表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/10

第9話

 王女の宮殿は、王城の西方に位置していた。王宮と比べれば規模は控えめだが、それがかえって周囲の静けさと品の良さを際立たせている。白壁は丁寧に磨かれ、庭木は剪定されすぎず、自然のままの優美さを保っていた。

 セレーネによれば、王女はこの地に政務と研究の拠点を置き、臣下への干渉も必要最小限に留めているという。


 俺たちが通されたのは、宮殿の中心にある謁見の間だった。最低限の灯と、窓から差し込む月明かりが静謐さをきわ立たせている。

 室内にいたのは、王女ただ一人。侍従の一人もいなかったが、その場に満ちていたのは、否応なく背筋を正させるような空気だった。


「殿下、件の旅人をお連れいたしました」

「……失礼いたします」

 アレシアが一歩進み、静かに頭を垂れた。

「北方よりまいりました、アレシア・フォルヴァルトと申します。旅の途中、騎士セレーネ様の導きにより、こちらに参上いたしました」

 俺も慌てて頭を下げる。

「タカトといいます。アレシアに同行しております。自分は…、ただの旅人です」

 声がやけに響いた。我ながら頼りない自己紹介だ。

 王女は玉座に座らず、立ったまま、ゆったりとこちらを見ていた。年齢は俺たちとそう変わらないように見えるが、その目の奥にあるものは、もっと大人びて、重たかった。


「アレシア・フォルヴァルト。面白い魔法を使うと、セレーネから報告を受けた」

 王女の声は乾いていたが、王族らしい想像したような高圧的なものではなかった。上に立つものが下のものたちに注ぐ愛というのがあるのかもしれない。

「私の陣営に加わる意思があるか。それを聞こう」

 ド直球だ。アレシアはどう答えるか。

 アレシアはわずかに目を伏せると、静かに言葉を選んだ。

「身に余る光栄に存じます。しかし、私も目的を持ち旅をするもの。不躾ではございますが、もし私の探す魔術書を下賜いただけるのでしたら、戦いにもご協力できればと存知します」

 王女は眉ひとつ動かさず、それを受け止める。

「魔術書か、どんなものか?」

「魔法使いウーリツの、記述法についての写本です。王国の書庫にはあるのではないか、と耳にしたことがあるのですが…」

「なるほど、随分と珍しい名を挙げる。魔術書というよりは古文書だな。この宮殿の地下には、幾ばくかの魔術文書を収めた書庫がある。見せてやろう」


 言い終えると同時に、王女は謁見の間を出ていき、セレーネがその後についていく。完全に『ついてこい』ってやつだ。王女ってこういうものなのか。俺とアレシアは顔を見合わせ、慌ててその背を追った。 

 宮殿の階段を下りるうちに、空気はゆるやかに冷たく変わっていった。

 魔力封印の施された扉を抜けた先に広がっていたのは、石造りの重厚な書庫だった。天井は高く、壁面はすべて本で覆われている。中心には長机が一列に並べられ、巻物や書冊が整然と並んでいた。

「ここがその書庫。私の所蔵する魔法書はこれで全てだ。お前の探しものがあるかどうか、見てみるといい」

 王女は脇に立って、アレシアの様子をじっと観察していた。いや、観察というより、試していると言った方が近いかもしれない。

 

 アレシアはすでに、小さく呟いていた。魔法の詠唱だ。空間に魔素が揺らぎ、光の粒がふわりと書棚に沿って舞い上がる。まるで本そのものの記憶を呼び出すかのような、幻想的な魔法だ。

