【179】ネーオダンジョン《嫉妬の洞》編⑱〜脱皮〜
ネーオダンジョン《嫉妬の洞》──最下層。
最奥。
鏡で囲まれた部屋は、黒煙に包まれていた。
天井からパラパラと瓦礫が降り、崩れた鏡面が床に散乱している。
黒い煤に覆われた反射面は、もう本来の光を映さない。
倒れるアーシスを回復魔法で包むアップル、
立ち上がるマルミィに肩を貸すシルティ、
先頭に立つクラウディス──誰もが息を殺し、煙の向こうを見据えていた。
小さな風が吹き抜け、黒煙が薄れていく。
その奥に見えるのは、黒く焦げた巨体。
次の瞬間、それはバラバラに崩れ落ち、灰となって散った。
「……終わったか」
クラウディスが刀をゆるめる。
一同はほっと胸を撫で下ろす。
「まったく、とんでもない怪物だったな」
シルティが軽くため息ををこぼし、マルミィは小さく笑みを浮かべた。
──が、次の瞬間、
空間が、一閃した。
緑色の光線が、煙の中から撃ち抜かれる。
それは、音よりも速く。
「──ッ!?」
誰も反応できない。
細い光束は一直線に走り、マルミィの胸を貫いた。
「マルミィ!!」
アップルの瞳が見開かれ、視界がスローモーションになる。
血が宙を舞い、マルミィの身体がゆっくりと崩れ落ちた。
──ドサッ。
シルティの腕から零れ落ち、地面に沈む。
「くそっ……!」
クラウディスの瞳が煙の奥を射抜く。
わずかに浮かぶ影。
黒煙の帳が晴れていく。
そこに現れたのは──脱皮したグリーンアイドモンスター。
先ほどの巨体とは違う。
人間とさほど変わらない体格。しかし、腕は人のそれよりも長く、四本。
魔緑の筋肉が脈打ち、全身から濃密なマナが噴き出している。
「…………これが、本来の姿──最終形態、か」
クラウディスの低い声が響く。
怪物がにやりと笑う。
次の瞬間、眼が細く光り、光線が放たれる──その軌道は、直線ではなかった。
絡みつくように軌道を変え、空間を跳ねる。
「ちぃっ!」
クラウディスは即座に刀を抜き、光の束を弾く。
しかし、次の瞬間にはまた別の角度から光が射出される。
──まるで、鏡そのものが敵になったような反射地獄。
一歩。
クラウディスは踏み込んだ。
「──《放線連華》!」
刹那、クラウディスの姿が掻き消え、空間に残ったのは光の花弁。
十の斬線が咲き、流れ、絡み合い、連なる花輪のように剣が流れる。
そして──乱射された怪獣の光線の束が、桜吹雪のように弾け散った。
──最後の斬閃が、怪物の頬を切り裂く。
「……ちっ、さすがに手強いな」
クラウディスは刀を肩に担ぎながら、煙の中の怪物を睨む。
「マルミィ!大丈夫か!?」
シルティが抱きかかえたマルミィの顔をのぞくと、マルミィはかすかに笑い、血の気のない唇で答えた。
「だ……大丈夫です……すみません、油断を……」
アップルが駆け寄り、すぐさま膝をついてヒーリングを施す。
「もう動かないで。回復は私に任せて」
光が広がり、マルミィの胸の傷口を覆っていく。
それでも血の匂いは、空気を鋭く染めていた。
シルティは無言で立ち上がり、剣を強く握った。
黒い砂煙が舞う中、怪物はゆっくりと前へ足を進めはじめる。
隣に並び立ち、剣を構えるシルティに、クラウディスが小さく呟く。
「…………来るぞ」
怪物の眼がギラリと光る。
《フォース・グラッジ》
その呟きと共に、四本の腕がムキムキムキ、と膨張。
筋が波打ち、血管がぜる──次の瞬間、怪物は地を蹴り、大きく跳躍。
クラウディスとシルティの上部から襲いかかる。
四本腕での同時攻撃。
一撃を受け止めるも、その圧力はすさまじい。
「ぐおっ!!」 クラウディスの足元の床がひび割れる。 シルティは後方に弾かれ、鏡の壁を蹴って再び突っ込む。
だが、怪物の腕は止まらない。
残る二本が彼女に襲いかかる。
「──くっ!」
シルティは斜めに剣を構え、腕の雨を切り払う。
しかし、押し込まれ、後退する。
その隙をついてクラウディスは拳の間を縫う。
「……喰らいやがれ」
下から振り上げた鋭い一撃が、怪物の肩口を切り裂いた。
「さすが先生!」
アップルの歓声が響く。
咆哮をあげ後ろに飛んだ怪物は、沈黙の後、ギロリ、と鏡を睨む。
──すると、鏡の表面が液状に揺れ、そこから影が現れる。
「……まさか」
クラウディスの眉が動く。
鏡の中から現れたのは、もう一人のクラウディス。
無表情、無音──だが、刀を構える姿は本人そのもの。
「やれやれ、またそれかよ……」
クラウディスがため息をつくと、次の瞬間──さらにもう一人、クラウディスが鏡の中から現れた。
「なっ……!?」
シルティが息を呑む。
鏡の前、二人の"偽クラウディス"が並びに、同時に刀を構える。
「……おいおい、そんなのありかよ……」
煙の中、本物のクラウディスが冷や汗を浮かべ、ストローを揺らした。
(つづく)




