5 諦めの悪い男の襲来
「きい!?いるのか?」
玄関を開けて、弟の名前を叫ぶ椿は足元に異変を感じて「ひい!」と後ずさった。
「おい、きいは?」
すぐ後ろから声がして振り向くと、良太が息を切らして立っている。
「追いかけてきたのか?その怪我で・・・」
「いいから、早く中に」
「これ、見ろよ・・・」
「・・・何だこれ!?」
椿に言われて玄関を覗いた良太は驚きの声を上げた。
いつも靴は靴箱に仕舞う習慣がある月代家には見慣れない光景で、玄関に十足以上の靴が敷き詰められているのだ!
もう確実になかに居る・・・。
良太は唖然としていたが、きれいに揃えられたそれを見て椿は本当に少しだけ安堵した。
居間に二人で押し入ると、桔梗がこたつテーブルにちょこんと腰掛けていた。
桔梗の前には落ち着かない様子で胡坐をかいている大男が一人、ヤマだ。
その横にぎゅうぎゅう詰めで取り巻きたちが立っている。
可哀そうに、うちは狭いから本当に窮屈そうだ。
「人の家で何してる?」
何故か椿ではなく良太が声を荒げた。
「ああ?お前さっきの・・・しつこい奴だな」
「しつこいのはお前だろ!家にまで押しかけて図々しい」
「何でてめえにそんなこと言われないといけないんだよ!」
椿が一言も発することもなく、良太とヤマで言い争いが始まった。
良太は昔から正義感が強かった。
そういえばよく桔梗のピンチに駆けつけてくれていた。
青筋を立ててヤマが立ち上がった瞬間、桔梗が口を開いた。
「ヤマ君、乱暴はいけんよ」
「お、おう!分かってるよ」
椿と良太は呆れて言葉が出なかった。
教師も手を焼く不良が桔梗の一言で猫のようにおとなしくなるなんて。
「つうちゃん、ヤマ君は話があって訪ねてきたんやって」
机上には恐らく桔梗が用意したであろうお茶と饅頭が置かれていた。
『誰であろうとおもてなしの心を忘れたらあかんで』
梅からいつも言われていることをちゃんと守っている弟の姿に椿は涙が出そうになった。
流石に横に立っている人数分は用意が難しかったのか、買いだめしているヤクルトが並んでいた。
桔梗以外誰も手をつけていない。
遠慮しているのだろうが、多分椿だけは分かった。
折角用意したのに、と桔梗が少し寂しそうな顔をしていることに・・・。
「話って何だ?」
皆の目がヤマの方に向かう。
「二つある。一つは、詫びだ。先月の件、悪気はなかったとは言え、申し訳なかった」
ヤマが手を出したわけでもないのに、きちんと謝る姿勢に椿は少し驚いた。
「ばあちゃんに投げ飛ばされて全身が痛くて謝りに来れなかったんだって」
桔梗が説明をしてくれた。
「あの日は創立記念日だったのに問題を起こして、反省文と課外活動も課せられていたんです・・・」
取り巻きの一人が口を出して、ヤマが「余計なことは言わなくていい!」と制した。
本当に創立記念日だったのか・・・。
椿は完全に疑ってかかっていた自分の姿勢を少し反省した。
そして、ヤマを含めて、取り巻きたちにかすり傷が多いのは梅が成敗したときの傷だと合点がいった。
「謝罪は受け取ったよ。二つ目は?」
「・・・えっと」
ヤマの視線は椿から桔梗の方へと移った。
取り巻きたちが固唾をのむなか、ヤマが顔を赤らめてどこに仕舞っていたのか「桔梗」の花束を取り出す。
綺麗な紫色の花が突然目の前に現れ、人間の方の桔梗はキョトンとしている。
「あの日、俺にハンカチを差し出してくれた瞬間から、俺は、俺の心は・・・」
ヤマの凛々しい顔は、真っ赤に染まり、今にもドロドロに溶けてしまいそうだ。
取り巻きたちは見ていられないのか皆が視線を斜め下にずらしている。
「俺の心は桔梗だけのものだ・・・。あの日からずっと大好きだ!」
二つ目は告白ということか・・・。
しかし、その言葉は真剣そのもので、誰が聞いても揶揄っているとは思えなかった。
椿はこれまでのヤマの行動を思い返してみた。
桔梗にちょっかいを出していたのは、好きだったからという至極単純な理由だったのか・・・。
あまりにも幼稚に思えたが、そういえばヤマは桔梗と同じ中学生だ。