「……いくつか、近い魔法書はありました。けれど……違います。私の探しているものではありません」

 アレシアの声に、落胆の色はなかった。こうなることは、最初からわかっていたような。

「協力の件は申し訳ございませんが辞退いたします。ただし、王子陣営に加担する意志はありません。中立を貫くと、ここに誓います」

 しん、と沈黙が落ちた。王女の顔には、どこか思案の色が浮かんでいた。

 そして、ゆっくりとその口が開く。


「そうか。では、最後に一つだけーー」

 その声は、今までよりわずかに低く、そして鋭かった。

「そなたの故郷では、最近奇妙な異変が起きているのではないか?その謎を追って、はるばる王都までやってきた、違うか?」

 アレシアは一瞬言い淀んだようだったが、きっぱりと言った。

「いいえ、北のことなど、もう遠い昔の記憶です」

 その表情は、どこか寂しげで、でも、絶対に踏み込ませないような壁を感じた。


 静かな石の回廊を、王女と3人が歩く。誰も口を開かず、ただ靴音だけが響いていた。

 でも、俺の頭の中はぐるぐると忙しい。王女の質問も、アレシアの態度も、ランジェから告げられた伏線も、妙に引っかかっていた。そして、どうにも抑えきれなくなった。

「あの……一つ、提案があります」

 声が出た瞬間、三人の足が止まった。

 アレシアが驚いたようにこちらを見る。王女の視線は動かない。

「話してみろ」

 声色の気迫にやられて、鳥肌が立っている。

「恐れながら、聞いてきた話、見てきた景色から察するに、このまま順当に儀式を行なったとすれば、王女殿下の勝利は望みが薄いと存じます。」


「そうだな」

 王女はあっさりと肯定する。その事実に動じる様子はなかった。

「しかし、仮に民が王子殿下を後継者と認められないような論調が生まれれば、どうでしょうか?儀式そのものを行うに値しない状況を作ることができるなら…」

「そなたが言いたいのは、情報戦で勝つ、ということか」

「はい、新聞を使って、世論を書き換えます」

 正確には、物語の力を使うのだ。

 この世界と、俺のいた世界との一番の違いは、情報の流通だ。ネットもSNSもないこの世界では、情報は新聞と、人の口で伝わるだけだ。まだまだ人々は、情報の洪水にさらされていない。王子を貶めるストーリーを伝搬させて、一気に世論を傾けるのだ。

「何か策があるのか?そなたにそれができるという確証は」


「物語を作ります。王子殿下が、この国を裏切っているという物語です。それは事実ではなくても構いません。人々が大切にしているものを、汚しているという物語。そしてそれを裏付けるような幾つかの証拠を用意します。」

 緊張しているはずだったが、熱に浮かされているのか、言葉が止まらなかった。

「私は自らの記憶を取り戻すため、アレシアの旅に同行しています。ほとんどのことは忘れてしまいましたが、ただ数少ない覚えていることは、人に物語を伝えることを、生業にしていたのです」

 まあこれは嘘じゃない。ゲーム配信も、情報の編集、物語を作っているようなものだ。

 王女は足を止めたまま、アレシアも何も言わない。

 なんだこの時間。長い。怖い。撤回したい気持ちが湧き上がってくる。

 でも。


「……興味深いな」

 王女が呟く。

「並の者なら、口にするだけで躊躇う提案だ。気品のかけらもない策だからな。だが民意というのは、時に鋼の剣より強いものだ」

 彼女は振り返り、俺のほうに歩み寄った。

 その足音が、石の廊下に響き渡る。

「そなたの策が、この戦をどう動かすのか…見せてもらおうか」

 

 これは賞賛ではない。ただ冷徹に、貪欲に活路を見出さんとする王女の意思が伝わってくる。

「ありがとうございます、やれるだけやってみます」

 正直に言えば、この世界で伝える力がどこまで通用するのか、自分でも確かめたくなっていた。自分の力など何も役には立たないと思ってきたけれど、ひとつあるとすれば配信者としての経験であるはずだ。

 王女は俺たちを客人として迎え入れるようにセレーネに指示をして、自室へと向かっていった。まるで、すでに次の戦略を練り始めているような背中だった。

 

 アレシアがぽつりと呟いた。

「すごいですね、タカトさん」

「いや、もう気が気じゃなかったですけどね…」

「でも、面倒ごとになったら置いてっちゃいますからね。」

 そんなこと言わないで、と思ったが正論だ。アレシアには関係がない。

「アレシア殿、そう言わずに、タカト殿の策にどうかご協力ください。もしも王女陣営が勝利を収めれば、あなた方は王の賓客として、あらゆる便宜が計られることは間違いがないのですから」

 アレシアは少しだけ思案した。

「その言葉、忘れないでくださいね。」

 状況は芳しくない。だが、この世界にやってきて、一番充実した心持ちだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