Extra09 鳥かごの少女
恋に落ちるのはひどく簡単。
何も知らないあどけない少女、恋に焦がれる可憐な淑女、すべてに倦んだ物憂げな未亡人――ありとあらゆる女性たち。それぞれが宝石のように輝いて、光を放っているのだから。
皆美しく、愛おしい存在だもの。じっと見つめているだけで、良いところ、素敵なところが浮き上がって俺の前にあらわれる。
だからこそ【魅了】の異能は、ウィルバー・フォレノワールにとって最も便利で有難いものだった。
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「どうせなら、この美しい時間をそのまま留めておきたいな」
詩人みたいなことを言うのね、とマダム・ルーデルは苦笑する。「だって人間である以上、若さも美しさも目減りしていくじゃありませんか」とウィルバーが頬を膨らませると、年を重ねたことで生まれる「美」も素敵なものだわ、とマダムは応じた。
美しいものを愛でるのが趣味である彼女のサロンには男女問わず、見目の良い人間が出入りする。しかも顔だけではなく品格も併せ持っていないと、立ち入ることは叶わない。
それゆえに彼女のお眼鏡にかなったことを喜ぶ若者は少なくなかった。
グロリア・ルーデル伯爵夫人は情報通でもあったから、いろんな噂話が彼女のもとに集まって来る。だからウィルバーも好んで彼女の開く、美術鑑賞会やらボート遊びやらに顔を出すことにしていた。
技法がどうとかという話をするほどには詳しくはない。美しいものはただ美しいだけで価値がある。
それどころか、回りくどい講釈をつけることで、本質を見失う気がするのだ。
その点は合わなかったのだけれど、綺麗なものが好きだというところにおいてはウィルバーとマダム・ルーデルと気が合った。
あの子と会ったのも、そんなお遊びの中でのことだった。
「今日はとびきりの余興を用意しているのよ」
なんて、マダムが言うものだから少々期待はしていた。
彼女の審美眼は確かだったし、様々な伝手を利用してほしいものを必ず手に入れてくる。それが彼女の恐ろしいところでもある。目に付けられた獲物は気の毒としか言いようがない。
サロンの仲間たちを招き入れ、広間の最も目立つ位置に巨大な真っ黒な繻子の布切れがかぶせられた巨大な「物体」が安置されていた。オブジェ――彫刻か何かだろうか。
興味津々といったようすで、集った面々がその布を透視しようと試みていたが当然のごとく失敗に終わる。マダム・ルーデルが目で合図すると、使用人たちの手により除幕が執り行われた。
晒された瞬間に、どよめきと興奮の呻き声が上がった。
ウィルバーは人陰に隠れ、主催者に見咎められないように表情を消した。
眼前に現れたその物体は、銀色の巨大な鳥かごだった。その中に十四、五歳と思われるあどけない顔の少女が鎖に繋がれ収容されていた。
シャンデリアに照らされて、眩い金糸の髪が光を弾く。
身に纏う衣装はまるで人形遊びの人形のような、ごてごてした古めかしいデザインの深紅のドレスだ。座っているせいでたっぷりと生地を使ったその裾は円形に丸く広がっている。フリルの洪水に埋もれるようにして少女は目を伏せていた。
――なんて趣味が悪い。
本当は顔をしかめたいところなのだが、こみ上げてきた胸糞の悪さをすっと笑みで隠した。人間を鳥かごに閉じ込めるなんて醜悪にもほどがある。
「金糸雀、歌ってちょうだい」
マダム・ルーデルが少女に向かって声をかける。
あの子は金糸雀と呼ばれているらしい。どうせ本当の名前ではないのだろうが、彼女の醸し出す雰囲気にはぴったりの呼び名だった。
眩い金の髪を震わせながら、鳥かごの中で立ち上がると少女が歌い始めた。
異国の言葉と思われるその言語は、聖句のように神聖な響きを帯びていた。
特別に喉を張っているようすもなく、するりと発せられた伸びやかな高音が高いホールの天井に吸い込まれていく。
それこそ小鳥のさえずりのようになめらかに、ちいさな唇から紡ぎ出される歌にこの会に集った連中はすっかり魅了されているようだった。
歌声は軽やかなのに一音一音に重みがあるのがひどく不思議に思える。
耳に快く、うっとりと蕩けてしまいそうになるのを唇を引き結んで耐えた。醜悪な見世物、そのとおりであるのに魅了されるなんて馬鹿げている。誰もを【魅了】するのは己の方だというのに。
ピアノの伴奏が終わり、少女の歌も途切れると大きな拍手が巻き起こった。
好事家たちはマダムに駆け寄り、どこでこの「鳥」を見つけたのか、または幾らでなら譲る気があるのかと交渉を始めている。反吐が出る光景だった。
歌を終えた金糸雀は、ふたたび蹲ると誰とも目を合わさないように赤のドレスの中に潜り込んでいた。
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小鳥が逃げてしまったの、とマダムがため息を吐いた。
お茶でもいかが、と帝都のフォレノワール邸に手紙が来たので訪ねてみれば招かれていたのはウィルバーひとりだった。珍しいことだ――琥珀色の茶を啜りながら、ウィルバーは首を傾げた。
「――小鳥ですか? うっかり鳥かごを開け放してしまったのでは?」
「いいえ。きちんと鍵をかけて閉じ込めておいたのよ。見張りも付けていたわ」
「それは不思議ですね」
本当に不思議だ、とウィルバーは思う。マダムは所有欲が強いので、一度得たものを手放すことなどありえない。収蔵品は厳重に管理されているし、盗み出すことも困難だろう。
なにか、《《特別な能力》》でも使わない限りは。
マダムは空になったウィルバーのカップに紅茶を注ぎ入れる。芳しい茶葉の香りが蒸気と共にゆらりと立ちのぼった。
「ふふ、まったくあなたときたら面白い子ねえ……どんな手を使ったのやら。そういうところも含めて私は、あなたのことを気に入っているの。だから今回だけ、許してあげるわ」
「ありがとうございます」
有意義な会話を終え、飲み干した紅茶に手土産を持たされて馬車へ向かう。中には小柄な少女がひとり乗ってウィルバーを待っていた。
「はい。これお土産のお菓子だって」
少女はハンカチで包まれたそれを膝の上に置かれ、きょとんとしたようすで首を傾げた。きらきらと窓から差し込む日差しを浴びて少女の金髪が輝いていた。




