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Extra02 任務挑戦中―目標:女好きの男爵―

 有体ありていに言ってピンチ、というやつでは、とエリーシャは考えていた。


 とろんと蕩けたあおの眸がこちらをじっと見つめている。【帝国ヴィーダの薔薇】はどこにいたとしても当然のように美しいが、こういった華やかな場にいるといっそう映えるのだ。


「ゆ、ユーリス様……」

「静かに。ね?」


 白い手袋を嵌めた指が、エリーシャの唇に触れた。淡いピンクのルージュで白い指先がほんのりと色づく。罪悪感で、かあっと頭の中が白く染まった。



✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



 社交シーズン真っただ中の夜会に呼ばれた第二皇子とその婚約者。そんな立ち位置の自分たちはどこに行ってもたいてい注目を浴びる。主に、エリーシャの隣にいる彼のせいで。


「あの、ユーリス様」

「なにかな」


 微笑みを絶やさずにユーリスは答える。前を見据えたままだが、腕を捕まえて離してくれる気配がない。そばにいろ、という言外の圧をひしひしと感じていたが、屈することなくエリーシャはお願いしてみた。


「……少し外しても、よろしいでし」

「何故?」


 最後まで言わせてくれることなくユーリスは途中で遮った。

 凍てつきそうな冷気が隣からじわじわとエリーシャの剥き出しの肩のところまで落ちてくる。

 今日の夜会では肩が出るデザインのアイヴォリーのドレスを着ている。

 胸元を飾る黒のタフタのリボンが印象的なシックなデザインであるため、あまり露出が多いようには見えないのですとメイドたちから推された一着だった。


 だが正直に言うと、落ち着かない。

 露出が多く見えないというのは、露出が多くないわけではないのだ。むしろ多い。先ほどから通りすがる紳士の視線が胸元のあたりや首筋のあたりで止まるので、恥ずかしくて仕方がなかった。

 ドレスのデザインとしては大きなリボンが可愛らしくて好みなのだが、こんなに注目されるのは色々と困る。開会のあいさつを聞いたばかりだというのに、早くも着てきたことを後悔していた。


「ひぇ、あの……父から、今日の夜会にはヴェンダー卿がご出席されているから、そのう……」

「ああ、ヴェンダーの当主か……横領疑惑があったね。まったく君のところの家は頼みもしないのによくもまあ、そんな怪しげな者たちを見つけてくるものだよ」


 若干、苛立たったようなユーリスを見ながらそっと息を吐く。


「我が家は特殊なのです……」


 滅びた部族の末裔、月女神ディアナの寵愛をいまも受け続ける唯一の一族――それがフォレノワール家なのだから。帝国の支配下にあるいまにおいても月女神への信仰は変わらない。

 数ある月女神の教えの中で最も重要視されているのは「正しきことをせよ」――それを忠実に守り続けているのが、フォレノワールの誇りだった。


 今回のフォレノワール家当主からの指令オーダーは、ヴェンダー家周辺を探れ、というものだが……どの程度を求められているのかはよくわからない。

 いままで知らなかったが、エリーシャの【異能ギフト】は【書換リライト】といって、自らの望んだとおりに状況を書き換えることができる――随分と強力な能力だ。

 いままで使っていると思っていた【同調シンク】は「誰からも注目されなければいいのにな」というエリーシャの切なる願いが、【書換リライト】の効果として現れていたにすぎないようだった。

 ただいつもどおり、情報収集程度の要員だろうと気楽に考えてエリーシャはこの夜会に出席してはいた。甘やかな管弦の音色に耳を傾けながら、ちらちらと対象ターゲットの動向を見守っていたわけなのだが――先ほどからユーリスのご機嫌が悪くなりつつある。

 静かに頭を振ってからユーリスは言った。


「そうだね……まあ、僕も君たちの家族の一員なわけだし、協力するのもやぶさかじゃないさ」

「ほ、本当ですか……?」


 安堵で表情が緩んだエリーシャを見て、ユーリスは静かに息を吐いた。




「ごきげんよう、ヴェンダー卿」

「おや。第二皇子殿下、お声がけいただき光栄です。おや、婚約者殿もご一緒でしたか」


 相好を崩したヴェンダー卿の視線がエリーシャに向けられる。好色と有名な男爵の視線がなめるように、エリーシャの細い首筋から肩にかけてをゆっくりと辿る。


「……………」

「ゆ、ユーリス様っ」


 小声で窘めていなければ舌打ちの一つでもしていたのかもしれない。微笑んではいるし、ヴェンダー卿は全く気付いていなさそうだが隣にいるエリーシャは婚約者の激しい憤りに気付かないではいられなかった。うう、はらはらする。

 おどおどしているエリーシャに気付いたのかユーリスはにっこりと笑いかける。肩を抱いて引き寄せ、言った。


「ああ、エリーシャ。この会場は少し寒いよね」

「え。い、いえ、それほどでは……」

「ほら、これを肩に掛けなさい。少しはマシだろうから」


 マントを止めていたブローチを外したユーリスは、はらりと落ちたそれをエリーシャにショールのように着せかけた。助かりはしたが、過保護すぎる気もする。睦まじいようで何よりです、とヴェンダー卿も苦笑していた。


「妹が嘆いていましたよ。憧れの【帝都ヴィーダの薔薇】が摘み取られてしまった、と」

「愛しいひとのもとで咲くことが出来るのなら、薔薇にとっても本望でしょうね。たかが一輪の花であろうと持ち主くらいは選べますから」


 両名共に、顔色ひとつ変えていないのが恐ろしい。


 ユーリスとヴェンダー卿との会話の応酬を聞いていると貴族社会というのは本当に恐ろしい場所だと実感する。エリーシャには到底無理そうだ。嫌味にも気づかずに会話を途絶えさせる自信しかない。

 以前出席したお茶会でも、空気が読めていない、とアナベルに指摘されたに等しいのだ。今後、第二皇子の婚約者――いつかは妻、として社交の場に出ることも多いのだから慣れなくては。そう意気込んでいたときだった。


「そうだ、エリーシャ様。お飲み物はいかがですかな? このカクテルなどは甘くて女性も飲みやすいと思いますよ」

「わあ……! わたし一度もおさけを飲んだことがなくて」


 成人年齢は過ぎているため、エリーシャは飲酒出来る。

 だがこうした場ではフォレノワール家の役割を優先しなければならないため、一度も飲んだことがなかった。

 任務を思えば断わらなければならいところなのだが、ここで「いえ、ちょっと」と言うのも角が立つ。空気が読めない、の評価が頭にちらついた。それに、飲酒というものに興味がないわけではないのだ。

 わくわくしながらグラスを受け取ろうとすると、横からすっと伸びてきた腕が鮮やかなピンク色の液体が入ったそれを奪い取り――一気に飲み干した。


「ユーリス様っ……⁉」

「ごめんごめん、美味しそうだったからつい――甘くて飲みやすいですね。調子に乗って何杯でも飲んでしまいそうだ」


 その言葉はかすかに含みを感じさせるものだった。

 ぎくっと後退ったヴェンダー卿が、あは、と乾いた笑みをこぼした。

 


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