第3話
喉が渇いていた。 頭も重い。でもまず先に感じたのは、背中の下のゴツゴツした感触だった。
(……ん? 地面?)
起き上がると、そこは雑草の茂る林の中だった。木漏れ日が揺れ、どこからか鳥の鳴き声が聞こえる。見知らぬ風景、でも空気はやけに静かで、きれいだった。
「……マジで異世界、ってやつか?」
ぼそりとつぶやいたそのとき、スマホが震えた。
ディスプレイに表示されたのは、短い一文のメッセージ。
『これを読めているということは、転移はうまくいったはずです。では、健闘を祈ってます。――ランジェ』
見覚えのある名前に、思わず眉をひそめる。それだけ?と言いたくなるが、文字通り“見守っている”だけの立場ってことなのだろう。
スマホゲームを立ち上げてみたが、どうやら電波はないらしい。時計も表示がエラーになっている。スマホをたよりに旅をするというわけにもいかなそうだ。
林を抜けた先に、いくつかの家がぽつぽつと見えた。石造りで屋根は苔むしている。どれも何十年、いや百年は経っていそうな造りだ。それでも、煙突からは細く煙が上がり、ちゃんと暮らしの気配があった。
家の前を掃く老人に恐る恐る、声をかけてみた。
「すみません、ここって、なんていう村なんですか?」
「村?」
老婆はほうきを止めてこちらを見た。目が合った。よし、ちゃんと反応してくれている。言葉も通じている、助かった。
「ええと、旅の方かね?」
「はい、ちょっと道に迷ってしまって」
「あらまあ、それはお気の毒に……。あれ? でも……」
言葉に詰まり、老婆は首をひねった。
「ごめんなさいね、お名前、なんと仰いましたっけ?」
「いや、まだ名乗ってないです」
「あら、そうだったかしら、もの覚えがすっかり悪くってね……」
思わず苦笑しながらも、「よくあることですよ」とやんわり返してその場を後にする。
別の老人にも声をかけるが、反応はどれも似たようなものだった。
「最近ねえ、ご飯食べたかどうかも分からなくなっちゃって。食べてなかったら困るから、二回食べちゃうのよ。太っちゃってねえ」
そんなに困ったようでもない話ぶりだが。
村の中心にある広場に腰を下ろし、ひと息つく。小さな噴水の音だけが静かに響いている。村に着いてから2時間くらいは経っているはずだが、有益な情報は何一つ得られなかった。この村には5人のお年寄りが住んでいて、皆慎ましく暮らしている、そんな程度の話だ。ランジェに送ってみたメッセージも、やっぱり何の反応もなかった。
「あなた、喉乾いてるんじゃない?」
「あっ、いえ、さっき……」
「はいはい、遠慮しないの。冷たいのでいい? ぬるいのもあるけど」
(ぬるいのも選べるのか!)
この老婆に話しかけられるのはもう4回目だ。申し訳ないけどお腹がタプタプになってきた。俺の顔ってそんなに覚えにくいのか?いやいや、おばあちゃんだからしかたないのか。
何かが、おかしい。でもおかしいのはこの村じゃなくて、俺の方なのかもしれない。気づけば、スマホを何度も開いては閉じていた。誰も、返事をくれなかった。
途方にくれていると、後ろから声をかけられた。
「大丈夫ですか?なにかお困りみたいですけど・・・。」
振り返ると、女性がひとり木陰の道に立っていた。空気が澄んでいるせいか、彼女の姿だけが輪郭を強く持って見えた。
静かに風に揺れる薄青のローブ、足元まで届く長いスカート。その手には、革装の分厚い書物が抱えられている。
年の頃は自分とあまり変わらないだろうか。けれどその目は、まるで何かを見透かすような落ち着きがあり、光を湛えていた。
「……ああ。まあ、なんか全然話が噛み合わなくて。俺の顔が地味すぎるのかな」
冗談めかして言ってみたが、彼女は首を小さく振った。
「そういうことじゃないと思いますけど……この村の人たちは、そういうところがあるんですよ」
その言い方は、何かふくみがあったが、そんな細かいことを気に留めるよりも、話の通じそうな、しかも安全そうな人間に出会えたことが何より嬉しかった。ニヤけそうになってしまう。
「お名前、聞いてもいいですか?」
「え? あ、俺はタカトです。漢字は……あ、そんなのないか。」
「……? タカトさんですね。私は、アレシアです。」
そう言って微笑む彼女の横顔が、眩しく見えた。
今週はもう一回更新したいと思っております。