47 フォレノワールの一族 -2-
『うちの妹はどこにいるんです?』
ウィルバーの表情は柔和そのものだというのに、不思議とぞっと背筋が凍るような、凄味がある。貴族同士の腹の探り合いはユーリスにとっては日常ではあるが、この人外じみた容姿の男に一瞬、気圧されそうになった。
「だめよ、ウィル」
一触即発の状況に割り込むように、かつ、と硬質な床を叩く踵の高音が響いた。
細身の赤い燕尾風ジャケットと、ブラックサテンの裳裾が優雅に波打つドレスに身を包んだ貴婦人が、扇で口元を隠して言った。
「ユーリス殿下に失礼な真似をしないように。まだうちのエリーの婚約者ですもの」
突如現れた美女が放つ強烈な存在感に圧倒され、ユーリスは《《彼女》》を茫然と見ていた。その女性の深紅の薔薇をあしらったヘッドドレスで彩られた髪色も、ウィルバーと同じく白銀、双眸は濃赤だ。
そのときユーリスは、はたと気付いた。
「その声、まさかヴィオラ……?」
扇を閉じると、艶やかな紅に染まった唇が「ごきげんよう殿下」と言葉を紡ぐ。
長身ではあるが眼前の華やかな《《女性》》はフォレノワール伯爵――ヴィオラで間違いない。
「この姿でお会いするのは初めてでしたっけ? 驚かれましたか、ふふっ」
「父さま、こんな弱っちい奴は放っておきましょう。何の役にも立ちません」
ヴィオラの後ろからフォレノワール家の末っ子、サエラがすっと顔を出した。
彼女が着ているフリルがたくさんあしらわれた淡いピンクのドレスはイーストチェリーの花びらのようで、春の妖精のようにも見えることだろう――だが、しかしこの子は。
ユーリスは、躊躇いながらも口にした。
「サエラ……あの、君は、男の子だよね?」
「それが何? ……ていうか、あんたはずうっと気づいてなかったでしょ。だいたい、性別なんてどうだっていいじゃん。《《ボク》》は自分に似合っているものを着ているだけだし?」
鮮やかなドレスを纏ったヴィオラとサエラが並ぶと、貴婦人と小さな淑女そのものでしかない。ただしどちらも性別は男性である。頭が混乱する眺めだった。
サエラが少女ではなく「少年」だ、と気づいたのはサフィルス宮殿に彼女――否、彼が訪ねてきたときだ。深い意味もなく、挨拶のつもりで手の甲にくちづけをしたところ、気づいてしまったわけだが――……。
ヴィオラが「エリーには何も言わないで」と口止めしたのでいままで特に触れずにいたのだけれど、いざ、サエラを目の当たりにするとあのときの驚きがふたたびよみがえってくる。
それにしてもエリーシャといるときの態度とはまるで違うように思うのだが――なんというかこう、生意気だ。
いまもべー、と舌を出して目の下を引っ張り、ユーリスを挑発している。悪戯好きな子供そのものだった。
「あは。サエラは姉さま大好きだからなあ、たいてい猫被ってるんだよ。俺らの前とかじゃ大体こんな感じ。『ボク』なんて口が裂けても言わないもんねえ」
けらけら緊張感のない笑い声を上げたウィルバーを睨むと、サエラがヴィオラの真っ赤な上着の袖をぐいぐい引っぱった。
「父さま、こんなユーリス殿下なんてこの際どうだっていいじゃないですか。姉さまはこうしているあいだもボクの助けを待っているはず……ああっ、かわいそうな姉さま。こんなくそ雑魚かつ性悪な皇子と婚約なんてするからこんな酷い目に遭うんだっ!」
嫌われているようだ、とは思っていたが悪意どころか憎悪すら感じる物言いにちょっと傷ついた。義理の妹……いや弟に、此処まで敵意剥き出しにされるようなことをした心当たりがない。
「……それよりも、何故エリーシャが消えたことをあなたたちが知っているんです?」
