南望凪山の葛
蝙蝠のような羽織を着た『ただの旅人』と称していたその男は、巨大な黒焦げ死体の上に胡坐をかき僕を見下ろしていた。男の座布団となってしまっているほぼ炭状態のその肉の塊は、この山で神として崇め祭られていたはずの化け物の成れの果てだった。
何故、こんなことになってしまったんだろうか。
昨日は、3333日に一度、この南望凪山の神様が集落へと訪れ、日頃山の脅威から守ってくださっていることに感謝と敬意をあらわすため、集落一丸となっておもてなしする日…… の筈だった。それなのに目が覚めたら、俺は生きていて、知ってる風景は跡形も無く悲惨なものとなっていた。
「あんたか、こんなんにしたのは。何でこんな……、これはどう考えたってやりすぎだろ!! 」
「お前、冷静に考えられないのか? 半端なく馬鹿デカいバケモンがさ、わーって自分を襲いに来たら、累々となった人骨を見かけしまったらさ、悔いの無い様、何か行動を起こさないとヤバいなって思うもんじゃないのか? いけない事をしたと僕は全く思っていないんだけど? 」
虫すら殺せなさそうな華奢で中性的な男は、その見た目にはそぐわない血生臭さを身体から漂わせていた。俺からの糾弾には静かな声音ながらも強い口調で問い返してきた。
「あんたが今座っているそいつはこの山の神様なんだぞ! それに、集落のみんなは…… 」
「それが? んーとね、何の説明無しにココの人間にコレの前に連れて行かれて僕は餌にされそうになったんだけど。のんびりとしてはいられないだろ。死ぬ気で抵抗した方が、楽な道を選んで悔やむよりは、なんかよくないか? 生きて今ココでこうやって君と話が出来ているというのがその証明となっていると思うが」
やっぱりこの男は、身なりといい言葉遣いといい別の国から来た人間なのだろう。言い回しも変な言葉を使っているせいか、頭にスッと内容が入ってこず、会話するには少し難があるように俺は感じた。
「仮に僕が何もしなかったとして、今と状況が変わっていたかは分からない。目でちゃんと現実を見てみなよ。つまり何が言いたいかといえば今生きているのは君と僕だけなんだよ。最初のきっかけが僕だったかもしれないけど最終的にこの集落は消える運命だったと思うんだ。責任を僕に押し付けようとしても無理な話さ。例えそうだとしても、除け者として扱われて生きてきた君がこの僕にどう責任を取らせようと考えているんだ? 君以外死んでるのに、みーんな死んでいるのに」
何もかもお見通しだと言いたげで、そして、その飄々とした男の態度にイライラした。最後の一言には特に頭に血が上ったのか、俺の顔が燃えるように熱い。変な言い回しをしてくる癖に俺を馬鹿にしてきて、腹が立って仕方なかった。
「あんたみたいな余所もんに、何故そんなことを言われなくちゃならない。確かに俺は独りぼっちだったかもしれないが、お前の犯した今この状況と、俺のことは全く関係ないだろう! 」
「事実を言って何が悪いんだ? 関係なくないだろう。喰われる立場だったのは本来君だったんじゃないか? 我慢できないよね? 何で自分があんなバケモンの餌にならなくちゃならないのかってさ。言わなくても分かる。っで俺が山の中うろうろしてるのをちょうど見て思ったんだろう? 手ごろな身代わりが来たってさ。殺したのは君だよ、私を代わりに差し出した君がこの事態を招いたんだ。言い逃れできないだろう? 」
そうだ、こんな山奥にこの男がいたんだ。こんな時期にこの山にいたのがいけないんじゃないか。俺のせいじゃない。でも、何だろう。本当に偶然ここに来たのだろうか? それに何で俺は生きているんだ?
