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4 変わる日常

「ばあちゃんのあれ、戻らへんな」

「そやな・・・」


朝ごはんを食べながら、兄弟は顔を見合わせた。


あの日以来、日常が変わりつつある。


例えば、スーパーに買い物に行くときだ。

今まで買うことができなかった丸まる一個のかぼちゃも今では躊躇なくカゴに入れられるようになった。

梅の手によって、少しの苦労もなくかぼちゃをたたき割ることができるからだ。


通学もランニングのついでという理由で、梅に駅まで送ってもらうようになった。

当然一緒に走ることは無理で、孫たちを改札まで見送った後、梅は毎日五キロほど走っているという。

運動が苦手な椿と桔梗はその話を聞いて唖然とした。

しかし、五時起きの日々を卒業した今、朝食の時間に桔梗が眠りこけることもなくなった。


そして、今、椿と桔梗はバターを塗ったトーストを口一杯に頬張りながら、居間の隅で腹筋を続けている梅を眺めている。


「・・・」


もう十分は経とうしていて、やっと立ち上がったと思ったら今度はスクワットを始めた。


「ふんっふんっ・・・」


筋トレに疎い椿でも分かる。

あのスクワットは特に足と尻にかなりの負荷がかかるものだ・・・!


上級者向けのメニューも涼しい顔でこなしていく梅の姿に最初こそ慣れなかったが、

ひと月も経てばテレビを見るよりも興味深く観察できるようになった。


どうしてこうなったのかは分からないが、とにかく梅が元気でいるならどんな姿でも自分たちの祖母に変わりはなく、兄弟はムキムキの梅を既に受け入れていた。


「ばあちゃん、寒ないの?」


季節は冬だ。

こたつを出して自分たちだけ暖まっているのが申し訳なくなる。


「ふんっ・・・大丈夫や!」

「ばあちゃん、僕手伝おうか」

「・・・きいくん、ご飯食べたんか?」

「うん」

「じゃあ、おいで」


桔梗は目を輝かせながら席を立った。そして、梅と一緒に庭に出る。


「ほな、いくで」

「うん」

「おりゃああああああああ!!」

「うわ~!」


桔梗を肩車した梅が猛烈な勢いでスクワットを始める。

椿はこの光景にも慣れ始めた。


居間でこれをやると桔梗の頭が天井にぶつかって割れてしまうので、居間から続く庭に出る必要がある。

近所迷惑にならない程度に声を出しながら、梅は今日もトレーニングに勤しむ。


桔梗は両親の記憶がないだろうから、こうやって誰かに肩車してもらうこと自体が新鮮で、嬉しいのだろう。

祖母もこんなに大きくなった孫を喜ばせることが出来て、凛々しい顔つきのなかに嬉しさが滲んでいるのがよく分かる。


今までと違う形ではあるが平和な日々に変わりはない。


しかし、椿はふとした瞬間に、このままでいいのだろうかと考えてしまう。


梅はトレーニングをいつまで続けるつもりだろうか。

何度か聞いてみたが、いつもはぐらかされてしまう。


きっと自分たちのためなのだろうが・・・。


椿は桔梗のことも梅のことも、どちらも大切だからこそ、何が正しいのか分からなくなっていた。


あの日、椿から階段に落ちた経緯を聞いた梅は家を飛び出した。


筋骨隆々に覚醒した姿で・・・。


本当は面倒ごとをこれ以上大きくさせたくなかったから、階段から落ちたのも自分の不注意だと説明していたのに・・・。


「不注意で二人一緒に転がって落ちるかいな!」と一喝されてしまった。

ぐうの音もでなかった。


結局、椿は梅の形相に真実を告げるほかなかった。


そして、翌日からヤマたちの集団と遭遇することもなく、あっという間にひと月が経ったのだった。


梅は何も言わなかったが、翌日椿の通う学校にまでその噂は広がっていた・・・。


「不良の巣窟、鳳中学の騒動知ってる?」

「騒動って、いつものことだろ?」

「それが!女が一人で乗り込んだんだってよ!」

「嘘だあ!」

「本当だって。ケンシロウみたいに筋肉ムキムキ!あのヤマと取り巻きたちをちぎって投げ倒したらしいぞ」

「まじか。すげえ・・・」


