冬の夜から夏の朝
魔法使いだけが集まって暮らす、美しく立派な国があった。王は当代最も偉大な魔法使いで、空に浮かぶお城から国を見下ろし、魔法使いたちが自分の魔法を磨く様子を見守っていた。魔法使いたちを励ましたい時は空に虹の橋をかけ、祝福の証には流れ星をどっさりと降らせた。魔法使いたちがわがまま過ぎると感じた時は雨雲を吹き飛ばし、大地を干上がらせて罰した。
魔法で守られたこの国は、どこの国からも攻められることがない。穀物や野菜や家畜を魔法で育てるため、食卓はいつも豊かである。この国で魔法使いたちが作る、宝石や織物、銀細工は、幸運を呼ぶと大評判で、外国では高値で取引された。いつも魔法の祭りがどこかしこで開かれ、魅惑の魔法ダンスや音楽が披露されている。
この国の素晴らしい噂は世界中に広まっていた。あちこちの国から腕に覚えのある魔法使いたちが続々と集まって、そのまま住み着いた。空は魔法使いのあげる花火や偽物の鳥であふれかえり、どこを歩いても魔法のかぐわしい匂いがした。あちこちに魔法使いの家が建ち、とうとう大地のどこにも新しい家をたてる場所がなくなると、雲の中や海の上に家を作り始めた。
王は、魔法使いの数が多すぎることに、頭を悩ませていた。空を飛ぶ魔法使い同士の衝突事故の件数は年々増加し、それが元で大規模な争いが起きることもしばしばだった。また、仕事を得られない魔法使いも多く、自分の魔法で他人にちょっかいをかけ、あちこちから苦情が届いていた。
そこで、ある時王は、夜空に星くずで文字を書き、国中におふれを出した。
『そなたたちがこの国に住むにふさわしい魔法使いか、試すこととしよう。夏の花だけを集めた花束を、城に持ってくること! それができぬ者は、どこへなりと、出ていくがいい』
さあ、魔法使いたちは大騒ぎ。季節は真冬で、夏の花など見つかるはずもない。だが、そこが魔法使いの腕の見せどころ。
ある魔法使いは、草花を咲かせるのが得意だったので、夏の花束を簡単にこしらえた。
ある魔法使いは、遠い南国へひとっ走りし、一年中咲く夏の花を摘んできた。
ある魔法使いは、小さな太陽を家の中に作り出し、花を育てた。
ある魔法使いは、夏の花の絵を紙に描き、魔法で現実にした。
ある魔法使いは、時を駆け、夏の季節に帰り、花を集めた。
ある魔法使いは、冬の花を夏の花に変身させた。
魔法の国の片隅に、たった一つしか魔法を使えない、貧しい魔法使いがいた。彼はこの魔法の国で生まれ育ったが、優秀な魔法使いたちの中ではどうしてもぱっとせず、こそこそと人目を避けて暮らしていた。立派な魔法使いが王から授かるような、国を外敵から守ったり新しい魔法を開発したりといった華やかな仕事にはつけなかった。魔法で野菜や穀物を作ったり、素晴らしい建物を建てることもできなかった。
王のおふれが出てからというもの、貧しい魔法使いは毎日頭を抱え、悩んでいた。夏の花で花束を作るやり方など思いつかなかった。何人かの魔法使いがそうしたように、たくさんの金貨を払って誰かに花束を用意してもらうこともできない。このままでは、ずっと生きてきた故郷を追い出されてしまうだろう。
「一体、俺はどうしたらいいんだ。夏の花なぞ手に入れられるあてもない。だが、故郷を追い出されるなんて、まっぴらごめんだ」
魔法の国の外では、魔法使いは迫害されて、時には殺されることもあるという専らの噂だった。
「俺の魔法で、何ができるというのだ。こんな__何の役にも立たない魔法で__」
彼の魔法は、自分の心のうちがすっかり見えることだった。
