並べや並べ、綺麗な林檎。(七四三?)
一ノ瀬邸には、何故なのか『窯』がある。
窯? 使ったことないんだけど!?
と恐れ戦く瑠奈さんを見て、一ノ瀬さんは
フフフと笑う。
「大丈夫だよ? もう準備はしてあってね、後はパイを
入れて、焼くだけなんだ」
「え? そうなんですか?」
素っ頓狂な声を上げる瑠奈さんに、一ノ瀬さんは
優しく微笑んで、そっと頷いた。
「窯はね、火入れに時間が掛かるから、
林檎のフィリングを作る時に、一緒に
あたためておいたんだ。ほら、もういつでも準備は
OKだよ?」
そう言って窯の蓋を開ける。
ぶわっと熱気が広がり、瑠奈さんは思わず
後ずさる。
「ふふ。大丈夫だよ。
ヘンゼルとグレーテルみたいに、窯に押し込めたり
しないから」
なんて意地悪っぽく言いながら、瑠奈さんの反応を
見て、面白がっているんですけれど、言うなれば
一ノ瀬さん、あなた間違いなく幽霊なんですからね?
それって冗談に聞こえません。自覚持ってくださいね?
「……」
いやいや、しかしここは、深刻な顔をしていると
空気が悪くなりそうなので、一応笑っておかなくちゃ。
「あははははは……」
一ノ瀬さん。ダークなジョークをありがとう。
乾いた笑みを顔に貼り付け……そう心の中でお礼を
言うと、一ノ瀬さん、すごく満足そう。
うん。実はチョロいんですね。一ノ瀬さん。知って
ましたけど。
はぁ……と人知れず溜め息をつき、後ろを振り返ると
今度は紫子さんが、いつになくご機嫌になって
林檎のフィリングをパイ型に詰めているのが
見えました。
「……紫子さん、こーゆー時は行動が速いんだから」
呆れながら見ていると、ん? ちょっと待って
紫子さん?
振り返ったその顔、なんだか口がモゴモゴしてません?
「あ! ちょ、紫子さんっ!
さては摘み食いしてるでしょ!!」
「ほ、ほんなほとしてなひよ?
これはたいへふなあひみなんはひょ」
「……」
いや、それ、確実にウソですよね。
何言ってるのか分からないくらい、林檎の
フィリングを頬張っている紫子さんを見ていると、
さすがの 瑠奈さんも、もういいやって
思いますよね。そりゃ、仕方ない。
「……分かった。分かったから、その林檎を詰めたら
窯に入れてね?
窯なんて使ったことないから、急には冷めないとは
思うけれど、窯の温度が下がって、生焼けとかに
なったら大変だし……」
「ふぁーい」
モゴモゴしながら、紫子さんは、さきほど
林檎を詰めたパイ型を窯へと入れる。
熱々の窯に、そのままパイを入れると火傷を
してしまう恐れがあるので、食材を入れる時には
ピールと言う棒を使って入れるらしい。
「いや別に、鍋つかみで入れられるなら、それでも
いいんだけど、窯って結構熱くなるから、
危ないんだよね。
熱い空気に触れるだけで、火傷する人もいるし。
だから、この棒を使って食材を中に入れるんだ」
そう言われて、一ノ瀬さんから渡された
ピザピールは、棒の先端が平たくなっていて
その上にピザとかパンとかを乗っけて、窯に入れる
道具らしい。
けれどこれがまた、使いにくい。
手慣れていれば簡単なのかも知れないけれど、ちっとも
言うことを聞いてくれない。(長いから扱いにくい)
オマケに思っていた以上に重いんですよね。棒自体が。
しまいには『あ"ー!!』とか叫びつつ、ただただ奥へと
パイを突っ込めるだけ突っ込んでいく。
よし! とにかく入れた。一応入れた!