重たい頭で思考を巡らせていると、男はふっと不気味に笑った。
「きっとこんなことを言ったところで信じないだろうが、見てられなかったんだよ。端に追いやられてさ、痣だらけの君が。私のような余所者がいるところで、冷遇してるってさ、ダサい奴らの集まりで、君に同情したんだよ。味方になってやらないとって思ったのにさ、もうかなしいよ。馬鹿なんだもん。結局損するのは僕なのかな? もういつもこうなんだよ。望んでなかった結果になる。だけどまぁいいさ、世の中そんなものさ」
この男は俺に一体何を伝えようとしているのだろうか。取りとめもなくずっと話して……。
それに先ほどからこの男の話す言葉に対して、違和感が拭えなかった。ちょくちょく一人称が変わっているのも気になるし、そして、脈絡のないというか俺と会話しているようでしていないところも気持ち悪さを感じていた。
「あんたは結局、俺をどうするつもりなんだよ!俺も殺すのか? 」
「えーとそのことなんだけど君に決めてもらおうと思って。楽な道なんて全くないし、別に君自身のことだから僕的には関係ないことかもしれないんだけどさ、選択肢くらいは与えないと可哀想かなって。一緒に僕の旅についてくるか、仇とは一緒にいられないと、虐げられた記憶のあるこの地にこのまま君は居続けるのか。どうする? ちゃんと考えて、落胆することないようにさ、大事に決めろ」
こいつは一体何を選ばせようとしているんだ。可哀想って何だ。集落をめちゃくちゃにして、山の神も住人も焼き殺しておいて、何で俺にだけ同情をするんだ。一思いに俺も……、俺も、あんな奴らと同じように死にたかったのか。いや、違う。あんな奴らと一緒にしてほしくない。俺はココに残りたくない。どこか遠くへ行きたい。
「難しいことを訊いたかな? 良心だとしても急には受け付けられないよね。かなし…… 」
「難しいとか無理とかそんなんじゃねぇよ。ただ、何故かあんたは俺を気に入ったから俺を連れて行きたいということだけは理解した。いいよ、その話、乗ってやるよ。俺、ここで死にたくないんだ。あいつらと一緒んとこで骨を埋めたくない! 」
すると、男は薄く微笑み一瞬で死体から降りると、俺の目の前に立った。化物や集落の人間を殺した凶悪犯のはずなのに、何故か俺は後ずさるどころか瞳に見入ってしまっていた。ずっと黒い瞳だと思っていた男の目は深い深い緑色で美しかった。
「よろしい。上手く僕を利用してくれたまえ。好き勝手やろうが、見てやるよ君の面倒くらい。だがまずお互いしなくちゃならないことがある。名前は何だ? 」
「お、俺の名前か?俺の名前は葛だ。あいつら『かずら』と呼んでくれた事は一度もなかったがな」
「まぁ、なんていうかドンマイ。葛、よく耳の穴かっぽじって聞け。俺は、冷静沈着、晴れ男。面白いのに、紳士的、笑顔が素敵な僕の名は、『習志野 呉平太』だ。イケてる名前だろ? 」
「突然の自己紹介!! いや、名前は聞いておきたいと思ってたけれども、謎の前振りが気持ち悪い! 」
すると、習志野は不機嫌そうな顔をした。
「何でそんな人を傷つけるようなこと平気で言うんだろうか。人間じゃない。もう僕かなしい。理不尽な扱いされていた君が、加害者になるなんて。いや、社会経験が少ないからこうなってしまっているのかもしれないな。丁寧にそこらへんは教えてあげるから、いらないよ心配は。何とかのらりくらりと、生きてしまっているからね。場数の、数が、ガッツリ多いんだ」
「先程から、……違うな、最初から何言ってるか半分くらい分からないんだけど、あんたもかなり言葉で傷つけてねぇか。よくわかってないけど。それで、あと、その話し方は素なのか。出来ればもっと簡潔に分かりやすく話してほしいんだが」
「む、り、だ、な」
その人離れした恐ろしくも美しい男は口角を上げ、そう言った。
「せっかちなのは悪い性質だと思うが、壊滅したとこにもう用はない。行こう? 外出したことないんだろココからさ。食いモンは色々あるし、ルックスは葛は悪くはないからモテるだろうし、美しいもんも沢山見てさ、ココのことなんてパーッと忘れて、生きようぜ。つまらないことでうじうじしてても仕方ないし、のん気に僕と一緒に、世界を旅しよう。いつまでかかってっもいいからさ、出来る限り遠くまで。たくさん、のんびり、新世界を、見てみようじゃないか! 」
18歳となったその年、俺は彼と共にこの集落のあった地を離れた。
だけど俺はまだこのとき『習志野さん』という存在を全く理解していなかった。彼が言っていたことも、俺自身のことも、何もかも全て俺は分かっていなかった。
これは全てを巻き込み『自分』探しの旅をする男『習志野さん』と、それに巻き込まれたもの達の物語である。