「エリーは私達の家族ですもの、なんでもわかりますよ」
と、ヴィオラはしらばっくれたのだが、すぐにウィルバーがユーリスにむかって片目を瞑ってみせた。
「さっき殿下が血相変えてホールを出て行ったの見かけたから、俺が後をつけただけなんだけどねっ。見張ってた従者は俺の【魅惑】で言いなりにしてさ」
「もう、ウィルったら種明かしが早すぎますよ」
「あはっ、ごっめ~ん父さん!」
状況は切迫しているはずなのに、サエラを除いて緊張感がまるでなかった。
どういう神経をしているんだフォレノワール伯爵家は。挙句「それにしてもがっかりです」とヴィオラはわざとらしくため息を吐いた。
「ユーリス殿下を信頼して大事な娘を預けたのに、返してもらわねばいけませんか」
「なっ……!」
「わあ、それはいい考えですっ、父さま! ふふ、姉さまがようやくボクのもとへ帰って来る♪」
いささか芝居がかかってはいたが、義父からの「婚約撤回」を示唆する言葉はさすがに聞き捨てならない。冗談めいた口調で告げてはいたものの、ヴィオラの眸からは本気であるとひしひしと伝わってくる。
此処で引きさがってしまっては、永遠にエリーシャを失う気がした。
「ヴィオラ……! 待ってくれ、僕は……」
エリー。
僕にとって初めての、たったひとりの友人――そして。
『……――ユーリ……ス様』
そのとき、頭の中に声が聞こえた。
馴染み深いその声音は、怯えたようにかすかに震えている。
聞き間違えるはずがない――あの子の声。
「エリーシャ……?」
『ユーリス様』
今度はもっと、はっきりと自分の名前を呼んだとわかる。しかも、すぐ間近から発せられたかのように明瞭にユーリスへと届いた。
「何? ねえ、ちょっとぉ、姉さまが何なの⁉」
「――サエラ。静かになさい」
ぴしゃりとヴィオラが注意すると不服そうに唇を尖らせる。
「殿下――あなただけに聞こえているその声はサエラの【異能】で作り、エリーシャに渡したブレスレットに込めた【祝福】によるものです」
「父さま、まどろっこしいっ。姉さまがボクの【創造】した道具を使って助けを求めてるってこと! ボクのおかげなんだからっ」
ヒステリックに地団太を踏んだサエラを宥めるように「まあまあ」と声掛けしたウィルバーが、後ろから抱きとめ――いや羽交い絞めにしている。
「エリーからメッセージを受け取れるのはユーリス殿下、あなただけです。あの子が囚われている場所を聞き出してください」
「っ、わかった」
大体の目星はつけていますけれど、とこぼしたヴィオラの言葉はユーリスにはほとんど聞こえていなかった。
「おお、皆揃ってるな! むむ……そこにいらっしゃるのは、ユーリス殿下?」
「めぇ!」
エリーシャとの会話を終えたユーリスは、いつのまにか背後に立っていたラーガ・フォレノワールを見て、目を剝いた。
いかつい軍人然とした大男が、まっしろもこもこ毛皮に黒くて短い手足の仔羊を小脇に抱える、というかなり違和感をおぼえるいでたちである。
だいたい、何故あの駄羊……グルルを連れているんだ。
他のフォレノワール家の面々は「もう遅いよ兄さん」と、さも当然のような顔をして受け入れているので予定どおりということなのか。
「めええ?」
そのとき、ばちっとグルルと目が合い「大丈夫か」みたいな声が掛けられたような気がした。疲れているのかもしれない。
ヴィオラが揃った面々を見回して、優雅に微笑んだ。
「じゃあ、うちの子を返してもらいに行きましょうか。みんなで一緒に――いずれ家族となるかもしれない殿下にも、フォレノワールの流儀をお見せいたしましょう」




