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私と雄二とで結菜のテストを奪ったとき、平太が指定した隠し場所は「『キクチ』の家」だった。いや、我々はそう思い込んだ。
本当にあのとき、平太が指定した場所は菊池の家だっただろうか。思い出してほしい。あのとき我々は暗号解読に慣れ切っていて、最後まで香水を嗅がなかった。我々二人が「キクチ」だと思った香水の組み合わせは、どのようだっただろう【図9】。
一文字目 ドルガバ、イヴサンローラン → キ
二文字目 グッチ、ドルガバ → ク
三文字目 シャネル、シャネル → チ
三文字目ではシャネルが二回続く。雄二も私も、三文字目の一本目がシャネルと知った時点で、きっと先入観も手伝っただろう、その次もシャネルと決めつけ、結果、暗号を「キクチ」と誤読したのだろう。なぜ、そう言えるのか。
我々が実際に菊池の家まで行き、その前でまごついていたとき、急に結菜が「集合場所は森勢神社に変更」と告げに来た。そして、抜け目ない読者諸氏はもうお気づきであろう、平太はこのとき暗号の位置を示す丸を、黒でなく赤で書いていた。
少なくとも私と雄二には知らされなかった、別の暗号規則があったとしたら。
「キク〇」が「モリセ」となる、別の香水の並びはないだろうか?
香水は全部で七本、全て並べ替えると7の階乗で5040通り。天文学的な数字ではないが、全て書いて確かめるのは少々骨が折れる。プログラムを組んで検索をかけるのも良いが、今度もここまでの話から推測できないだろうか。
ここで私は一つ、真剣に推理に取り組んでくれた人々に謝らなければならない。雄二が暗号で「赤チン」と書き、女子二人を爆笑させたとき。その後、女子二人が口ずさむようになった替え歌、これはabcの替え歌だが、それがストーリーとは関係ない、と私は言った。
この話を組んでいる中で気づいたのだが、あの替え歌は謎の糸口に光を当てるのに最適なのである。abcの海岸で......abc........
香水をabcのアルファベット順に並べ替えれば良い【図14】。
元々の香水の並びは、そのとき決められた適当なものであった。それをアルファベット順に並べ直すのは、いかにも遊びに余念がない小学生の考えそうなことではないか。
私と雄二が「キクチ」と勘違いした三文字、それは「キクナ」だったのではないか、と今では考えている。その香水の組み合わせは以下の通り【図9】。
一文字目 ドルガバ、イヴサンローラン → キ
二文字目 グッチ、ドルガバ → ク
三文字目 シャネル、イヴサンローラン → ナ
もちろん、あのとき平太が「キクナ」と伝えたかったわけではない。これらの香水の組み合わせと新たな暗号規則でできる三文字は【図14】。
一文字目 ドルガバ、イヴサンローラン → モ
二文字目 グッチ、ドルガバ → リ
三文字目 シャネル、イヴサンローラン → セ
モリセ。
我々二人が平太に「結菜のテストの隠し場所」を決めるよう依頼したとき、平太はまだそれを決めていなかった。それよりも大事な逢瀬のために。初めからあの日の「集合場所」は菊池の家ではなく、森勢神社だったのだ。
すると、「ユキオタフ」はどうなる。最後、面倒でもこの香水の組み合わせだけ、再度記憶してほしい【図9】。
一文字目 クリード、グッチ → ユ
二文字目 ドルガバ、イヴサンローラン → キ
三文字目 ドルガバ、ディオール → オ
四文字目 シャネル、グッチ → タ
五文字目 ブルガリ、イヴサンローラン → フ
これらを新しい規則に当てはめてみよう【図14】。
一文字目 クリード、グッチ → ト
二文字目 ドルガバ、イヴサンローラン → モ
三文字目 ドルガバ、ディオール → ミ
四文字目 シャネル、グッチ → ス
五文字目 ブルガリ、イヴサンローラン → キ
トモミスキ
「あいつ、このラブレター渡せなかったんだ!」
机に置いた「最後の暗号」の残骸の前で、私は部屋で一人思わず声をあげてしまった。
平太の心を奪った犯人は友美だった、というわけだ。うまいかどうかはわからないけれども。
愛がそこにあった。青々とした愛が心底可笑しくて、しばらく腹を引きつらせて笑った。目の端から涙が出てきたのは、可笑しかっただけだろうか。もう手の届かないところにいる旧友らを想い、望郷の念にかられたのかもしれない。
「最後の暗号」も赤ペンで書かれてある。赤ペンで別の暗号規則によって「モリセ」と書いたあの日、平太はそこに呼んだ友美とどんな話をしていたのだろう。雄二も新谷先生も、平太が友美にあてた、友美だけにあてた暗号を無理やり奪ってしまったんだな。考えてみれば、状況が一緒だ。平太が友美にあてた「モリセ」、「トモミスキ」、どちらも強引に奪われたのだから。
平太のプレゼントを盗んだ犯人?
たかが物じゃないか。どこの誰が持っていったか知らないが、そんなものはくれてやる。
平太の未熟で純粋な想いが十五年間、神様の家で庇護を受けながら眠っていた。魔法の言葉とまではいかないようだが、寺本くんがこれをモモちゃんに告げたとき、彼女は顔を真っ赤にして女子トイレに逃げ込んでしまったという。そして、誰にも気づかれず静かに戻ったあと、「トモミスキ」を示す香水のサンプル瓶を、長い間じっと見つめていたのだそう。




