第6話
朝、宿の外に出ると、冷たい空気が肌を撫でた。夜露に濡れた土の匂いは、元いた世界とそれほど変わらない気がした。
宿で譲ってもらった古いケープだけでは、風邪をひくのも時間の問題だろう。次の街では、借金してでも服を揃える必要がありそうだ。
「目、覚めました? そろそろ出ましょうか。」
アレシアが、肩にかけた小さな荷を整えながら言った。俺も慌てて荷物を担ぎ直す。
二人で村を後にする。ここからしばらくは街もなく、野営しながら進んでいくらしい。正直、不安しかない。でもこのあたりは野生動物も少なく、治安も比較的良いそうだ。……たぶん。
無理やりにでも冒険への期待で、気持ちを奮い立たせてみた。
「足を引っ張らないように頑張ります!」
出てきたのは随分頼りないセリフだったが、アレシアは少し笑ってくれた。
朝の光はまだ淡く、空気の中には、かすかな白さが残っていた。
半里ほど歩いた、その時だった。
背後から、振動とともに轟音が近づいてくる。
振り向くと、数十はいるだろうか、武装した騎兵たちが、埃を巻き上げながら道を駆け抜けていく。あっという間に俺たちを追い抜き、遥か彼方に走り去った。
「びっくりした……あれは?」
「王都に向かっているんでしょうね。」
アレシアは淡々と答えたが、その瞳には、かすかな緊張が宿っているように見えた。
「俺たちも王都行きですけど……大丈夫なんですかね?」
「ええ、一般市民には影響ありませんよ。お土産話の一つでもできるかもしれませんね。」
アレシアは微笑んだが、どうにもいい予感はしなかった。
……ていうか、その「お土産話」、血まみれにならない?
それから二日間、俺たちは野営を重ねた。
冷たい風の吹く丘で、薄い毛布にくるまって眠る夜。アレシアの魔法で灯される炎のぬくもりが、唯一の救いだった。
こんなに過酷な環境で寝たのは初めてだけど、アレシアは平然としている。
弱音を吐く気も失せたというか、正直、尊敬しかない。
村を出て三日目。ようやく人の気配が濃い街にたどり着いた。
道沿いに店が並び、馬車の音と人の喧噪が交錯している。
広場では果物を売る声、鍛冶屋の金槌の音が絶え間なく響いていた。
「今夜はここで休みましょうか。服も調達しましょうね。」
アレシアの提案に、俺は深くうなずいた。正直、野宿続きで体はバキバキだ。
宿に荷を置き、少しだけ街をぶらつくことにした。
賑やかな一角に、小さな酒場を見つけた。外からは、笑い声と酒の匂いが漂ってくる。
「お酒飲むんですか? 意外ですね。」
「いいえ、私はお酒はダメですが、情報収集はここが一番なんですよ。」
扉を開けた瞬間、熱気と強いアルコールの匂いがぶわっと吹き出してきた。
情報収集って言うより、完全に酔っ払いの巣窟なんだけど……
店の奥、カウンター席に腰掛ける。飲み物はアレシアに任せたが、どうやら炭酸水のようなものもあるらしい。ありがたや。
すると、隣の客の大声が響く。
「なあ、お前はどっちだと思う?」
「そりゃ王女だろ!筆頭家臣の騎士、めちゃくちゃ強いらしいぜ!」
「どうだろうな。王子は最強の傭兵を全国から集めてるって話だぞ!」
……なんだこのRPGみたいな会話は。
話題は、どうやら王都で行われる王位継承の儀式らしかった。
昨年亡くなった先王には、二人の子どもがいる。
王子マキシマと王女テレーゼ。どちらも王位を望み、伝統にのっとって儀式で決着をつけることになったという。
「王の候補者と、その家臣二人、傭兵二人による五対五の決闘です。この戦いに勝った者が、次代の王となる。それが決まりです。」
アレシアが説明してくれたそのとき、隣から酔っ払いが割り込んできた。
「それでな、敗けた方は一族郎党まとめて処刑って決まってんだ。そんなことも知らねえとは、あんたら相当な田舎もんか?」
「そうそう。俺たちはどっちが勝つかに賭けて楽しむのが仕事よ。ただまぁ……今回のは、あんまり接戦にはならなそうだけどな。」
いや、ちょっと待って。
負けたら家族全員処刑って、重すぎない?まずは話し合いから始められませんか?
そんな話を聞いていると、ポケットの中のスマホが震えた。
来た。嫌な予感しかしない通知。
『王位継承の儀式――
古より続く、敗者を許さぬ鉄の掟。
これも何かの伏線みたいですよ。お気をつけて。
――ランジェ』
……やっぱり。
この儀式が破滅の引き金になる。そういうことか。
「この儀式……本当に大丈夫なんですかね? 戦争になったり、しません?」
この聞き方なら自然なはず。怪しまれるのは避けたい。
アレシアは少し考え、それから静かに首を振った。
「この儀式は、争いを防ぐために存在しているんです。」
意外な答えだった。
「この国では、王位を巡って何度も戦争が起きました。そのたびに、多くの命が失われた。だからこそ、争いの根源をこの形で断つようになったんです。」
「でも、さすがに負けたら処刑って……重すぎませんか?」
「……そうですね。でも、その“甘さ”が遥かに多くの市民を巻き込む戦争を招いてきたんです。そう考えれば、ずっとマシだとは思いませんか?」
言葉に詰まる。
「これが、この国の平和を保つための、苦い知恵なんです。みんな、痛いほどわかっているんですよ。」
それでも、この方法はやっぱりおかしいと、俺の常識が叫んでいる。
一族ごと消すことでしか争いを防げない世界――
そんなもの、正しいと言えるはずがない。
しかもこれは伏線だ。
なら、何かが起きる。それを防がなきゃいけない。
「アレシアさん、もうちょっと詳しく教えてもらえませんか?」
「ええ? そんなに面白い話でもないですけど……」
すると、隣の酔っ払いも身を乗り出してきた。
「おお、兄ちゃん! 俺も教えてやるよ! 事態は刻一刻と変わってるからな!」
どうやらタダで教えてくれる気はないらしい。
俺たちは一杯だけ酒を奢って、情報を聞き出すことにした。
時間を空けてしまいましたが、投稿続けていこうと思いますのでよろしくお願いします!