火さえ通ればこっちのもの。だって、りんご自体には
すでに火が通ってるしね。焼くのは生地だけだもん。
多少焦げても、それはそれ。食べれないわけじゃない。
……なんて、適当な言い訳をかましつつ、2人は
どうにかこうにか、窯の蓋を閉めたのでした。
「ふふ。ご苦労さま。後は、こっちのフルーツタルトを
手伝ってくれると嬉しいな」
ニッコリ笑って、爽やかにそう言うイケメンを、誰が
無視できるのだろう? そんなのを目の前にすると
誰だって嫌だとは言えません。
紫子さんも瑠奈さんも、もちろん玉垂だって
二つ返事で頷いて、フルーツタルトに取り掛かる。
フルーツタルトは、火を通さない。
砕いたビスケットと、溶かしバターを混ぜたものを
型に敷き詰めて、事前に冷蔵庫で固めてある。
そして、その中にカスタードクリームと生クリームを
混ぜ合わせたものや、ヨーグルトソースなんかを
絞り入れるのです。
仕上げは果物。
宝石のように瑞々しい洋梨やミカン……それから
マスカットを彩りよくトッピングするのです。
これも、比較的簡単な作業でした。
「ひーん。美味しそう。そのまま食べてしまいたい」
半泣きで飾りつけをする紫子さん。
「ふふ。別に食べてもいいけれど、その分
持って帰る分は、なくなっちゃうからね?」
「う」
宝石箱のようなタルトの仕上げは、ゼリー。
キラキラ光るゼリーのコーティングをしたら、
タルトを再び冷蔵庫へ。
「冷蔵庫には、私が入れておくから、向こうで紅茶でも
飲んでてね」
そう言う梨愛さんに全てを任せ、一同は隣の
部屋へと移動して、そこで一休みすることにしたの
でした。
1つの料理を作るだけでも、かなり大変なのに、今日は
3種類のスイーツ。
さすがにマロングラッセは、すぐには出来ないけれど
アップルパイとフルーツタルトは、すぐに食べられそう
なので、みんなの頬は緩みっぱなし。
けれど、すごい量でした。
どうやって手に入れたのかは知らないけれど、
どのフルーツも箱いっぱいに入っていて、その
全てを料理することは、さすがに無理。
そのまま食べる事もあるけれど、やっぱり何かを
作りたくなってしまうって、一ノ瀬さんは言っていた。
それは分からなくもない。
だって、ケーキにしたらビックリするほど
綺麗ですからね? まるで宝石のように、果物たちが
ピカピカ輝くのですもの。
そんなこんなで、色んなお手伝いをしたので、流石に
みんなはヘトヘト。倒れるようにソファへと
なだれ込んだのでした。
「あぁー! 疲れたー。もう立てない。
立ちっぱなしも、楽じゃなーい」
唸る紫子さんに、瑠奈さんは苦笑い。
「紫子さんは、普段お手伝いしなさすぎ
なんです。いつもなーんにもしないから、筋肉が退化
しちゃったのよ。きっと」
なんて悪態ついてみる。
それを見て、一ノ瀬さんはクスリと笑う。
「ふふ。それはともかくとして、これで一応は一段落。
お疲れ様。すっごく助かった」
言って一ノ瀬さんは、紅茶を淹れて
くれました。
コポコポと淹れてくれる紅茶は、瑠奈さんが
飲みたかったオータムナル。
「あ、例のヤツですね!」
「そう。例のヤツ。
スーパーでも売っているのかな? これはね、通販で
取り寄せたんだ。俺は前に飲んだことがあるんだけど
結構、衝撃的な味だから、話題作りのために
買ったんだ」
そう言ってニンマリ笑う。
カチャカチャとカップを並べ、さぁどうぞ……と
みんなの前に紅茶を並べる。さしあたっての
お茶菓子(?)は、余りあるフルーツ。
たくさんのフルーツも魅力的だけど、ひとまず喉が
乾いたので、紅茶を1口。
「あ。……甘い」
まず最初に、紫子さんが驚きの表情を
見せました。
砂糖を入れていないのに、本当に甘い。
玉垂も、一口飲んで、耳をパタパタと
はためかせる。軽い口当たりのオータムナルは、
どうやら玉垂の口に合うみたい。
秋に摘まれるダージリンは、春に摘む茶葉と違って
甘い……とは瑠奈さんから聞いて、知ってはいた
ものの、こんなにも味が違うなんて、思っても
みなかった。想像以上に甘くって、瑠奈さん
自身も驚いてしまう。
「ただ、俺的には、スイーツとは合わない気も
するんだよね……」
少し困った表情で、一ノ瀬さんは言いました。
「どちらかと言うとさ、緑茶みたいに渋みのある紅茶が
俺は好きだったりするんだよね」
「あー……それ、なんだか分かる気もします」
再び紅茶を口にした瑠奈さんが、ポツリと言う。
「飲み慣れていないからかも知れないけれど、
輪郭がハッキリしないから、何だかちょっと
物足りない感じ?
味は濃い感じもするけれど、砂糖をたっぷり入れた
紅茶とは、また違った甘さなんですね」
その言葉に、一ノ瀬さんは頷く。
「そう。好きな人は好きだけれど、あまり人気は
ないんだ。でも、初めてのものって、それがいったい
どんな味なのか、興味が湧くんだよね。一度は体験して
みたくなる。
紅茶だけで楽しむ分には、面白い紅茶かな?
よく、ミルクティーにするといいと言うから、
クリーム系のタルトとは相性が良いとは思うんだ」
そんな話をしている時、突如玉垂が鼻を
ヒクつかせる。
「ん?
あ。……ねぇ、ちょっと待って。
この匂い、アップルパイじゃなくて、なんだか
飴みたいな匂いがする……」
途端、急に一ノ瀬さんの顔が険しくなる。
「……ホントだ。
ちょっと待って、もしかしたら──」
何を思ったのか、一ノ瀬さんは慌てて
冷蔵庫へと走る。その後を、みんながパタパタと
ついて行く。
ついて行ったその先には、ホネホネ姿の
梨愛さんがいて、なんとも奇妙な
困ったような顔をしながら、振り返る。
そして、その手には──
「……ねぇ、六月? これって──」
梨愛さんは丁度、先程のフルーツタルトを
片付けたところらしく、作業用のテーブルには
アク抜き中の栗しかない。
けれどそれよりも、目に映るのは……
「──っ」
一瞬息を呑み、それから恐る恐る一ノ瀬さんが
口を開く。
「えっと、それって……もしかして、
──パイ生地?」
その言葉に、梨愛さんは、眉をしかめる。(実際
眉毛なんかついていない、ホネホネなんだけど。)
「うん。もしかしなくても、パイ生地だと思う」
カクカクと首を鳴らしながら、ホネホネ梨愛さんは
頷きました。
それを聞いて、一ノ瀬さんは再びぐっと
息を呑んだのでした。