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07 異能令嬢の悪夢のような現実

『君は僕のものだ――すべてを捧げなさい。そうすればご褒美をあげてもいいよ』 


 悪鬼のようなことをのたまい、高笑いをしている悪魔が一体。その前にひれ伏してぶるぶる震える仔羊が一匹。穢れを知らぬ純白の薔薇の花びらが吹雪のように舞う中、甘い芳香がぶわりと風に乗って漂ってくる。

 極彩色の夢の中、黄金色のラッパが鳴り響いた。この曲は確か――死者の魂を弔うための、葬送行進曲だ。棺桶を墓場に運んでいくときのような厳かで息苦しい悲しみがずしりと背中にのしかかってくる。

 金色の髪の悪魔が、仔羊の前までゆっくりと歩み寄って来る。その両手に銀色の輪を捧げ持っていた。海のようなサファイア、新緑のエメラルド、血のようなルビー、透き通る氷のようなダイヤモンド。煌めく宝石がはめられた輪が、仔羊の首輪として嵌められて、ぎゅむ、とか細い首を絞め上げた。

 息が出来ない。

 窒息していく最中、悪魔の唇がにやりと歪むのが見えた。


「わああっ!」


 汗だくになってエリーシャは跳ね起きた。うなされていたらしい――部屋は冷えているのに寝間着がびっしょり濡れていた。心臓がうるさく騒いで、口から飛び出してしまいそうだった。夢だ、と途中で気づいてはいたが首に残る感覚は生々しく、いまも呼吸が落ち着かない。

 帝都グレイスローズ、サフィルス宮殿の一室でエリーシャ・フォレノワールは三日目の朝を迎えた。婚約式が終わり、ユーリスの居所であるこの宮殿の一室を与えられたのだが、このところ毎晩、同じような悪夢を見ては真夜中に目が醒めて寝不足が続いている。


「……どうしてこんな目に」


 エリーシャは深く息を吐いた。


❖❖


『婚約者として僕のそばにいてほしい――愛するエリーシャ。君を片時も離れずに、手元に置いておきたい』


 ユーリスがフォレノワール州から帝都に戻るときのことだ。別れ際、そのようなことを言われたがどうせうわべだけの言葉だろうとエリーシャは高を括っていた。

 婚約式に向けての準備があるから、と言って呆気なくフォレノワール州を発ったユーリスに安堵するのも束の間、ほぼ入れ違いでエリーシャを帝都まで護送するための馬車が屋敷まで派遣された。

 準備もまだ出来ていない、と引き伸ばしにかかろうとしたが婚約者としてのエリーシャの住居も必要なものも既に準備が終わっているという。身一つで来てもらえれば十分だ、という言葉にさすがにフォレノワール伯爵も気分を害したらしい。

 

『確かにうちは田舎暮らしの不調法者ですが、嫁に行く娘の支度すら出来ないとユーリス第二皇子殿下はお思いなのかしら?』


 細くとがったヒールを履いたヴィオラはふだんよりさらに長身だ。深紅のドレスを身に纏い、迎えに現れた従者たちに詰め寄って醒めた眼で見下ろした。

 ヴィオラの剣幕に、ユーリス皇子の使いはびくびくしていたが、主人の方がよほど恐ろしいと見えて「とんでもございません、ですが皇家のご命令には逆らえませんので」と繰り返すばかりだった。


『ごめんなさいね、エリー。荷物はあとで帝都に送るから、最低限の荷造りをしてきて頂戴』

『わかりました、お父様……』


 肩を落としたエリーシャが自室に戻ると、サエラが軽い足音を立てて部屋の中に入って来た。


『どうしたの、サエラ? あのね、お姉さま、急いで荷造りをしなくちゃならないから、構ってあげられな……』

『お姉さま、行っては嫌です!』


 聞き分けの良いサエラがエリーシャに背中からぶつかるようにして抱き着いてきた。腰のあたりまでしか届かない温もりに胸がぎゅっと締め付けられる。優しく巻き付いた腕を外して振り返ると、エリーシャは小さな妹の頭を撫でた。


『サエラがもっと大きかったら、お姉さまを守ってあげられるのに』

『ありがとう。大好きよサエラ』


 妹の額にキスをすると、紅玉の瞳に溜まっていた透明な雫がほろりと零れ落ちた。帝都とフォレノワール州を行き来している父や兄たちと会う機会はあるだろうが、妹のサエラとはしばらく顔を見ることさえ難しくなる。母を早くに亡くしたサエラにとって、エリーシャは母親に等しい存在だ。幼い妹を置いてこの家を出て行かねばならないことを想うと、胸が詰まった。


『ごめんね、サエラ……また帰ってこられるように、サエラに会えるようにわたし頑張るから』

『行かないでください……』

『サエラ……』


 宥めているとようすを見に来たウィルバーがサエラを引きはがし、そのあいだにエリーシャは急いで旅行カバンに目に付いたものを次々に放り込んでいった。じっくり考えて選んではいられない――まったくもう、あの腹黒皇子、せっかちがすぎる。

 日用品、それに母親の形見であるブローチと読みかけの本……使い道があるかないかわからない雑多なものを詰め込んでいたところで「エリーシャ様!」と急かす声が階下からかけられた。

 出発する前、「元気でね、ようすを見に行くから」と家族から代わる代わる声をかけられたがサエラだけが俯き唇を噛んでいる。最後に何か言ってあげたかったのだが、早く乗ってくださいと従者がエリーシャを呼んだ。


『いままで、ありがとうございました』


 深く頭を下げ、エリーシャ馬車に乗り込んだ。御者に鞭を打たれた馬が走り始めると、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。きょうだいたちからそれぞれ渡された餞別、そして――膝の上ですやすや眠っているもこもこの塊を抱きしめ、エリーシャは目を閉じた。



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