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Extra08 もし、バレンタインデーがあったら…? -Day2-

 エリーシャの姿が見えなかったので探していたら、思いもよらぬところ――厨房から声が聞こえてきた。


「チョコレート、ですか……」


 困惑しきったエリーシャの表情が思い浮かぶような弱々しい声音に思わず苦笑しそうになった。また何やら面倒ごとに巻き込まれているようだ。チョコレート、といえば聖マリヴェールの日(ヴァレンタイン・デー)絡みだろう。


 昨年、ユーリスにも出会い頭にチョコレートを押し付ける令嬢が多発したし、14日付で配達人にサフィルス宮殿まで届けさせる者もいた。勿論すべて破棄したが――だって毒でも盛られていたらかなわないだろう?

 得体の知れない人間が用意した食べ物を何のためらいもなく口にする皇族などいない。


「――なるほどね。今年はエリーシャからチョコレートがもらえるのか」


 考えただけで胸が躍る。

 しかもようすを窺うに手ずから作るつもりらしい。パティシエでもない人間が菓子を作ったところで、味など期待できない仕上がりに違いない。だが――愛しいひとから捧げられる愛の結晶(スウィーツ)と思えば、かけがえのない至宝となる。


「ねえ、なんだか面白そうな話をしているね」


 ひょいと厨房に顔を覗かせれば、びゃっとわかりやすくエリーシャが怯えたような顔つきで此方を見た。堂々としていればいいのに、この子は常にびくびくしている――特にユーリスに対しては。


「殿下、いけません。厨房でエリーシャ様と作戦会議中でして……」

「このサフィルス宮殿に僕が立ち入れない場所なんてある筈がないだろう?」


 極論を持ち出せば、使用人たちは一斉に口を噤んだ。おっと、さすがに言い過ぎたかな。にこやかな笑みを浮かべ、顎に手を添えて「なんてね」と悪戯っ子の冗談にすり替えた。キッチンメイドとパティシエがほっと息を吐いて顔を見合わせる。

 おそらく――ちら、とエリーシャに目を向ければがくがくと震えていた。やっぱり彼女には通用しないか。


 そういうところが好きなのだけれど。


 さんざん冷やかした挙句、ユーリスは厨房を後にした。こうすれば急に「やっぱり無理でした! 手作りのチョコレートを渡すなんて恐れ多いことは出来ません」などとエリーシャが言い出すことはないだろう。

 さんざん「期待」という名のプレッシャーをかけておいたから、何が何でも作ってくれるはずだ。


 ああ、聖マリヴェールの日(ヴァレンタイン・デー)が待ちきれない。

 なるほどこれが浮足立つ、というものなのか――初めての感覚にユーリスは酔いしれた。



✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



「……これはどういう状況ことかな?」


 待ちに待った聖マリヴェールの日(ヴァレンタイン・デー)。ユーリスが用意したのは深紅のグレイスローズの花束で、きちんと本数を含めて愛するひとへの贈り物にふさわしいように準備した。

 恥ずかしがり屋のエリーシャが、周りの視線を気にしなくて済むようにプレゼントの交換はユーリスの部屋で行われることになった。


 はにかみながら花束を受け取ったエリーシャの愛らしさと来たら。いますぐ抱きしめて口づけたいほどだったが、優雅な笑みを湛えたままじっと彼女を眺めるにとどめた。


 そして、エリーシャが用意した贈り物を前にしたユーリスは、自らの目を疑った。というわけだった。


「これは」

「チョコレートです」


 エリーシャは澱むことなく言い切った。ただ、かすかに目を伏せユーリスと目を合わせないようにしている。


「チョコレート……」

「チョコレートです!」


 エリーシャはもはや自棄やけだとばかりに声を張り上げていた。

 さて、想像していたものとははるかに違う物体が真っ白なテーブルクロスの上に用意されている。

 一見すると、グラスデザートのようである。成程チョコレートと言っても、丸みを帯びたコロコロとしたものや、タブレット状のもの、ケーキばかりを指すのではない。ゆえに、この透明なグラスに入れられたデザート(仮)もチョコレートの一種である可能性は否定できない。


