【108】鍛錬、その先へ
朝の空気はまだ冷たさを残していた。
だが──
ドシュッ! バシュッ! ザンッ!!
校庭の外れ、森の斜面を駆け抜ける二つの影があった。 アーシスとシルティ。二人は、言葉も交わさずただひたすら走っていた。
そのスピードは尋常ではない。木の根を蹴り、枝を駆け上がり、幹から幹へと飛び移る。
「はっ、はっ、はっ……!」
飛び降りた着地の衝撃で土が跳ねる。
アーシスの上半身は裸。全身から立ち上る湯気が、朝靄の中で白く揺れていた。
シルティも、黒いタンクトップ姿で汗を流し、息を吐きながら木剣を握り締める。
二人が持つ木剣には、手首と柄に重りが巻かれていた。 通常の三倍以上の重量。それを構えたまま、繰り出す素振りは激しい。
「いち、に、さん、しっ──!」
木剣を振るたび、空気が唸り、地面から土煙が舞い上がる。
「ふっ、はぁっ、くぅっ……!」
そのまま──次の訓練へ。
「よいしょ……よっと」
アーシスの背中にちょこんと座るアップルは、魔導書を手にしていた。その隣では、マルミィがシルティの背に乗り、淡々とスクロールの整理をしている。
「……行くよ」
「おうっ!」
ドン!
二人が同時に地面へ腕をつけ、腕立て伏せを始めた。
ぎしぎしっ……ぎしぎしっ……
負荷のかかった身体は悲鳴を上げるが、それでも彼らは止めなかった。
「ひゃー……本当にやるのね、このメニュー……」
アップルが苦笑する。
「む……もう少し角度を変えてみようかな」
マルミィが器用に体勢をずらす。ぐらりと揺れるシルティの肩。
「う、うわぁ……っ!」
よろけたシルティがアーシスにぶつかり、全員が潰れるように倒れ込む。
「どわぁ!!」
そして──
「じゃあ、次行く、よ」
マルミィが宣言すると、無数の魔弾がアーシスとシルティへと放たれた。
火の玉、氷の刃、風の矢、雷の針──!
「っらああぁ!」
アーシスは前転しながらそれをかわす。
シルティは最小限の動きで魔弾を紙一重で見切っていく。
──そして、打ち合い。
重りをつけたまま、木剣が激しくぶつかり合う。
「はぁっ!」「うおぉっ!」
振るたびに筋繊維がきしみ、全身から汗が飛び散る。息も絶え絶えになりながらも、二人は剣を止めない。
──その様子を、登校中の生徒たちは茫然と見つめていた。
「……す、すごいでござる……」
ナスケが思わず感嘆の声を漏らす。
「あ、あれくらい……べ、別に俺もできるけどな……」
グリーピーは震える声で強がっている。
ダルウィンも校門の前で足を止め、目を細めていた。
「……だいぶ差をつけられたようだな」
その横顔に、静かな焦りが滲んでいる。
「……あなたも、鍛錬増やす気でしょ?」
ナーベがぼそりと声をかけると、ダルウィンはきっぱりと答えた。
「……当然だ!!」
◇ ◇ ◇
打ち合いが終わると──、アーシスとシルティは、全身の力が抜けたように校庭に倒れ込んだ。
「っはぁ……はぁ……」
大の字になった二人の胸が、荒く上下している。
その横にしゃがんだアップルが、ヒーリング魔法をかけていく。
「《ヒール・ウィンド》……」
癒しの風が二人の身体を包み、回復の光が差し込む。
しばらくの沈黙の後、アーシスが言った。
「……よっしゃ……もういっちょ、いくか」
「……おう」
気力は戻っていた。
二人の目にはまだ、火が灯っている。
◇ ◇ ◇
その様子を、屋上から見下ろす影がひとつ。
パブロフが腕を組み、遠くの景色を見ていた。
「……あいつら、また強くなるな」
その隣でガンドールが豪快に笑った。
「はっはっは、スターリーの良い影響が出とるようだな!」
遠く、まだ朱を残した朝の光の中で、アーシスは心の中で叫んでいた。
(もっと、もっと──もっと強くなりたい!)
その叫びが、剣筋に、走りに、汗に刻まれていく。
今日もまた、誰よりも熱い一日が始まっていた。
(つづく)




