3 祖母覚醒する
目覚めた先には真っ白な空間が広がっていた。
椿はその白さに目が眩み、本当に一瞬、死んでしまったのかなと思った。
しかし、すぐに知った声が聞こえてきて、我に返る。
「つうちゃん!」
桔梗だ・・・。
声のする方を向きたかったが、身体中が痛くてすぐには難しかった。
「・・・ここ、どこ?」
「病院や」
掠れた声で問うと、梅の声が返って来た。
二人の声を聞いて安心したのも束の間、ようやく事態を把握した。
「迷惑かけたな。ごめん」
すると、桔梗の震える声が続いて聞こえた。
「何で謝るん?僕のせいやのに・・・」
桔梗は今どんな顔をしているのだろう。
普段、感情表現が乏しい弟だが、悲しみに満ちた声など聞きたくなかった。
程なくして、医者が来た。
骨に異常はないそうで、打撲の痛みは飲み薬と湿布で一週間ほどすれば良くなるだろうと言われた。
大事にならなくて良かったとホッとしたのも束の間、脳の検査があるため一泊入院すると知ってぐったり項垂れる。
椿はここに残ると言う桔梗と梅を何とか説得して家に帰した。
一人になったらどっと疲れが襲ってきた。
椿は先刻、終始桔梗が自分を責めるように落ち込んでいたのが気になったが、それ以上思考する気力もなくいつの間にか眠りに落ちていた。
*
翌日、検査を終えた椿は病院の外に梅の姿を見て駆け寄った。
「ばあちゃん!」
「つうちゃん、走ったらあかんやろ」
「もう大丈夫」
「タクシー待たせてるんや。一緒に帰ろか」
タクシーに乗るなんて初めてかもしれない。
椿は梅が迎えに来てくれた嬉しさと、お金を使わせてしまったことの罪悪感が入り混じって、どんな顔をしていいか分からなかった。
「検査はどうやった?」
「あ、うん。脳も異常なかったで」
まだ身体に痛みはあったが、椿は問題なさげに振舞った。
「心配ないよ。来てくれてありがとう」
梅は椿の言葉にホッとしたように「良かった」と呟いた。
一日振りに家に戻った椿は、玄関に桔梗の帽子がないのを見て安堵した。
「今日はちゃんとかぶって行ったんだな・・・」
桔梗の友人、康太が今朝は一緒に登校してくれたと聞いた。
「つうちゃん、疲れたやろ。部屋で休み」
「うん」
自室に戻ろうとした丁度そのとき、桔梗が帰宅した。
「お、おかえり」
「・・・」
帽子を取って、こちらをじっと見つめる弟に椿は少し困惑した。
「心配かけたな。きいは大丈夫か?」
そう声を掛けたら、突然桔梗の大きな目からポロポロと涙が零れ落ちた。
「ど、どうしたんや!?」
「僕のせいや・・・」
弟の嗚咽交じりに泣く姿を椿は初めて見た。
椿はオロオロとしながらも、桔梗の茶色がかったフワフワの髪を何度か撫でる。
しかし、何度撫でても桔梗は椿の胸に顔を埋めたままだ。
椿はどんな言葉を掛けても意味がないような気がしたが、「桔梗のせいやない」と繰り返すことしかできなかった。
その間、梅がどんな顔をしているのか確認することもできなかった・・・。
ようやく、涙を拭った桔梗はこんなことを漏らした。
「僕はもう外に出ん」
「は!?」
桔梗にも自分の容姿が人と違うという自覚くらいはあると思っていたが、これまでそれについて言及することはなかった。
だから、まさかこんなことを言い出すとは思わなかった。
「僕が出んかったら何も起きん」
「きい・・・」
俯きながら、諦めたようにそんなことを言う弟の姿など見たくない。
椿はとんでもなく悲しい気持ちになった。
ということは、祖母はそれ以上だったのかもしれない・・・。
「学校もあるし、そんなわけに行かんやろ?」
「行かん」
普段温厚な弟だが、変に頑固になる面も持ち合わせていたことを思い出して、椿は大きく息をついた。
「じゃあ、どうするんや」
「eスポーツの選手になる」
「きいはゲームもやったことないのに何言っとるんや・・・」
「顔を隠して生きていけるなら、何でもいい」
「きい・・・」
「うっ・・・!」
突然、兄弟の阿呆な会話を黙って聞いていた梅が心臓を掴んで蹲った。
苦しそうなうめき声に椿と桔梗は驚いた。
「ばあちゃん!?」
二人で駆け寄ると、梅は顔を下に向けたまま兄弟を片手で制した。
「来るんやない!うっ・・・」
「ばあちゃん、どうしたん?持病の・・・あれ、持病なんてあったっけ?」
「ないと思うけど、心臓発作やったらいけん!救急車・・・」
「き、きい!」
梅は苦しそうに桔梗の名前を呼んだ。
「ばあちゃん、喋らん方がええ!」
「そんなこと、言う、んやない・・・!」
「え?」
「そんな、悲しいこと・・・言うんやない!」
兄弟がハッとしたのと同時に、梅はまた悲痛な叫び声を上げた。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
「!?」
徐々に叫び声から痛々しさが薄れていき、まるで勇敢な戦士の雄叫びのように聞こえてきた。
「ば、ばあちゃん!?」
雄叫びを上げるなか、強い光が祖母から放たれて兄弟は思わず目を瞑った。
かなり時間が経ったようにも思えたけど、実際はほんの数秒のことだったかもしれない。
光が消えて、椿はやっと目を開けた。
桔梗もそっと瞼を開けたのを確認して、二人で梅の姿を探す。
居間を煙のようなものが包むなか、悠然と立っているのは・・・。
「・・・」
驚いで言葉が出なかった。
少しして、桔梗が「誰?」と呟いた。
兄弟の目の前には背中が曲がった小さな『ばあちゃん』はおらず、ボディビルダーのような、筋骨隆々、ムキムキな女性?が仁王立ちしていたのだ。
天井に頭が届くほどの身長で、椿と桔梗は首が痛くなるくらいに見上げた先で、その人と目が合った。
「ばあちゃん・・・」
逞しい身体に大きく張りのある筋肉をつけながらも、その優しい目を見れば二人には分かる。
祖母の梅だ・・・。
「そうや!あんたらのばあちゃんや!」
よく知っているか細い声ではなく、少し野太い意思が強そうな声が返って来た。
「何で・・・どうして、こうなったんや・・・」
椿が困惑するなか、険しい声が落ちてきた。
「・・・誰や?」
「え?」
「ちょっかいかけてきたんは誰やあああ!?」