タルトタタン物語。
これは19世紀後半のフランスのお話です。
昔むかしフランスのラモットボブロンと言う町に
1軒の宿屋がありました。
その宿屋の名前は『タタン』と言います。
家族経営のホテルでしたから、それほど大きくは
ありません。
けれどホテル・タタンは、とても美味しい料理を
出す店として、有名なところでした。
タタン家には姉妹がいました。
姉のステファニーと、妹のキャロリン。
9歳年の離れたこの姉妹はとても仲がよくて、
いつも一緒に家のお手伝いをしたり、遊んだり
していたのでした。
「9歳? 9歳も離れていたの?
そんなに離れていたのだったら、お手伝いは
ともかくとして、一緒に遊んだりなんかする
かしら?」
梨愛さんが話の腰を折る。
すると一ノ瀬さんも、うーんと唸る。
「うん。確かにね。
でもね、当時のフランスはナポレオンが亡くなって
50年も経たないくらいの時代だったから
女子教育に力を入れ始めては、いただろうけど
タタン姉妹は基本、学校へは行っていなくって
家庭教育だけ受けてたんじゃないかって思うんだ」
その言葉に、紫子さんが首を捻る。
「え? どういうこと?」
「つまり、9歳離れた姉のステファニーが
忙しく働くお母さん代わりで、妹のキャロリンの
お世話をしていたってこと。当然、なんでも教える
先生でもあったっんじゃないかな?」
「ふむふむ」
「ステファニーは料理上手だったらしいから
キャロリンだって、その影響を受けてたはず
だよ。仲が良かったのなら、なおのこと」
一ノ瀬さんはうーんと考えながら続ける。
「タルトタタンが誕生したその日、
タタンホテルは凄くお客さんがいっぱいでね
2人の姉妹も手伝ってたって言うから
今で言うと、ステファニーが大学生、
キャロリンが中学生くらいだったのかな?
いやいや。その頃だと、大学生なら結婚
しちゃってるかもしれない。
となると、もしかしたら高校生と小学生あたり?」
一ノ瀬さんは首を傾げながらみんなを見る。
「……昔の子って、働き者だったんですね」
瑠奈さんは、思わず唸ってしまう。
その時分、自分は何してたのかなって、急に心配に
なってしまったんです。
ステファニーは『料理上手』って言われてるくらい
だから、高校生とは言っても、お客さんに料理を
提供していたかも知れないのです。料理だけでは
ありません。家族経営のホテルを手伝っていた……と
言うのなら、それなりの家事は出来たはずでした。
それなのに今現在大学生の自分って……。
「……」
ぼんやりと窯の方を見る。
何事もなかったかのようなに佇む、一ノ瀬さんの窯。
あそこには、失敗してしまったアップルパイが
静かに焼けていく……。
頭の中で『チーン』と終了のベルが聞こえた。
けれど瑠奈さんは頭を振る。
いやいや、今と昔では時代が違う。
そもそもそんな世の中で生きていたのなら
わたしだって必死に仕事を覚えたかもしれない。
どっちの時代が幸せか……ってのは分からないけれど、
少なくとも世の中のニーズが、そうだったのよ。と、
瑠奈さんは自分に言い聞かせる。
そう……だからわたしは、できなくったって
それはそれで、仕方がないの……。
思いながら瑠奈さんは、項垂れる。そうは言っても
失敗には変わりない。
そんな瑠奈さんに、玉垂は苦笑する。
「瑠奈さん。落ち込むことなんてない。
昔はね、みーんな働かないと食べていけなかった。
みんな必死だったんだよ……」
「……」
玉垂は、妖怪黒猫。
だから年齢も、若く(?)は見えるけれどこう見えても
400歳越え。
タルトタタンの誕生は、約200年前。
まさかの200年足らずですからね、玉垂に軍配は
上がる。
──いや、上がりすぎ……。
「……」
濃いーなー、ここのメンバー……と、そこに居並ぶ
全ての人間(?)が心の中でそう思い、話は続く。
当時の料理担当はステファニー(やっぱりか!)。
そして、洗濯掃除担当がキャロリン。
無難な役回りですね。
そのステファニーがやらかしたのが、今回の
紫子さんがやらかした失敗と同じ
パイ生地を入れずに林檎のフィリングだけを
焼いちゃった、それ。
「え! という事は、わたしは『料理上手』って
事ですよね!?」
──何でそうなる?
歓喜する紫子さんに、瑠奈さんが
ないないないない。それはナイ。と激しい抵抗を
見せつける。
その言葉に紫子さんは、プクーっと膨れ
一ノ瀬さんはそれを見て、苦しげに笑いを噛み殺し
先を続ける。
「確かにね、有り得ない失敗なんだよね。
林檎を煮詰めて、その上そのまま焼くなんて……」
だから、別の説があるんだ。と一ノ瀬さん。
「当時もジャーナリストがいてね、このタタン
ホテルの変わったアップルパイを、世間に広めようと
した人がいるんだけど、パッと見タルトタタンは
インパクトにかけるだろ? ただパイをひっくり
返しただけだから。
そんなの記事にしても、面白くも何ともない。
だから、さっきのような小話を作ったんだ……
誰だったかな……名前は──」
「──と言うことは、結局それって、全部ウソだった
ってわけ?」
梨愛さんが微かに眉を寄せる。
梨愛さんは、基本、真面目な性格なのかも
知れない。パイができた理由なんてどーでもいー……
なんて思ってる紫子さんと瑠奈さんとは
大違い。客寄せの為なら、娘の失敗すらでっち上げる
……そんな風に思ったのかも知れない。
そして、何だかそれも、釈然としない……とばかりに
ムッとする。するとそんな梨愛さんに、玉垂が
うふふと笑いながら、声を掛けた。
「でもね、ボクはね、どれも違うと思うんだ」
ニコニコ話し出す大きな猫が可愛くて、自然
みんなの頬が緩む。
「やっぱりステファニーとキャロリンは
瑠奈さんと、紫子さんに似てたんだ」
フフフと肉球を口に当て、玉垂は笑う。
「紫子さんは思ってたんだよ。いつも
頑張ってる瑠奈さんに、なにかして
あげたいなって。でも、から回ってるけどね。
もちろん、キャロリンだってそう思ってたんだ。
中学生くらいか、小学生くらいか知らないけれど
アップルパイだったら、作れるかもって。
ボクだって出来る。
林檎を煮詰めて、生地で包む。うちの庭に林檎の樹が
あって、今もたくさん実をつけているから
材料は簡単に手に入ったから、よく作ったの。
でもさ、人って……ううん。人だけじゃない。猫の
ボクだって、そうなんだけど、頑張ろうとすると
上手くいかないんだ。
どこかでちょっと、ヘマをする。
だから失敗しちゃったの。頑張りすぎて。
それを見てお姉ちゃんのステファニーは、今の
一ノ瀬さんみたく焦って、それで
慌ててパイ生地を乗っけてみたの」
「「「「!」」」」
誰もがハッとして、目を見張る。
あぁ、それもあるかも知れない。
だって現に、目の前でそれ、繰り広げられたから。
ほのかに、柔らかいバターの焼ける匂いが漂った。
きっと先程入れた、一ノ瀬さんのパイ生地が
焼ける匂いなのかも知れない。
秋の空に広がるその匂いは、とても優しい
タタン姉妹の思いやりが込められているような、
そんな気がしたのでした。