といっても、誰かに自分の心が見られてしまうとか、誰かの考えていることが分かるという意味ではない。ただ、自分の心の中の景色が、うっかり目をつぶると、本当の世界が幻に見えてしまうほど鮮明に__浮かび上がってくるというだけのことだった。
彼が住んでいるのは荒れ果てた沼地の真ん中の崩れかかった小屋だったが、心の中ではなだらかな丘陵が広がり、赤いレンガの屋根のしっかりとした家が彼を待っていた。家の中に入れば、火の入った暖炉や、六人がけのテーブル、居心地の良い揺り椅子があるが、触れることはできない。あくまで心の中の景色であり、本物ではないからだ。
ある時は雪が降り、ある時は蒸し暑く、ある時は涼しい秋風が吹いた。丘の向こうにはまた別の丘がいくつもある。そのまた向こうに、遠く青い山が見える。
絵画よりも鮮明に、現実よりも生き生きと、音楽よりもあたたかく。そんな風に心の中に世界が広がっているのは、彼だけらしい。他の魔法使いに尋ねても、同じことができる者はいないという。だが、いくら彼だけの魔法であっても、いや、彼だけの魔法だからこそ、誰かの役に立ったことはなかった。
ひときわ強い吹雪の夜、魔法使いはこんな夢を見た。
偉大なる魔法使いである国王が、天馬に乗って貧しい魔法使いの元へやってきた。そして、ひれ伏す魔法使いに向かってこう言った。
「夏の花束は、見つけたか?」
「いいえ、国王陛下。まだ見つかりません」
「急ぐがいい。そなた以外の魔法使いは、もう皆花束を見せにきたぞ。諦めた者は、とっくに国を出て行った。そなたも、どちらかの道を早く選ぶのだ」
あと三日、時間をやろう、と国王は言った。
「三日のうちに、花束を手に入れられなければ、そなたを国の外へ吹き飛ばしてしまおうぞ」
そこで魔法使いははっと目を覚ました。
王が魔法で夢を見せたのだと、すぐに分かった。王は常に民を見守っているのだ。このまま魔法使いが、花束を手に入れずにここで暮らし続けることなど、できないだろう。
魔法使いは、寝間着を着たままで、目をそっと閉じた。心の中の世界でも、雪が降っていた。丘は一面真っ白で、誰の足跡も見当たらない。
「このままぼんやりしていても……王様に追い出されるだけだ」
彼のことを助けてくれる友はいない。家族も親戚もない。彼にあるのは、広く寂しい、心の中の世界のみだ。
丘を越えた、その先に何があるのか、彼は知らない。だが他でもない彼自身の心の中である。彼の強い願い通り、夏の花が咲き乱れる楽園が広がっているかもしれないと思った。
魔法使いは普段着に着替え、靴を履いた。目を閉じると、たちまち心の中の丘に降り立ち、新雪が乱れた。
しんと静まりかえった世界で、魔法使いは最初の一歩を踏み出した。地面はたしかにそこにあり、彼の足跡が点々と後ろに残った。丘を上り下りしているうちに、何千回と見たレンガの家は遠ざかって、次第に見えなくなった。いっそう寂しい気持ちになりながら、魔法使いはあるいた。彼の魔法が、自身を救ってくれることだけを信じて、行ったことのない方向へ。
長い時間歩いても、雪が降り止むことはない。冬だ。夏の花が育つことはできない、冷たい世界だった。
魔法使いが疲れてきたころ、ちょうど一軒の家が見えてきた。扉を開けると、質素なベッドと古いかまどがある。魔法使いはベッドに倒れ込み、体の力を抜いた。だが、彼には恐れていることがある。
この世界の中で眠ってしまったら、現実の、沼地にある自分の家に戻ってしまうのではないか? そして、王様や他の魔法使いが彼を責めようと待ち構えていたら?
