【102】クラウディーハート
午後の陽が傾き始めた頃、アーシスはギルド支部の石畳のロビーを歩いていた。
パブロフの頼みで届け物を託され、ウィンドホルムのギルド支部に来ていたのだ。
受付のカウンターで、見知った顔──マーメルが笑顔で迎える。
「アーシスくん。ありがとう、先生の届け物、助かるよ」
「いえ、大したことじゃ──」
気軽な会話を交わしていたその時、ギルドの扉が勢いよく開かれた。
「戻ったぞー!」
数人の冒険者パーティがどやどやと入ってくる。リーダー格の男は甲高い声で叫び、肩にかけたモンスターの爪を誇らしげに掲げている。
「おかえりなさい。早かったですね」
マーメルがカウンターを離れ、素材の査定に向かう。
「聞いてくれよ、マーメルちゃん!こいつさ、ボス戦でひぃ〜って泣きそうになってさ!」
「ば、ばか! あれは……さ、作戦だ!」
「どのへんが作戦なんだよ!『母ちゃん助けて』って言ってただろーが!」
どっと笑いが起こり、軽口が飛び交う。
その雰囲気は明るく、力強く、眩しいほどに“本物の冒険者”だった。
素材を机に広げ、マーメルが次々と換金していく。
「よっしゃ、今夜は打ち上げだ! 飲むぞ〜!」
「当然だー!」
どこか満ち足りた、達成感に包まれた声。
その後ろ姿が、アーシスの胸の奥に、小さな棘のように残った。
──あれが、冒険者か。
冒険者たちが去っていったあと、マーメルが戻ってきて微笑む。
「ごめんね、アーシスくん。急にバタバタしちゃって」
「……いえ」
短く答えただけで、アーシスは踵を返し、ギルドを出て行った。
マーメルが少し不安そうに見送る。
「……アーシスくん?」
◇ ◇ ◇
次の日の昼。
冒険者育成学校の屋上。
アーシスは手すりにもたれ、遠くの空を見つめていた。
柔らかな風が髪を揺らし、にゃんぴんが隣で丸くなっている。けれど、いつものような活気はなかった。
(……本当に、このままでいいのか)
あの日、旅立つ決意をしたはずだった。
世界を救うとか、冒険者として生きるとか、立派な目標を掲げたつもりだった。
でも──今の自分は、どうだ?
学園生活に馴染み、仲間と笑い合い、日々の訓練に励む。
それはきっと、幸せなことのはずなのに。
「……」
沈黙を破るように、足音が近づいてきた。
「なんか、今日はいつもと違うな……」
シルティの声。
「……何かあったの?」
アップルとマルミィも後ろに立っていた。
アーシスは、ぽつりと語り始めた。
「……昨日、ギルドで冒険者たちを見たんだ。あいつら、俺たちよりずっと年上でさ。ボスを倒して、楽しそうに打ち上げに行ってた。俺、……ちょっと羨ましかったんだ」
「………」
「いつの間にか、俺……ここでの生活が楽しくなってて。それって……なんか違うんじゃないかって」
「……アーシスくんは──なぜ、冒険者になろうと思ったんですか?」
静かに、マルミィが尋ねた。
アーシスは少し間を置いてから口を開いた。
「……俺の両親、物心つく前に出て行ったんだ。じいちゃんは、そのことはあまり話したがらない。でも、どこかで生きてるって、そう感じるんだ」
目を伏せたその横顔に、ふと陰が差す。
「……“世界を救うため”とか、言ってたけど。本当は、自分のルーツを知りたくて、冒険者になろうとしてるんだ……」
風が、静かに吹いた。
その沈黙を破ったのは、やっぱり彼女だった。
「……お前は……嫌なのか!? 私たちといるのが」
シルティが顔を真っ赤にして叫んだ。
「べ、別に、そういうわけじゃ──」
「わ、私は……楽しいです」
マルミィが恥ずかしそうに、でもはっきりと言った。
「ったく、うじうじ悩んでるの、アーシスには似合わないよ!」
アップルが腰に手を当てて笑う。
「今を精一杯生きる! その先に未来があるんじゃない?」
アーシスの肩が、わずかに揺れる。
「……お前、前に言ったよな? “焦る必要はない”って」
シルティが一歩、前に出た。
「その言葉、そのまま返す!!」
「そーだよ! 今しかできない、ここでしか得られない経験があるんだから!」
「わ、私は……エピック・リンクのみんなで、もっと色々経験したい……」
アーシスは、みんなの顔をゆっくり見回す。 そして、目を閉じ、深く息を吸い──微笑んだ。
「……たしかに、そうだよな。……ったく、俺らしくないぜ」
にゃんぴんが「にゃ〜」と鳴いて寄り添ってきた。
「今は、ここでしか出来ないことを全力で楽しむ! だな」
「「「うん!」」」
放課後の空に、少しだけ雲が晴れていく。
アーシスの胸にあった迷いは、今、仲間の声で吹き飛ばされていた。
(つづき)