椿はクラスメイトが話す内容を、少し離れた席で聞き耳を立てていた。

額には汗をだらだらと掻きながら・・・。


どうやら、最初不良たちの巣窟と化している鳳中学ではその訪問者に慌てることもなかったと言う。

しかし、数十人で挑んでも拳一つ入れられない。

投げ飛ばされて、校庭には屍たちが起きが上がることも出来ない。


ヤマだけは最後まで立ち上がり続けたというが、遂には膝から崩れ落ちた・・・。


「それで、その女ケンシロウは何が目的だったんだ?」

「何でも、うちの中等部の月代桔梗に近づくなって釘を刺したらしい・・・」


椿は読書をしている振りをしていが、桔梗の名前が出て思い切り机上に突っ伏した!

クラスメイトは案の定椿の席にやってきた・・・。


「聞いたぞ椿、お前の弟大丈夫か?」

「あ、ああ」

「ケンシロウみたいな女の人は知り合い?」


興味津々に聞かれても本当のことを言えるわけもなく「知らない」と苦笑いで応対した。


「そうか、まあとにかくよかったな」

「これで、不良も大人しくなるだろう」

「・・・ああ」


クラスメイトは素直で良い奴が多くて、椿は心のなかで合掌した。

それに、本当にそうなのだ。

現在、とても平和だ。

これは梅が体を張って桔梗を守ってくれたおかげだ。


桔梗が通う学校には下心をもって彼に近寄る勇気のある者はごく僅かだ。

無意識のうちに桔梗から振られて成すすべなく終えているようで、今のところ心配はなさそうだ。


椿は、取り巻きを含めて気配すらないヤマの安否が少しだけ気になった。

もしかして祖母がどこかに葬ってしまったのだろうか・・・。


『まあ、いいか・・・』


椿はすまないと思いながらもすぐに考えるのを放棄した。

久方ぶりに訪れた穏やかな毎日を噛みしめたかった。


しかして、少し梅に頼りすぎていることは気がかりであった。

椿はまた眉間に皺を寄せて思いを巡らせるのだった・・・。



その日の下校中、椿は同じ制服を着た男が道に倒れていのに気が付いた。


この辺りは治安が良いとは言えないから、そこまで驚く光景ではなかったが、それでも不良のいない進学校の生徒だ。

何か揉め事に巻き込まれたのだろうかと心配になって近づいた。


すると、見知った顔であることに気づいて声を上げた。


「良太!?」


良太は椿の幼馴染だ。

本来爽やかな容姿をしているのだが、ボコボコにされたようで、口からは血が滲んでいた。


「一体どうしたんだ・・・?」


抱き起こすと痛そうに顔を歪める。


良太とは小さいころから学校もずっと同じで、友人というより親戚のような感覚が椿にはあった。

同じ高校に通っているがクラスが違うため、たまに一緒に昼飯を食べて話をしている。

部活は剣道部に入っていて、放課後は道場に居るはずだが・・・。


「弟はどうした・・・?」


良太が声を振り絞って椿に問いかけた。


「きい?もう家に帰ってると思うけど・・・」


そこまで言って胸がざわりとした。


「何かあったのか?」

「あの不良・・・ヤマとさっき出くわしたんだ」

「え?」

「金魚の糞を引き連れて、椿の家の方に向かって行った」


これまでどれだけ付き纏おうと家まで押しかけて来たことはなかったのに、どういうことだ。


「すまない。止めようとしたら、このザマだ」


情けないよな、と呟くから「何人もいたんだろ?無理するなよ」とため息交じりに諭した。


「とにかく、早く家に帰れ」

「わかった・・・」


椿は家に向かって走る途中で、梅が不在にしていることを思い出して立ち止まった。

昨日から、町内会の旅行に行っているのだ!


急遽決まった日程だったが、仲良しの桜さんも参加するということで椿たちが背中を押した。

まさか、こんなことになるとは・・・。


電話をしようか迷ったが、梅に頼り切っている現状を変えるきっかけになるかもしれない・・・。

そう決意し、震える手を握りしめて家へと急いだ。

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