突然、ごく自然なことのように感じてきた。
椿は桔梗が男からも恋愛対象として見られることを変に思ったりはしなかったので、その真剣さに少しだけ心打たれた。
「ただ顔だけで近寄ってきているかと思っていたら・・・」
良太が苦々しく吐き捨てた。
「顔も好きだ!」
「・・・」
ここまで潔いともう何も言えない。
ヤマは桔梗に桔梗の花束を差し出した。
「ありがとう」
それをそっと受け取った桔梗の姿は何とも美しく、その場にいる者たちは息を呑んだ。
「じゃ、じゃあ俺と結婚してくれるか?」
「は!?」
良太が眉間に皺を寄せて「色々すっ飛ばしすぎだろ!」と怒鳴った。
椿と取り巻きたちはそれ以前の問題だろうと思いながら、ひとまず桔梗の返事を待った。
「ごめん」
きっぱりと断られ、ヤマの顔に陰りが見えた。
「俺のこと、嫌いか?」
何て女々しいんだ。
何だかヤマが不憫になってきた。
「嫌いじゃないよ。だけど、そういうのはよく分からん・・・」
「・・・お前たちはまだ中学生だ。ひとまず友人関係でいいんじゃないか」
今にも泣きそうなヤマに椿がそう言葉を落とした後、いきなり轟音が響いた。
「つうちゃん!きいくん!」
梅がボストンバッグを脇に抱えて居間に滑り込んできたのだ。
「ひい・・・!あのばあさんだ!」
「な、何で・・・町内会の旅行に行ってるはずだぞ!」
取り巻きたちは慌てふためいている。
梅の勢いと図体に押されて皆が一斉に散らばって家から出って行ってしまった。
熱気に包まれていた部屋が一気に涼しくなるのを感じた。
残ったのは呆気に取られている良太と、ヤマだけだ。
良太が梅のこの姿を見るのは初めてだ。
ポカンとした後「え、誰・・・梅ばあちゃんなのか?」と困惑している。
ヤマはというとバツが悪そうな顔を覗かせたものの、慌てることもなく桔梗の煎れてくれた茶をやっと一杯飲んだ。
すぐにせき込んだのは桔梗が茶を煎れるのが下手くそだからだ。
かなり苦いはずなのに、「桔梗、美味しいよ」と言う姿は少し男前に思う。
「クソガキが・・・。また桔梗にちょっかいかけとるんか!」
梅はどすの利いた声でヤマに問いかけた。
ヤマは流石不良というか、恐れることなく「ちょっかいじゃなく、告白しに来たんです」と言ってのけた。
「さっきのは求婚だったじゃないか・・・」
良太が呆れたように呟いた。
「それがちょっかいやって言ってるんや!」
祖母は性別、年齢云々はどうでもそさようで、とにかくヤマ自身を嫌っているようだ。
「また投げられたいんか?」
「おばあ様が投げたいならいくらでも。でも、僕はどんな体型であれ女性に暴力は振るいません。何より桔梗のおばあ様だ」
「・・・帰りな」
祖母の有無を言わさない一言で、やっとヤマは立ち上がる。
そして、桔梗の方を一瞥すると「またな」と言って去っていった。
梅はすぐに桔梗に駆け寄った。
「桔梗、何もされとらん?」
「うん、大丈夫。お茶飲んでただけ」
「・・・ばあちゃん、旅行は?」
椿がやっと口を開いて、問いかける。
「今日の夜こっちに着く予定だったんやけど、何や急に胸騒ぎがしてな・・・。走って帰って来たんや」
「は、走って!?」
「どこから?」と尋ねる良太に、椿は頭がクラクラするのを我慢して「川越・・・」と答えた。
良太は声も出ないようで、青ざめた顔で椿を見やった。
四十キロはある距離を三時間で走り切るなんて・・・。
タクシーなりバスだってある時間だろうに・・・。
椿は段々と怖くなってきた。
超人の域に達しようとしている、いや既に達している祖母のこのパワーは一体何なのだろうか!
「怪我大丈夫か?」
良太を送る道中、険しい顔をしたままの幼馴染に椿は声を掛けた。
「ああ・・・」
昔から親交がある彼も、梅の変わりように少しショックを受けたのか、明らかにいつもより反応が鈍い。
「良太、いつもありがとうな」
「別に、目に付くから・・・」
良太はその後、いつもの調子に戻った。
梅のことを追及されたらどうしようと焦っていた椿は、幼馴染が何も聞いてこないのを見て心のなかで安堵した。