【16】寮の大掃除
冒険者育成学校の朝は早い。
太陽が昇る前から訓練が始まる日もあるが、今日は少しだけ特別だ。
「さあ、月に一度の寮・大・掃・除の日だよ〜!」
明るく張り切った声で呼びかけたのは、寮母のバルバラだった。恰幅の良い体で腕を組み、玄関ホールで生徒たちを待ち構えている。
生徒たちは朝食を終え、ぞろぞろと集合していた。制服の上にエプロンをつけたり、タオルを巻いたり、それぞれ気合が入っている。
「こういうのって、意外と疲れるのよねぇ……」
掃除道具を抱えたシルティがぼやく。お腹をさすりながら、明らかにやる気がなさそうだ。
「というか、もうお腹減ってきた……」
「まだ朝ご飯食べたばっかだろ……」
アーシスが呆れた声を出すと、横からアップルがきっぱりと告げた。
「食堂担当になった生徒には、追加のスープとパンが提供されるらしい。私はすでに申し込んである」
彼女は完璧な計画書のように、掃除当番表を指でなぞった。
「ぬかりない……!」
シルティはぐぬぬと唸りながら、自分の担当表を確認する。
「あたし、トイレ掃除ぃ……?」
「私は廊下と階段……ふつうですね」
マルミィは魔法用の手袋をはめながら、小声でつぶやいた。緊張した面持ちだが、今日はなんだか楽しそうにも見える。
「俺たちは食堂周りだな」
アーシスはアップルとともにモップと雑巾を手に取った。まだ人がまばらな食堂に入ると、ほんのりとパンの香りが残っていた。
「……掃除も訓練のうちです。油断せずに」「おう。じゃあ、手分けしていこうぜ」
そのころ——
「きゃあああああああ! 魔法が!泡があああ!」
風呂場担当のマルミィの叫びが寮中に響いた。どうやら魔法で掃除をしようとした結果、洗剤と魔力が反応して泡だらけになったようだ。
「うわっ!? なにこれ!? なんでこの部屋、泡の海なの!?」
「ご、ごめんなさいぃぃ!」
飛び込んできたシルティが滑って転び、さらに泡が舞い上がる。
その後も、掃除中に誰かがバケツの水をこぼしたり、古い魔導照明のホコリでアップルがくしゃみを連発したり、笑い声と小さな騒動が絶えなかった。。
◇ ◇ ◇
そして、すべての掃除が終わった夕方。
みんなで集まった食堂は、ぴかぴかに磨かれていた。達成感と疲労が入り混じった空気の中、寮母バルバラが嬉しそうに拍手をする。
「よくやったね! ほら、ごほうびのおやつ、しっかり食べな〜!」
テーブルに並べられた手作りのスコーンやミルクプリンに、シルティが歓喜の声を上げたのは言うまでもない。
アーシスはふと、窓の外を見上げた。夕焼けが校舎を照らし、オレンジ色の光が寮の中にも差し込んでいる。
仲間たちの笑顔と、にぎやかな声。平和な一日が、ここにはあった。
◇ ◇ ◇
——けれど、その頃。
学園の外れ、深い森の奥に一人の男が静かに足を踏み入れていた。
パブロフ。
A組の担任であり、元S級冒険者。
彼の鋭い眼差しは、苔むした岩の上に刻まれた爪痕に注がれていた。
「やはり、ここの気配はおかしい……」
近くには魔物の気配も、罠の気配もない。ただ、静かすぎる森。風がひゅうと吹き抜け、パブロフの長いマントが揺れた。
数週間前、この森に出現した“本来ここにいるはずのない”C級モンスター。
あれは偶然ではない——そう感じる直感が、彼の胸をざわつかせていた。
「……何かが動いている。生徒たちの前に、その正体を突き止めねば」
小さくつぶやき、彼はさらに森の奥へと足を踏み入れた。
夜の帳が、静かに降り始めていた——。
(つづく)




