュンは右手を天へ掲げ、静かに詠唱をはじめる。
「……受けろ」
「え?」
「《アウローラ・ユピテル》!」
チュチュンの叫びと同時に、天空から一筋の雷光が落ちる。
「うわっ!!」
ズドォォン!!
地面から風圧が砂煙を撒き散らす。
その煙の向こうで、アーシスの手の剣が光をうねらせている。
ビリビリ、ビリ……。
──アビスグラムは雷撃を滑らせ、そのまま巻き込んで吸収。ビリビリと光る刃が、まるで生きているかのように脈動していた。
チュチュンの頬を汗が流れる。
「……雷を呑み込む剣、か。……こんな剣は、見たことないぞ」
「スチールフォージ工房で作ってもらったんだ」
「なるほど……伝説の鍛冶屋か。……大事にしろよ」
そう言うと、チュチュンはゆっくりと去っていった。
「……いやいやいや、俺の悩みどーなったの!?」
アーシスは去り行く背中に向けて叫んだ。
「あ、忘れてた」
◇ ◇ ◇
「ほれっ」
「わ、ども」
チュチュンはアーシスにパックジュースを放ると、自分の手にも持つパックにストローを差し込み、コーヒー牛乳をちゅ〜〜っと吸い込んだ。
空は茜色に染まりかけていた。
「お前の悩みな、気にするな」
「えっ?」
「……原因は、魔法がへぼくなったからじゃない。お前の"魔力総量"が急激に増えているからだ」
「えっ、魔力総量が?……でも、それならむしろ上手くいくはずじゃ……?」
「普通はそう思う。だが違う。以前のお前の技術と制御能力は、以前の魔力量に最適化されていた。しかし、魔力総量という『器』が急激に成長した結果、その『器』から適切な量の魔力を汲み出す技術が追いついていないんだ。だから炎の勢いがぶれてしまう。」
「そうだったんだ……。練習のしすぎで、変になっちゃったのかと思ってました」
「むしろ逆だ。これはお前が成長している証拠だ。安心しろ」
アーシスの表情が明るく変わる。
チュチュンもふっと微笑んだ。
「これからは、魔力制御の訓練も行っていく」
「はい!」
夕焼けの中、アーシスの声が校庭に響いた。
◇ ◇ ◇
帰り際。 サングラスの奥で、チュチュンは小さく呟いた。
「……いつの間にか、魔法科の上位生徒並みの魔法力か。……たいしたやつだよ」
夕日に染まるアーシスの背中が、まるで成長の証そのもののように、眩しく見えていた。
(つづく)




