第7話
宿に戻った頃には、すっかり夜が更けていた。月明かりが部屋の中まで差し込み、灯がなくてもお互いの姿がよく見える。
王位継承の儀式の生々しい話で、眠気はまだまだやってきそうになかった。
「改めて、王位継承の儀式のこと、聞いてもいいですか?」
「はい、もちろん。今のうちに整理しておきましょうか」
アレシアはテーブルに紙を広げると、ブツブツと何かを唱えた。すると小さな光の粒が地図のように浮かび上がる。光の粒が形を変えながら、さながらアニメーションのように王位継承の儀式をわかりやすく示してくれる。
「継承の儀式は、五対五の決闘形式。王位を争う候補者、それぞれが“家臣二名”と“傭兵二名”を選び、戦わせる形式です。勝ち抜き戦ですから、圧倒的に強ければそれで勝てる場合もありますね。」
剣道の試合みたいだ。
「戦争とは随分違うわけですよね。」
「はい。儀式ですからね。それでも命を賭けた戦いに変わりはありません。」
候補者は王子マキシマと王女テレーゼ。マキシマは武芸は今ひとつだが、強大な騎士団と諜報機関を傘下に持ち、政治に強い。一方でテレーゼは、誠実な気質で自らも剣の腕は折り紙付きだが、清濁併せ呑めない生真面目さは王の器でないとも言われている。ただし、筆頭騎士の腕前は王国一と言われていた。
「傭兵はどう選ばれるんですか…?」
「各陣営とも、決まった募集期間の間に、総出で探索を行います。力ある者ならば、身分に関係なく採用されます。今も行われているはずですよ。」
「つまり、スカウト合戦ですね。立身出世を狙う戦士たちにとってはチャンスってわけだ」
「そうです。そして同時に、対立陣営の妨害工作も当然行われます。」
「さっき酒場で聞いた、王女の筆頭騎士がやられた話っていうのは…」
「はい、あれは王子の抱える諜報機関の仕事でしょうね、表だって皆口にはしませんが。」
なるほど、どこの世界でも正々堂々ルール通りには行かないということだ。だが、少し可能性が高まった。この継承の儀式、壊せるかもしれない。
どちらかが勝つかの話ではなく、「儀式そのものを瓦解させる」こと。この儀式が破滅を招く伏線ならば、そのものを台無しにさせてしまえば、何か活路が見えてくるかもしれない。
「……アレシアさん。この儀式って、本当に成立すると思いますか?」
「成立というのは?」
「たとえば、王子が不正な手段を使って勝ったとして。それが国民に知られたら、王家の正統性ってやつが揺らぎませんか?」
アレシアは黙って俺を見つめた。一拍おいて、ゆっくりと語った。
「人々は歴史ある儀式を信頼していますから、そうそう反旗を翻したりはしないでしょうね。でも、おっしゃる通り、過去、儀式は失敗したこともあります。」
アレシアには頭の中を見透かされているような気がした。
「もちろん、危険なことはしませんよ。ただーー」
その時、窓の外から甲高い叫び声が聞こえた。
「近いですね、夜盗でしょうか。」
アレシアはすでにローブに手を伸ばしている、助けにいく気満々だ。
「ま、待ってください。流石に危ないですって……!」
「困っている人がいるなら、見過ごせませんよ、それに」
アレシアは、得意げな顔で言った。
「それなりに腕には覚えがありますから」
ちょっと嬉しそうですらある。
声が聞こえた裏通りへ向かうと、三人の怪しい男たちが、女性を取り囲んでいた。一人がこちらに気がつき、距離を詰めてくる。しかし足取りは重く、手負いのようだった。
「おい……悪いようにはしない、持ってる薬を全部渡せ。断るってんなら、ちょっと荒っぽくなるぞ。」
心拍が上がりっぱなしの俺の隣で、アレシアは毅然としている。
「あいにく、薬は持ち合わせていません。あちらの方を解放していただけますか」
「お前、命を縮めたな…」
男は懐から短刀を取り出すと、こちらに切先を向けて近づいてくる。
その時、アレシアが小声で何かを呟く。瞬間、強烈な閃光と金属音が響きわたった。
「うわ!なんだ!」
男たちと俺の情けない声がシンクロする。視界が真っ白になり、何も見えない。咄嗟に手であたりを探ると、アレシアらしき手がとってくれた。
「大丈夫ですから、少しじっとしていてください!」
それから目がなれるまで、どれくらいかかっただろうか。うっすらと見えてきた景色は、3人の横たわる男たちの姿だった。
「言った通りでしょう、これくらいはやりますよ。」
感嘆の声は言葉にならなかった。少なくともこの頼もしいの同行者といれば、生存確率は飛躍的に上がりそうだ。
アレシアが女性を介抱していると、暗がりから重い鉄のぶつかる音が近づいてきた。
しばらくすると、白銀の鎧が闇の中から姿を現した。
「王国騎士団、第二近衛兵団だ。そのものたちを追ってきた。」
凛とした声と夜の街に響く。先頭に立つのは長身の女性。銀髪を束ね、静かな威圧感を放っている。
十数名の騎士たちが、一瞬で男たちの周囲を囲む。身のこなし、動きの精度、何もかもが別格だった。男たちは抵抗する間もなく、手際よく拘束されていく。
「彼らは騎士団殺しの疑いがかかっているのです。あなたの魔法の光が我々を導きました、感謝します。」
「いえいえ、私たちは……ただ困っている人がいたようなので」
「それでも、咄嗟に動ける人はそういませんよ」
彼女は名を、セレーネと名乗った。王女直轄の近衛騎士団の第三席、つまり今加熱する王位継承の渦中の人物ということだ。
「時にお嬢さん、あなたの魔法は珍しいものですね。ご存じかと思いますが、今我々は傭兵を広く募っております。我らの陣営に組みしていただける方は、たとえ戦いの意思がなくともありがたいのです。共に王都へ同道してもらえませんか?」
その言葉に、アレシアは一拍思考した。
「私は北の国から参りました、アレシアです。不躾ですが、見返りは何がありましょうか?」
「もちろん金銭でも、仕事の融通でも、ある程度はお答えできるかと」
「王女殿下へのお目通りも?」
「はい、一定の力量を示した者に限ってですが。貴女なら、申し分ないとお見受けします。」
アレシアは少し考え、一団に一瞥して俺に耳打ちした。
「タカトさん……私たち、王都には向かう予定でしたよね?」
「え、まあ……そうですけど」
「なら、王家の中枢に近づけるこの機会は貴重ですよ。王女に謁見できれば、あなたの“探し人”の手がかりも、得られるかもしれませんね。」
――なるほど。それはもっともらしい話だ。そして、俺の真の目的にも合致している。
アレシアの表情には何の揺らぎもなく、ただ、静かな熱意が宿っていた。
「アレシア殿、この度は誠にありがとうございました。我々は今夜、街外れで野営し、夜明けに出立します。合流いただけるならば、その時に。」
セレーネはこちらに一礼し、騎士たちと共に夜の闇へと消えていった。
アレシアの横顔は、少し紅潮しているようだった。俺にはアレシアの狙いはわからない。しかし、今は前に進むべきだと言われているような気がした。