3.白桜探偵事務所
喧しいほどのアラームが鳴り、怠い体を無理やり起こして家を出た。
時刻は8時50分。土曜日だからか、流石にこの時間は駅では通勤する人や友達との待ち合わせをする人で溢れている。
スニーカーを鳴らしながら、急いで人込みをかき分け進む。
約束してしまった以上、遅れるのは筋が通らない。
探偵事務所は二階。階段を上がり、昨日来た事務所を上がり扉の前に立つ。
迷いながらもどうにか辿り着いた。
ここも雅家も駅周辺だから、そこまで離れていないが特にこっちに用もないしこんな場所に探偵事務所があるなんて今まで知らなかった。というか、探偵事務所なんて初めて見た。
昨日は暗くてよく見ていなかったが、一階は八百屋、地下にバーがあるらしい。
スマホには8時59分と表示されている。
「よし、間に合った」
ふざけた用紙の張られた扉で一呼吸する。扉のすりガラスからは電球の光が漏れている。どうせ三日間だけだしな、軽くバイトするぐらいの気持ちで働くか。
コンコンコン。
ノックするが返事がない。
電気はついているからいるはずではあるんだが。
試しに扉を捻ると空いている。
「おじゃましまーす…」
意を決して入ってみることにした。
「だから、お客さんが来るんですよね?何でボクが一日いないだけでこんな汚くなってるんですかっ??」
入って早々に怒号が飛んできた。
ジャージ姿の小さな女の子が掃除機片手に散らばった本を片している。
「しゃーないだろ?昨日忙しかったんだよ…」
とゴミが喋る。間違えた。光さんか。
「忙しい癖にこの部屋は散らかしてったんですか?いやがらせです?」
小さい少女の言葉に光さんは不貞腐れて
「うわ…すげ」
昨日のゴミ山が現在進行形で片付けられている。おそらく今光さんが潜っている山で全てのゴミが片付きそうだ。
怒っている子は片付けが終わり、掃除機やら箒やらを駆使して器用に掃除をしている。
あたしがその様子を扉の前で見守っていると、後ろから人の気配がした。
肩を掴まれる。
「だーれだっ!!」
「…白百合だろ」
さっきから姿が見えないと思ってたら外にいたのか。
「全然驚かない、もしかしてバレてた?」
「あたしの背後をつきたきゃ気配を消して歩け」
「…癖になってんだ…気配殺して歩くの……」
「できてねぇだろが…!」
モロバレだった奴が言うセリフじゃねぇよ。お前は暗殺一族か。
白百合はあたしの背中を推して、中に入れる。
すると、二人もあたしに気づいたようだ。
「あー、お客さん…?えっ、ガチの不良みたいな人が来た…」
「もうー、失礼でしょ?みーちゃん。こちらが噂の佐倉小春ちゃんだよっ」
みーちゃんと呼ばれた子はあたしを嫌そうに見て、壁の向こうへ隠れてしまった。この子がみーちゃんか。朝に名前だけチラッと聞いたな。
てかビビりすぎだろ。たしかに普段からナメられないように生きているが、見ず知らずの中学生にまでビビられると少し傷つく。
「おはようさん、小春」
「おはようございます。光さん」
光さんに挨拶をし、玲音に勧められるまま左の客人用の椅子の座る。
目の前には謎のモニターが一台置かれている。隣に白百合が座り、美都里は相変わらず向こうから出てくる気配がない。
この距離感、やり難い。
「あの子は蓮水美都里ちゃん。漢字は難しいから”みーちゃん”て読んであげて!今中学2年生。うちの天才ハッカー。インターネット関係なら御茶の子さいさいだよ?」
「玲音さん、みーちゃんはやめてくださいって何度も……どうも、美都里です」
壁越しの自己紹介。決してこっちに来たくないという意思を感じる。
ちょっと不穏なワードが聞こえたが、あたしも真っ当な人間じゃないしな。似た者同士ということでいいのか?
「…少し人見知りだけど、気にしないでね?」
白百合が小声で付け加える。まぁ、悪い子ではなさそうだ。少なからずあたしよりは。
…というか、この子も光さんの子じゃないのか。
どういう集まりなんだここは。
「そういえば、何も説明してなかったよねぇ。我が『白桜探偵事務所』は、木之白町を拠点として全国各地の難事件を解決…予定の探偵事務所だよ!」
「何かフワッとしてんな…」
「そのフワフワもちもちの緩さでアットホームな雰囲気がうちの売りだからね!」
そう言って、白百合はキメ顔でウインクする。ウゼェ。うまく言ったつもりらしいが、全然うまくねぇから。
とりあえず、整理するとそんなに知られてないし特に実績のない探偵事務所だということか。
ここで三日間?短いと思ったが、仕事がない可能性すらあるな。
「小春ちゃん!」
「何だよ、白百合…」
急に名前を呼んできたから、言葉を返すと彼女は全くわかってないとばかりに溜息を吐きながら首を横に振る。コイツ、思った以上にウゼェな。
「私が小春ちゃんって呼んでるんだから、”白百合”じゃないでしょ?ほら、”玲音ちゃん”って呼びなさい!」
「ぜってぇ呼ばねぇ!」
食い気味で答えた。
あんな言い方であたしが素直に従うと思ってんのか?
だが白百合はあたしの反応を見て落ち込むどころか笑っている。
「いやぁ、予想通りだねぇ。ま、気を取り直して今日の仕事と行きますか」
白百合は白のワンピースの上から今朝纏っていたベージュのコートと帽子を身につける。
そして、あたしの手を取って玄関の方へ行こうとする。
「おい、どこ行くんだよっ!」
「行けばわかるよ!」
そして、あたしは渋々彼女に連れ出されることになった。
………
あれから何時間も連れまわされ、仕事が絶えずに一日が終わった。
濡れた傘を畳んで事務所へ入り、ソファに倒れる。
「はぁ…疲れた」
慣れないことをすると疲れるってのは本当だな…
「バーの掃除、キャバ嬢の愚直聞き、引っ越しの手伝い、無くなったペン探し。しかも、ペンは散々探し回った挙句玄関にあるって…ふざけんなっ」
本当に探偵ってのは
「でも、皆喜んでたでしょ?」
白百合はそう言って、近くの椅子に座りあたしを見下ろす。
まぁ、そうだな。最後のペンを無くした爺さんを思い出す。
────
「ありがとうございました。いやぁ、本当に助かりました」
「いえいえ、お役に立てたなら何よりです」
爺さんは白百合とあたしに礼を言う。
全く、人騒がせな爺さんだ。
あたしがチラリと見やると、爺さんはじっと手元のペンを見つめていた。
「これはね、家内が初めてプレゼントしてくれたペンなんだ…。去年、逝ってしまったがね……」
「だから、本当に。本当にありがとう」
そう言って、爺さんは頭を下げた。
あたしはその姿を忘れることができなかった。
────
「今日はもう依頼ないしなぁ…少し早いけど、上がりにしちゃおうか?」
玲音が伸びをして、立ち上がる。
スマホを見ると、もう18時を過ぎていた。
事務所の奥を見ると、相変わらず蓮水はパソコンを使って何かをしている。
「よぅし!今日は解散!また明日も9時集合で!!」
玲音のその言葉を聞いて、あたしは事務所の外へ出た。
まだ雨は降り続き、空は暗い。だが、不思議とあたしの気分は悪くなかった。
こうして、探偵業一日目は意外な程あっという間にに終わってしまった。




