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24 異能令嬢は病弱皇子を支えたい。1

 分厚い雲間から見える欠片のような空が茜色に染まっている。

 すう、と息を吸い込んでからドアを叩いた。返事はなく、室内は静まり返っている。まだ眠っているのかもしれない。それならばおとなしく引き下がるしかない、と背を向けた瞬間に、扉の軋む音が聞こえた。


「まったく、何しに来たのかな君は……ごほ、っ」

「ユーリス様……!」


 あの晩以来、顔を見ることさえもかなわなかった婚約者が青い顔でこちらを睨んでいる。それだけで、鼻の奥がつんとして、涙がじわりと滲んだ。


「ごめんなさいっ、あの、わたしがもっと気を付けていたらこんなことには……」

「用はそれだけ? それなら帰ってもらえると有難いのだけれど――っ」


 ごほ、と激しく咳き込んだユーリスの背中に慌てて腕を回して支えた。

 食事もろくにとれていないことがうかがえる、骨のごつごつした感触が鮮明に手のひらに伝わって来る。


「せめて、ベッドまで連れて行かせてください」


 ユーリスは拒む気力もなかったのか、抵抗しなかった。

 暖炉に火がくべられた室内は暖かかったが、寝間着に上着を引っ掛けただけでは寒いだろう。エリーシャが促すまでもなく、のろのろと分厚く重ねられた毛布の海へと潜り込んだ。見届けたところで、切り出す。


「……あの、わたし、帰りますね」

「薄情だな。せっかく見舞いに来ておいて、すぐに退散するつもりなのかい?」

「え、さっきは帰れって……」


 気が変わったんだ、とユーリスはしれっと言い放った。いつものような軽口を言えるくらいの余裕が出てきたようだ。そのことにエリーシャは少しだけほっとした。


「侍医が言っていたけれど、毎日僕の部屋の前をうろうろしているんだって?」

「うぐっ、ち、ち、違います、誤解です……やましい気持ちは何もなくてっ」


 のぞき見しようとしていたとかそういうわけではないのだが、なぜだか言い訳めいたものになってしまう。


「くくっ、あんまり笑わせないでくれるかな……、肺に響くんだ」

「しゅ、しゅみませ、っ」


 舌を嚙みながら話すエリーシャを見てユーリスはまた笑っていた。


「僕のところには来やしないと思っていたよ」

「私が、ですか? 何故……」


 目をつむったままユーリスは「なんとなくだよ」と言った。


「せいせいしてるかなって。僕がいないほうがずっと君は気楽だろうからね」

「そんなふうに考えたことは、一度もありませんでした」


 この三日間、ずっと頭にあったのはユーリスの言葉だった。


――もし僕が、いなくなったら君は。僕の代わりに為すべきことを。


 まるで最初からこうなることがわかっていたかのような、用意された言葉のようにエリーシャは感じた。


「わたし、ずっと、早くユーリス様が元気になりますようにって、おなじことを考えてばかりで……っ」


 喋ろうとしても言葉が上手く出てこない。

 いなくならないで。いなくなるなんて簡単に口にしないで。本当は大きな声で怒りたかったのだけれど、このひとの顔を見た途端すべてがどうでもよくなってしまった。


 よかった。よかった、よかった――ユーリスは生きている。


 やつれてはいたが、顔を見られたことへの安堵と、以前のような皮肉びた口調に腹が立つのに、嬉しくて――自然とエリーシャの暗赤色の瞳から、涙が零れ落ちていた。


「エリー……?」


 ユーリスが、思わずといったようすで瞼を持ち上げた。


「もしかして、泣いているの?」

「な、泣いてません……っ! ぐすっ」


 泣いているじゃないか、と呆れ半分、驚き半分の声で言った。

 青白い血管が浮いた手が、エリーシャの手を握りしめる。けして強くはなく、それでもしっかりとした温もりを感じた。


「ねえ、泣かないでよ」

「ですから泣いてなど……っ」

「お願いだ――君を手放したくなくなってしまう」


 悲痛な声音で、ユーリスが紡ぐ言葉には何故だか甘やかな響きがあるから不思議だった。

 ただの共犯者――契約のもとに「婚約」で無理に繋げた絆はやがて断ち切るときがくるのだろう。そのときをエリーシャ自身、望んでいたはずだった。

 

 それでも、一緒に過ごせば情は沸くものだ。


 どんな種類の「情」であるかはわからなくても、まだ自分自身この気持ちに名前を付けるのをためらっていたとしても、いま此処にいるエリーシャは、ユーリスの力になることを望んでいる。


「ユーリス様、わたしは……」


 ごくりとせりあがった言葉を飲み込む音まで聞こえるほど、静まり返った部屋にノックの音が響いた。



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