第10話
王都の外れ、石畳から一本入った路地裏に、目立たぬ宿がぽつんと建っていた。外観はくたびれていたが、王女陣営が確保した“安全な”場所だという。俺とアレシアはその一室をあてがわれていた。
宮殿に部屋を用意することは容易だったが、宮殿に出入りしながら、王子陣営の目を欺くことは至難の業だ。狙われてしまえば、いくらアレシアがいると言っても身に危険が及ぶ。
それに、本音で言えばセレーネや王女陣営に作戦をチェックされ続けるのもプレッシャーに感じる部分もあった。活動資金も用意してもらい、ある程度の自由もある、この状況は望ましい形だ。
とにかく、今は作戦を形にしなきゃならない。
「新聞を、すり替えるのですか?」
宿の一角、控えめな灯りのもとで、アレシアが俺の手元のメモを覗きこむ。
「そうです。儀式の日の朝、王都中の新聞が一斉に“別のもの”に差し替わっていたら―。それが真実かどうかなんて、誰も確かめる暇なんてありません。人って、最初に見た情報を信じがちですからね」
SNSもないこの世界で、どう拡散するか考えたけど、一番流通しているメディアである新聞を活用するのが、やっぱり一番手っ取り早いだろう。
「印刷の手配と、発行元、販売網の把握が必要になりますね」
「そこは、セレーネさんに頼んであります。王都で流通している新聞の発行者リスト、明日には届くはずです」
アレシアは腕を組んで、しばらく黙り込んだ。
「けれど、ただ王子を貶める記事を載せても……意味は薄いと思います」
「どうしてですか?」
「この国の人々にとって、王位継承の儀式は信仰に近いものなんです。
誰が正しいかではなく、誰が勝ったかで正義が決まります。
結果が出たあとなら、どんな告発も“負け犬の遠吠え”としてしか受け取られません」
「つまり、勝つ前に民意を動かさないと意味がないってことですね」
「そうです。それと、王子を貶める情報というのは、たとえば不倫とか、不当な暴力とか、犯罪を指揮したとか……そういうことをイメージしていますか?」
ほとんど考えが読まれている。
「まあ、そのあたりですよね…」
「うーん…やはりそれくらいでは民意は揺らがないと思います。むしろ、儀式を汚そうとしているとみなされて、こちらに矛が向くかもしれません」
「……詰んでますね」
机に突っ伏しそうになる。けど、諦めることができる状況じゃない。
「じゃあ、儀式そのものを崩すにはどうしたらいいですかね。改めて、儀式のルールを確認してもいいですか?」
アレシアは頷いて、小さな革の手帳を取り出す。短い詠唱によって、手帳に文字が浮かび上がってきた。
「王家の血を引く正当な後継者二人以上によって儀式は執り行われます。五対五の勝ち抜き戦の決闘によって勝敗が決定します。それぞれの構成は、王子または王女、それに騎士が二名、傭兵が二名」
「セレーネさんもその一人ですね」
アレシアは頷き、続けた。
「メンバーは儀式の三日前の正午までに申請し、それ以降の変更はできません。当日までに欠員が出た場合でも、補充はできません」
「王子か王女が欠けたら?」
「その場合は、その時点で不戦敗です」
「で、敗者は……」
「決まりどおり、処刑されることになります」
「…重いですね」
いや、笑いごとじゃない。これは冗談抜きで命がかかってる。
王女はもちろん、セレーネも処刑されるということだ。
アレシアの手が紙の端をなぞった。
「儀式が公正に行われるよう、王国法務院と教皇院から成る管理委員が設けられています」
「抜け道を見つけるのは優しくはないですね」
壁は高すぎる。しかも岩盤を素手で登らされるようなものだ。
でも、ひとつだけ引っかかった。
「王子の正当性、血統の話ですけど、もしそれを揺るがせたら、儀式自体が成り立たなくなりますよね?」
アレシアは視線を落とし、少しだけ間を置いた。
「もしそれができるなら、一番効果的だと思います。でも、王家の血筋に関する記録は、王国書記局によって改竄不能な形で記録されています。何世代にもわたって積み重ねられていて、その正しさを疑う人なんて……まずいないでしょうね」
「…だったら、その記録自体を見られなくするしかないってことですよね」
「……」
答えは出ないまま、夜が更けていく。先にあくびをしたのはアレシアだった。
アレシアを部屋まで送り、おやすみと挨拶を交わしたあとに、アレシアは言った。
「あなたの物語が、人々の記憶を塗り替えることができれば……いいんですけどね」
それがどれほど困難なことかは、どんどん身に染みてきている。
眠れない夜になりそうだ。
***
翌朝、まだ空が薄明るい頃。部屋の扉が、控えめに叩かれた。ノックの音で、同時に寝落ちしていたことに気づいた。
扉を開けるとアレシアが立っていた。
「宿に手紙が届いたって、セレーネさんからですね。署名は無いですが」
封を開けてみると、様々な新聞の情報が一覧になった紙に、メモ書きがされていた。
「農業新聞を発行するレオネルという男を頼るべし」
「農業新聞ですか…どんな人なんですかね」
「かつて王国の書記官だった、とあります。追放され名を変えている、と」
「どうしてそんな人が…?」
「さあ…でも、その経歴が、今の私たちには都合がいいものかもしれませんね」
王家の裏側を知っているかもしれない人物ということか。
何か知っている、ということなのだろうか。
「会ってみる価値は、ありそうですね」
期待しすぎた顔をしていたのかもしれない。アレシアが、くすっと微笑んだ。
「時間はありませんね、ではまずは朝ごはんをいただきましょう」
食堂からパンの良い香りが漂っていた。




