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52 窮地

「此処は、テデュース川のマリーナです。この船はモーヌ公爵家保有で、いつも決まった位置に停泊しているらしく……ひゃっ!」


 そのとき、船が大きく傾いだ。

 よろめいたアナベルをとっさに支えたとき、骨が浮き出た痩せた身体に気付いた。おそらく、先ほど話していたことは本当なのだろう。男爵家の困窮ぶりがうかがえる。


 ドレスこそ、第一皇子のパートナーということもあって上質なものではあったが、燃える焔のような鮮やかな色味はアナベルには似合っていなかった。おそらく、後援者パトロンであるライアン・モーヌの趣味だろう。

 彼女にはごてごてした過剰装飾ぎみのフリルやレースではなく、すっきりとした細身の身体を美しく見せるシンプルなドレスが似合うのに。エリーシャが彼女の侍女であったなら、絶対に「ノー」と言う。


「大丈夫ですか……?」


 声をかけると、アナベルは吐き気を堪えるような表情のまま頷いた。彼女を支えながら窓に近づき、エリーシャは外を覗き見る。

 船がゆっくりと岸を離れ、動き始めていた。停泊していた船着き場から徐々に遠ざかり、テデュース川の下流へ向かっていく。


 まずい――現在地が、いっそうわかりにくくなってしまった。この船はどこに向かっているのだろう、もう少し情報が欲しいところだ。

 アナベルから聞き出そうとしたところで、がたん、と上方でドアが閉まる音が響いた。

 

「……ああ、やっぱり起きていたんですね、エリーシャ・フォレノワール嬢。狸寝入りに盗み聞きとは……ユーリス第二皇子殿下の婚約者として、品位に欠ける行動だと思いませんか?」


 突然声をかけられ、エリーシャはびくっと身体を揺らす。

 ゆったりとした足取りで階段を降りて来たライアンが、支え合うように肩を抱き合った令嬢たちを見遣った。

 震えるアナベルを男の視線から庇うように抱き寄せ、エリーシャは唾を飲み込む。ふたりのようすを眺めたライアンは眉をひそめ、舌打ちした。


「余計なことをしてもらっては困るんですよ――大体、あなたはユーリス殿下にふさわしくありません。ヴィーダ帝国民らしからぬ、その気味の悪い髪と目……神秘的だと讃える者の気が知れませんね。不気味でしかない」


 つかつかと近寄って来たライアンが、アナベルからエリーシャを引きはがした。


「くそが。伯爵令嬢ごときが俺たちの邪魔をするから、こんな目に遭うんだよ」

「エリーシャ様っ……!」


 アナベルの悲鳴が船室に響いた。

 突き飛ばされ床に倒れたエリーシャのもとにライアンが近づいて来る。

 強かに打ちつけた腰がずきずきと痛む。立ち上がろうと床についた手を、靴裏で踏みにじられた。


「っ、う……」

「ねえエリーシャ嬢……知り合いがやっている娼館にでも入れて差しあげましょうか。こういう目新しいイロモノで遊びたい男は結構多いんです――クク、異教徒を辱めて、心を砕く瞬間の音色はさぞ甘美に響くでしょう」


 俺もその場に立ち会いたいものです、そう言ってしゃがみこむとライアンはエリーシャに馬乗りになった。大きな手がエリーシャの首元にあてがわれる。


「――俺は、お前みたいな薄気味の悪い女を相手にするのは御免だけどなっ!」


 かは、と声にもならない音が口の端から漏れた。


 首を絞められている。ぎりぎりと男の指がエリーシャの首に食い込んだ。

 苦しい……――息が、できな、い。痛い、苦しい、痛い、苦しい……。


 首を圧す力がじわじわと強くなっていき、意識を飛ばしそうになったかと思えば和らいで――また力を込められる。


『エリー』


 頭の中で、声がきこえた。


 もう、自分をいとおしそうに呼ぶこの声が誰のものなのかエリーシャはわかっていた。あどけない子供の声音であっても、冷ややかで甘ったるい大人の声音であっても……ひとしくおなじ、あのひとの声。


『エリーシャ、絶対に君を見つける。だから……』


 待っていて。

 掛けられた声に、ぼやけていた思考がとたんに明瞭になった。


 彼の声がトリガーとなり、じりじりと焦げ付くようなエリーシャの防衛本能と接続する。


 奥底に仕舞い込んでいた扉の錠がかちゃりと音を立てて、開いた。



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