タルト畳んで、タルトタタン。(すでに俳句ですらない……)
「まさか、まさかまさか、リアルタルトタタンになる
とか……っ!」
焦ったように呻いて、一ノ瀬さんは梨愛さんから
パイ生地をひったくる。そしてそれからの行動が
素晴らしく速かった。
まさに電光石火。
止める?止められるような気迫でもなかったし、
速さでもない。
まさにみんな『唖然』。
ただただ、見てるしかなかったの。
一ノ瀬さんが、何をしたかって?
それはね、まず、梨愛さんからパイ生地を奪った
後、台に小麦粉を振り撒いて、手早く麺棒で
伸ばしていく。
あっという間に伸ばされたソレを、手際良く目分量で
ナイフで丸く切り取ると、窯蓋を開けたのです。
途端ふわりと漂う、林檎とべっこう飴のような
香り。
「うわぁ……いい匂い」
そう言って、紫子さんは喜んだけれど、窯を開けた
一ノ瀬さんは当然必死。
ピザピールも鍋つかみも使わず、下手をすれば
頭すら窯に突っ込んで、……いえ、確実に窯の中に、
頭を突っ込んで、手さえ窯の内部に触れながら
手に持った、先程の丸く切り取ったパイ生地を
パイ型へと投げ込んだ。
……いや、投げ込んだかどうかは、よう見えない。
見えたのは、一ノ瀬さんの、カタチのいいおしりだけ?
やっぱり男の人のおしりって、違うのね……なんて
思いながら、紫子さんはムスッとする。
そう言えば最近、甘いものの食べすぎで、ちょっと
おしりが大きくなってしまったの。
それもコレも、目の前のおしり……いえ、一ノ瀬さんの
せい……。
綺麗に釜にハマりこんだ一ノ瀬さんのおしりを
見ながら、これってまさに、リアル、ヘンゼルと
グレーテル? なんて呑気に思う。
…………いやいやいやいや、コレ事件ですからね、
大変なことに、なるってるから──!!!!
「うわぁあぁ! 一ノ瀬さん!
何してるのぉおぉぉぉ!!」
咄嗟に叫んだのは玉垂でした。
真っ青な顔で、一ノ瀬さんを力の限り
引き戻す。その間、まさにコンマの世界。
引き戻される、その短い時間で、パイ生地
放り込めるとか、一ノ瀬さん。グッジョブ。
反動で後ろにひっくり返り、ゴロンゴロンと転がる
巨大猫と一ノ瀬さん。
「痛たたた……。あ。玉垂ありがとう
でも俺、幽霊だし、火傷なんかしないからね?」
「……」
あ。ごもっとも。
梨愛さんのみならず、実は、一ノ瀬さんだって、お化けなんですよね。
もう、この世の住人ではないのです。ホネホネじゃ
ないですけどね。不思議と、実体がしっかりしている
れっきとした、お化けなんです。
だから一ノ瀬邸は、通称『お化け屋敷』。
なんとも便利な体でした……。
「だけど……ふふ。ふふふふふ……」
いきなり笑い出す一ノ瀬さん。
どうした? ついにおかしくなったか? これはきっと
おバカなミスをした紫子さんのせい? それとも
窯の熱気にあてられたんだろうか……?
いや、……これは絶対怒ってる……!
そう確信したのは瑠奈さんです。
だって考えても見てください。
毎日毎日毎日入り浸るわたし達。
片っ端から、お菓子と言うお菓子を食べまくり、
終いにはこの失敗。
一ノ瀬さんがお化けじゃなかったのなら、
今頃救急車で運ばれていたはずなのです。
そして、そんな状況を作り出され、思わず笑ってしまった
一ノ瀬さんなのですよ? 怒っていないはずがない。
と──なると?
「……」
瑠奈さんは、ゴクリと唾を飲んで青くなる。
遂に……遂に遂に、出禁を宣告される日が
キタ━━━━!!
