【182】ネーオダンジョン《嫉妬の洞》編㉑ 〜黒紫の剣士〜
部屋の奥。
傷だらけのクラウディスが受け止めていた二本の刀──その持ち主、二体の"偽"クラウディスが、音もなく灰に崩れた。
刃を納め、ひとつ息を吐く。
「やれやれ……ようやく終わったか」
振り返ると、黒く煤けた鏡の間に風が通いはじめていた。 最下層《嫉妬の洞》──静寂。
その中央で、アーシスは立ったまま動かない。
(あの黒紫のマナは……守護者の残穢。なぜアーシスは“使える”?それに、にゃんぴんは"吸収"していた?……どういうことだ)
「やったん、だよね……?」
アップルが小さく呟く。
隣ではシルティとマルミィも、よろよろと立ち上がっていた。
次の瞬間──。
アーシスが膝から崩れ落ち、「ぐほっ……」と咳き込み、口の端から血を伝わせて、仰向けに倒れた。
「……!!」
「アーシス!?」
「はぁ、はぁ、はぁ……身体がバキバキだ……。今はこれが限界だな。レベル1ってとこか……」
そう呟くと、アーシスは片手の拳だけを高く掲げた。
「もう……ほんと、心臓に悪いんだから……」
アップルが長い息を吐く。
にゃんぴんがふわりと空を泳ぎ、アーシスの胸元へ飛んでいく。
「……にゃんぴん、大丈夫か?」
「んにゃ、平気にゃん」
「そうか……」
アーシスはそっと眼を閉じる。
柔らかな光が、猫の掌から零れ落ちる。回復がアーシスの呼吸を整えていく。
「お前ら、よくやったな」
クラウディスが戻り、レディオもとことこと側に寄ってくる。
「先生……」
アップルは、どこか儚げな笑みを浮かべた。
全員が、ボロボロだった。
クラウディスはレディオのバッグをまさぐり、ハイポーションをまとめて放る。
「ほらよ」
「わ、わっ!」
慌てて受け取り、一気に喉へ流し込む。
「今回の守護者は、ネーオの中でも上位。……正直、俺一人じゃキツかったレベルだ」
クラウディスは全員を見回しなが、ミックスジュースをすする。
「先生のおかげだよっ」
「!」
アーシスが顔を上げる。
「よっ、と」
勢いよく飛んで立ち上がると、アーシスは満面の笑みで仲間たちを見つめた。
「でも、俺たちもまた強くなったよな!」
その笑顔が空気を明るく反転させる。
仲間たちは、どこか誇らしい顔を浮かべた。
「てか、お前ら、みんな新技身につけてんじゃん!びびったぜ」
「それを言うならお前こそだ!なんだ最後のは!反則だろ!」
「へへ、俺も修行したんだぜ?な、にゃんぴん!」
「にゃ、にゃんぴんちゃんも、すごいです」
「んにゃ〜ん♪」
「わたしたち、もはや最強じゃない??」
さっきまでの死闘が嘘のように、笑いが弾けた。
遠巻きに眺めながら、クラウディスはふっと口角を上げる。
(……これが若さか)
「さあ、お前ら。討伐完了だ。帰るぞ」
◇ ◇ ◇
帰路。
崩れた鏡の回廊を抜け、湿った風が乾いた風に変わっていく。
レディオに跨ったクラウディスが、ストローを揺らしながら低く問う。
「おいアーシス……最後のあれは、なんだ?」
「ああっ……なんか、にゃんぴんの黒紫のマナに、"適性"?があるみたいでさ、それを力にできるんだ」
アーシスは軽く答える。
「でも、すんげぇ痛いからさ、にゃんぴんと特訓して、なんとかあれくらいまでは出来るようになったんだ」
苦々しく眉を寄せるアーシスに、クラウディスがボソッと呟く。
「……"黒紫の剣士"か」
「なにそれー!かっこいいじゃん!」
横から明るくアップルが割り込んでくる。
「黒紫の剣士、アーシス……いいです」
マルミィがほほを染めた。
「わ、わー、なんだよお前ら!茶化すなって!」
アーシスは照れて耳を赤くする。
そんな中、険しい表情で列の端を歩くシルティ。
クラウディスが気づき、声をかける。
「どうした」
「あ、いや……勝ちは勝ち、だが……個人的にはダメダメだった……。もっと強くならなきゃ、と……」
俯くシルティ。
「いや、お前もよくやったと思うぞ…………そうだ、二刀流なんかどうだ?お前に合いそうだ」
クラウディスの言葉に、シルティはハッと顔を上げる。
「二刀流……」
◇ ◇ ◇
「んんん、シャバの空気はうまいなーー!」
大きく伸びをしながらアーシスが叫ぶ。
ネーオダンジョン突入から約一日、討伐を完了したアーシスたちは、ようやくダンジョンから地上へと戻ってきた。
乾いた陽光。肺に入る空気がやけにうまい。
「パオオォーーン」
巨大な象獣、セフィーロが声を上げる。
クラウディスは近寄り、頬を撫でながらりんごを口に投げ込んだ。
(えっ……レディオはどこに……?)
──アップルたちにひとつの謎が残った。
「おーい、馬車も無事だぞー!」
アーシスの声が離れた道から響く。
「よし、帰るぞ」
クラウディスの一声で、エピック・リンクは馬車へ向かった。
その場に一人残り、クラウディスは木立の上に視線を上げる。
「……やっぱりお前らの仕組んだことか」
「…………よくいるのがわかったな」
鎧の擦れる音とともに、木上から声。
「ふん、そんなデカい鎧着てりゃ、アホでも気づくぞ」
クラウディスの目線の先には──ダークデンジャーの姿があった。
「こんな危険なダンジョンに学生を送り込んで、死んでもおかしくなかったぞ」
クラウディスはデンジャーを睨みつける。
「だが……お前は必ず守る。自分の命を落としてもな。そうだろ?」
鋼の仮面の隙間から、デンジャーは淡々と語りかけた。
「ちっ……」
ストローを揺らすクラウディスのまわりに、サバンナの熱風が通り過ぎ抜ける。
クラウディスは踵を返し、セフィーロの横腹をぽんと叩いた。
「行くぞ、セフィ」
象獣がゆっくりと歩き出す。
深緑の隙間に浮かぶ、赤く染まりゆく空を背に、危険度"S"のネーオダンジョン《嫉妬の洞》の攻略が、幕を下ろした。
(ネーオダンジョン《嫉妬の洞》編、完)