彼は、長い人生の中で、自分の魔法の仕組みをよく学んでおかなかったことを後悔した。そのうち猛烈な眠気がきて、彼はぐっすり眠り込んでしまう。
目を覚ました時、彼は心の中の、小さな家の中にちゃんといた。夢も見ずぐっすり眠っていたおかげか、体も軽い。自然と心も明るくなった。
「これは、良い傾向だぞ」
彼はそうひとりごとを言った。
「俺の魔法は、つまらない景色をはっきり見れるだけじゃなかったんだ」
そして、珍しく口笛を吹きながら窓を開けた。
開けてみて、彼はがっかりした。窓の外で、まだ雪が降っていたからだ。ここはやっぱり冬なのだ。どうやら、まだ旅を続ける必要があるらしい。
「だが、まあいいさ。いつか、太陽が照り映え、花が咲き乱れる夏の国に辿り着くはずだ」
彼は、意気揚々と家を出て、また歩き始めた。
雪、雪、雪、雪。どこまで行っても、魔法使いの心の中は冬である。心の中を歩き続けるうちに、いつしか本当に冬が終わり、夏が来るほどの時が経っていた。だが、彼の周りに景色はうんざりするほど変わらない。雪はほとんど毎日降ったが、時折太陽が弱々しく彼をあたためた。
雪を掘り起こすと、冬の花がそっと顔をのぞかせていた。だが、王は夏の花をと言ったのだ。彼は次第に焦り始めた。すると吹雪になり、荒れ狂う雪風が彼をひざまずかせた。
とうとう魔法使いは吹雪の中で、宙に向かって叫んだ。
「どうして! どうして、こんなに歩いたのに、まだ冬のままなんだ! ここは俺の心の中ではないのか、俺の思うままになるのではないのか!? 一体どうして!」
いっそのこと、元の現実に帰ったらどうかと何度も思った。だが、王が告げた三日という期限は、とっくの昔に過ぎてしまっている。
「俺は……もう、故郷には戻れない! こんな魔法のせいで、何もかも棒に振った!」
彼がむせび泣く声は、風にかき消され、彼自身にも聞こえない。顔は、みぞれや雪ですっかり汚れてしまった。彼は地面の雪に顔を伏せ、力尽きて動かなくなった。
やわらかく、あたたかな何かが、彼の顔や手をくすぐっていた。顔を動かすと、唇が朝露で濡れた。ぶんぶんと震動するような音が近づいては遠ざかっていった。魔法使いは、目をつむったまま、うーんと呻いた。
体が妙に暑く、彼はもぞもぞと上着を脱いだ。そして体を起こし、目を開いて驚いた。
彼の周りは雪の白ではなく、命の緑で埋め尽くされている。さっきから彼の周りを飛び回っていたのは、熊ん蜂だった。彼は空を見上げ、太陽の光の強さに目まいを起こした。
魔法使いは立ち上がり、草の強い香りを鼻いっぱいに吸い込んだ。上着を脱いでもまだ暑く、腕まくりをして、靴を放り捨てた。裸足でなだらかな丘を駆け、下り坂を転がり落ちた。
魔法使いが探していた夏の花は、丘の至る所に咲いていた。彼は喜んで花を摘んで回り、小さな花束をこしらえた。
花束を持って、魔法の国に帰ろうとしたが、どんなに目を閉じたり開けたりしても、今立っている世界以外のどこにも行くことはできない。魔法使いはそのうち諦めて、地面に腰を降ろした。空を飛んでいる鳥や虫を眺めていると、自然と顔に笑みが浮かんだ。
それからというもの、彼は広い広いこの世界で、のんびりと暮らした。そのうち、あちこちから人が集まってきて、この魔法使いを王と呼んだ。
魔法使いは、もともと自分の心の中にあったこの世界が、いつでも自分の思うままになるわけではないと理解していた。だから決しておごらず、自信のない者をいじめることもなかった。