もう、これまでか……と、瑠奈さんは覚悟を決める。
阿呼、これでお別れなのね、さようなら、わたしの
好きなアップルパイ。さようなら。わたしの好きな
クレームブリュレ……。
けれど一ノ瀬さんは、くつくつと笑っていて
肝心の決定的な言葉は、なかなか言い渡さない。
いつ言われるの? 何言われるの? と焦れてその顔を
覗けば「あぁ、ごめんごめん。まさかホントに
アップルパイ失敗するとか思ってなかったんだ……」
なんて言って、お腹を抱えて笑っている。
いや、確かに出禁になるかも知れない。だけどちゃんと
謝らなくっちゃ! 瑠奈さんは勢いよく、頭を
下げる。
「ごめんなさい! ……わたしがついていながら
こんなミス──」
だけどしょうがなかった。そもそも紫子さんも
瑠奈さんも、アップルパイなんて
作ったことないんだもん。
……嫌な予感はしてたけど。
そう。アップルパイなんて、普段作らない。
お店に行けば、当たり前のようにおいてある
ほぼほぼ定番と言ってもいい、パン屋さんのメニュー。
だから気づかなかった。まさか紫子さんが
パイ生地なしの、林檎だけを詰めていたなんて。
確かにお店のアップルパイとは違ったけれど、
型から作るアップルパイも、なかなか見るものでも
ない。見慣れたアップルパイは、型を使わずに作る
包むやり方のアップルパイなんだもの……。
「ゆーかーりーこーさーん……」
これと言うのも、アップルパイの中身を
これでもか! と頬張って味見(?)していた
紫子さんのせいなんじゃないだろうか?
確かに気づかなかったわたしもわたしだけど、あの
ほっぺたを見なかったのなら、もしかしたら気づけた
かも知れません。そう思うと、ふつふつと怒りが
込み上げる。
呪ってやる〜と言わんばかりの勢いに、さすがの
紫子さんも、瑠奈さんの物凄い
形相に、肩を竦めたのでした。
「ご、ごめんなさい。つい、林檎のフィリングに
夢中になって……」
ウルウルと泣きそうな紫子さんを
心配げにトントンと優しく励ます、ホネホネ梨愛さん。
状況は微笑ましいけれど、絵面的にはアレですよね、
なんとも奇妙な絵面です。
「ふふ。いいんだよ。あれはあれで、
あながち失敗でもないし……」
言って一ノ瀬さんは立ち上がる。
含み笑いを必死に堪え、けれど確実に吹き出しつつ
一ノ瀬さんは失敗したと言うのに、妙にご機嫌な
その顔つきで、みんなを見て言いました。
「アップルパイじゃなくて、タルトタタンに
なっちゃったけどね? 知ってる? タルトタタン」
聞き慣れない言葉です。
知っている人は知っている? そもそもケーキ屋さんでも
あまり見ない。
地域性?
少なくとも、紫子さんたちの住む街では
見かけません。
なので玉垂は、丸い大きな目を更に大きくして
首を傾げた。
「タルトタタン……?
まるで、飴みたいな匂い……」
玉垂が鼻をヒクヒクさせて、そう呟く。
「凄く、……すごく美味しそうな匂い。
ボクね、この匂い大好き! べっこう飴の匂い!
ボクは猫だけど、べっこう飴は大好きなんだ」
そう言って、しっぽを震わせる。
「ボクがまだ小さかった頃にね、縁日でもらったんだ
可愛い猫の形のべっこう飴」
ウフウフと笑うその姿は、まるで小さな
子どもそのもので、みんなの微笑みを湧き上がらせる。
「すっごく、すっごく、美味しかったんだよ?
それと同じにおい」
その言葉に、一ノ瀬さんは笑って頷く。
「そう、一緒だよ。
パイ生地がなかったから、林檎のフィリングが
直接焼かれて、飴化してるんだ。それが
タルトタタン。
これにはね、ちょっと面白いお話があるんだよ?」
そう言って、話し始めたそのお話は、まるで
今日の紫子さんと瑠奈さんのことを
お話しているみたいな、そんなお話でした。