 ただ問題は……そこではない。


「エリーシャ。あの……このチョコレート、ものすごい色なのだけれど、これを食べて僕は死んでしまわないのかな?」


 よもや最愛の女性から、毒殺されそうになるとは。予想外すぎる。


 紫と緑、白、赤、そしてかろうじてチョコレート感のある茶色が溶けあい混じり合ったマーブル模様を、グラスの中で描いている。

 まるで抽象画のようでさえある一品だ。

 申し訳程度にグラスの頂上にふるわれたココアパウダーと、添えられた木苺が一見、まともな食べ物らしい印象を与えている――が、グラスの横から高熱の日に見る悪夢のような渦巻き柄が見える仕様だった。


 これを腕自慢のサフィルス宮殿のパティシエが、エリーシャに勧めたのだろうか。だとしたら彼に対する評価を検める必要があるかもしれない。


「ええっと、この強烈な色味はすべて可食の果実やお茶などを配合したものですので、毒ではないのです……」


 もじもじしながらエリーシャは小声で言った。

 じつに愛らしい仕草ではあるが、目の前の怪しげな見た目のチョコレートを食べる覚悟はまだ湧いてこなかった。なにしろユーリスは身体が弱いのだ。いちじるしく刺激の強い食べ物を食べれば命を削ることに直結しかねない。


 古来から、料理は愛さえあればいいという。でも愛だけでは乗り越えられないものもあるのではないだろうか。

 

 エリーシャの説明によれば中に入っているのは、チーズとクリーム、牛乳を混ぜたもの。あとはチョコレートやビスケットを砕いたものだそうだ。それらを何層かに分けて敷き、食用の花などから抽出した色味(ジャムなども含む)で着色した結果――こうなったということだった。


「味はきっと大丈夫です! 試食もしていただいています」

「そう……」


 そこまで言われれば、引くわけにもいかない。もしユーリスが躊躇いでもしたらエリーシャの表情を曇らせることになる。腹を決めて銀の匙でグラスの頂上から中腹ほどまで、掬い取り――口に含んだ。


「…………」

「ゆ、ユーリス様、大丈夫、ですか?」


 おろおろと心配そうな視線をユーリスに向けている。口の中に広がった「チョコレート」の風味が頭を貫き、鼻に抜ける。予想外の味だった。


「美味しい……」

「本当ですか⁉ よかった……」

「うん。いままで食べた中で一番おいしいチョコレートだよ」


 二口めをすくい、味わうように舌の上で転がす。ざくざくのビスケットとほろ苦いチョコレートがクリーム状のソースと混ざることにより濃厚な味わいを醸し出す。


「ねえエリーシャ。僕専用のパティシエールになるかい?」

「それはさすがに言いすぎかと……これ以上は照れてしまいますので、どうかそのぐらいで」

「味見はした?」

「あ……すこしだけですがしていますよ。ユーリス様に変なものを食べさせるわけには……っ⁉」


 三口目を含んだすぐあとに、がまんしきれずにエリーシャに口づけた。

 深いキスを仕掛けるうちに口の中で完成したチョコレートソースが、お互いの口の中を行き来した。甘ったるくて濃厚なキスだ。


「お酒も使っている?」

「い、いいえ……」


 呼吸の合間に尋ねれば、息絶え絶えになりながらエリーシャは首を横に振る。いつまでも初々しい反応を返すエリーシャが愛おしくてふたたび唇を重ねていた。


「そう。じゃあ、君に酔っているんだな……んっ」


 頭がくらくらする。

 たっぷりと時間をかけて貪り合った甘いキスのおかげで聖マリヴェールの日(ヴァレンタイン・デー)は、この先ずっと、記憶に残る日となるだろう。

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